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本当のことは言わない

前々より指導を受けている、憎たらしい人間が放った言葉。
無計画で勢いだけの、何度も聞いた事ある言葉を捏ねくりまわすあいつが、ぼそりと落とした言葉。
なにクソと聞き流していたが、どうやら正しいのかもしれない。

以前までは色々な話で盛り上がっていた。今でも盛り上がるのは事実だが、僕が冷めている。なんて事はどうでも良いのだが、僕らは色々な話をした。日付を越すほど語る事も少なくなかった。
そんな時間を共有した奴はいつか僕に対して言った。

「お前は直球過ぎる。いつか人を傷つける。」
「例えるならば裸。」
「本当の事は言えないんじゃない。言わない。」

などと。

当時も今も、未だに噛み砕けているわけではない。
ただ、少しずつ、なんとなく、ゆるやかに、だいぶ確実に、直球ストレートだけじゃ空振り三振を取る事ができなくなったような、もともと自分は2軍選手だった事実を思い出させられる、いや、ベンチさえも入れないどうしようもなくちっぽけな存在であったのだと、ユニフォームさえ貰うことなく、観客と同じ一傍観者。そんな日々の積み重ねより、諦めに近い感覚で、“言うことができない”という情け無い逃げ腰で軟弱なケツイと、“言わない”優しさに気づき始めてしまったのだろう。


今まで、僕は、僕の武器は、僕の僕だけの持ち球が1球種だけのストレートを投げること、いや、1球種の全力ストレートだけを持つこと自体がかっこいいと思い込んでいた。
捻りのないひ弱な球を無我夢中で全身全霊を込めて、その1球に駆けて、その1球だけを信じて、少しでも、ちょっとでも、自分だけの捻りのない想いを捻りのない投げ方で投げ抜くことがかっこいいと。そう思い込んでいた。

しかし、所詮球筋は真っ直ぐ。当然のように打ち返されるようだ。少年野球でも通用しない。そんな球じゃ抑えることなんて、まぐれでしかない。



ただ、この想いには、少し嘘があった。
何より、何よりも、変化球を覚えない楽さがあった。
楽だったんだ。甘えていた。優しさなんてなかった。単なるわがままだった。真っ直ぐを投げるなんて、少し小っ恥ずかしいことを我慢すれば、誰でもできることだった。


誰でもできることだった。

僕らしさなんてなかった。



ただ、そんな敬遠するような奴からの一言があり、変化球は逃げじゃない。コースから外れていくことは恥ずかしいことじゃない。敢えて四球を出す事も戦略の一つだと、勝ちに向かう一歩だと、優しさと強さのカタチだと、
こんな事実に気づくのに、何年も掛かってしまった。



ただ、自分が向き合う気持ちだけは真っ直ぐでありたい。この想いを顔も知らない誰かに表現する時だけは真っ直ぐでいたい。歌だけは迷いなく、声を張り上げて、死ぬ気で歌い続けるから、死ぬまで真っ直ぐに生きるから、どうか誰か、受け取って欲しい。

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