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食堂のこと、ワシも考えてみた

プールナ食堂について、ときどき立ち止まって考えます。
プールナ食堂とは、インドの寺院のように誰でも無料で温かい食事が食べられる食堂です。

人に言われて気づいたのですが、正月休みと昨年の夏の1回はお店のお休みでしたが、それ以外は毎週お店にいました。

すごい!店をいつも開けてたね!

と、自分をほめてみましたw

週に2回、場所を借りて調理するというのは、「仕事お休みの日にちょっと社会貢献しよ」といった気持ちや体力配分では、続けられないかなぁ。
その仕事を自分の中で重要なポジション、メインの仕事として捉えて、スケジューリングする必要があります。
とはいえ、生活費を稼ぐために、他で働いて生きていく必要があるのも事実。むずかしいですねぇ。

さて、開店日。


怒涛のような調理を無事に終えて、最初のお客様が笑顔になる。一安心です。なにせ、わたくし、塩を同じ鍋に2回入れたことありまして。味見できないので、もうその日は。。。ホントにその日のお客様すみませぬ!!
誰かが美味しいって言ってくれるのは、顔がニヤけちゃいますね。
しかもですね、自分が食べていて、いつも「おいしい〜!」って言えることがスゴイんじゃないかしら。

ところが最近、思うのです。
いったい誰を救っているんだろうかと。


誰でも食堂とはいえ、おうちがない方や見ためで生活に苦労されているような方というのは、お見受けしたことがありません。

こっそりと「失業中で30円しかなくて」「心を病んで休職中で」と打ち明けてくださる方もいます。
「心が癒された」「助かりました」と言ってくださる方もいます。

ただ、この食堂は本当に役立っているんだろうか。もっと多くの人に届かないものか。拝金主義を変えない方の長居する巣窟として機能しているだけではないか。
いったいなぜ食事を提供しているのだろうと。日々悩ましいですねぇ。

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