【福島孝徳 先生に捧ぐ】 世界的名医の訃報に《福島孝徳×天野篤 ロングインタビュー》で追悼
『国民のための名医ランキング』創成期よりお世話になった福島孝徳先生のあまりに突然の訃報に呆然としています。手術件数累計24,000人超、あの競争の激しいアメリカの第一線で活躍され続けた福島先生。ご多忙で、いつも世界中を飛び回っていらしたので、いつかまたお会いできる日があると信じていました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
福島先生の温かいお人柄が伝わるロングインタビューをお伝えいたします。
『国民のための名医ランキング2018年版』で、上皇陛下の執刀医として知られる天野 篤氏と分野を超えたトップ対談。今も語り草となっている名インタビューです! (内容は掲載当時のものです)
福島 孝徳 医師 ふくしま たかのり
米国カロライナ頭蓋底手術センター所長
米国デューク大学脳神経外科教授
デューク大学やウエスト・ヴァージニア大学で教授として、欧州10カ国で客員教授として、指導を行なっている。新しい手術方法や道具を次々開発してきた。手術件数累計24,000人超。
世界一の医療水準を誇る米国の医療関係者に賞賛される世界的名医。
天野 篤 医師 あまの あつし
順天堂大学医学部附属順天堂医院 院長
新東京病院で心臓血管外科部長、昭和大学横浜市北部病院循環器教授を経て、2002年に順天堂大学医学部附属病院教授に就任。2012年2月天皇陛下の心臓手術(冠動脈バイパス手術)を執刀。心臓を動かしたまま行なうオフポンプ手術の第一人者で、これまで執刀した患者数は7,500例以上。
名医の条件
─今日は、「名医を選ぶ、名医を探す」ということを中心にお伺いしたいと思います。私たちが、この本を作ろうと思ったきっかけは、医師によってずいぶんと治療結果に差があるということが分かり、どうやったら良い先生を探せるのだろうかと思ったことがスタートでした。まずは両先生に、名医を探すための条件についてお伺いしたいと思います。まず天野先生からお願い致します。
天野 私は名医の条件というのは、キュア(治療)とケア(看護)が合わさったものだと思っています。経験と技量、知識を含めた実力のある人は、キュア一本で良いと思うのです。治療後は患者さんに会わなくても、患者さんを治してその患者さんが予後(治療後)を普通の人と同じように過ごせて、手術したこともいよいよ生涯を終える時には忘れるくらいであれば、キュア一本で良いと思いますが、多分ほとんどの医者には、それは無理です。
成功率100%を超えて、120%くらいの成功率にならなければ、多分無理です。ですから、必ずケアの部分が入ってきます。ケアの部分というのは、若い医師でもできることで、いつでも患者さんに寄り添っているような姿勢の持ち方であり、実際の行動としてもそういう部分を出すことです。治療のキュアの部分が70%くらいだったとしても、非常に手厚く良いところで患者さんのフォローをすることで、トータルで患者さんは満足できる。そして一生を振り返っても、その医師と出会ったことを誇りに思うということが出来れば、外科医としての手術の腕が、平均以上である必要はありますが、100%でなくても名医になると思うのです。
しかし、絶対的な名医は、キュア100%だと思っています。外科医である限りは、そこを絶対に目指さなければいけません。私はそこを目指してきて、良いところまで来たと思うのです。
でも、福島先生と出会ってしまったので、まだまだ頂は高いなと感じています。頂上に来てみたら、また次の頂上があった。道の途中で戻ったら頂上は極められないなと思って、今、あるわけです。
―日本では、まだまだ医師を選ぶということが定着していないと思うのですが、患者側として、先生の言われる技術のある一定以上の医師を、どうやったら判断出来るのでしょうか。
天野 今は、いろいろなランキング本や、病院のホームページに実績が出ていますから、平均以上の経験や実績の医師というのは分かると思います。しかし、実際に会ってみないと、ケアの部分で十分納得出来る医師かどうかというのは、分からないですね。
それは、是非セカンドオピニオンという方法を使って訪ねて頂いて、人間としてのホスピタリティ(心のこもったもてなし)を見て貰うということです。その人のもっている言葉と内容がきちんと重なっているかどうかということを、患者さん自身が納得して貰わないといけないですね。そのためには、職員からの情報とかも有効です。
私は、一番手っ取り早いので、患者さんに病棟に行って貰って、手術を受けた患者さんと話してくださいと言います。こういうことなどから、患者さんが納得しやすい動線とか、アプローチの良い方法を提供出来ればと考えてきました。そういうことを常に出来る人が、名医というか、少なくとも良い医者ではないかと思います。
中国では医師や病院はランキングされている
福島 日本全国のお医者さんが、トリプルA、超A級の先生であれば良いのですが、残念ながら、普通の先生、良い先生、とても良い先生、それとあまり行かない方が良いという先生もいらっしゃるので、どうしてもドクターにランキングがあります。
中国は共産主義なのに、そういう意味では進んでいます。中国の病院では、普通の病院、いわば地域の1級病院、その上の2級病院、さらに高度先進医療の3級病院ときっちり分かれています。ドクター、看護師さん、職員の給料も全部違います。政府がきちっとコントロールしています。
ドクターも、1級から5級までランクがあります。脳外科の場合は、中国はかつて2000人といわれたのが、今は、1万5000人くらいいます。それは、中国の政府が地方の救急をまかなうために、どんどん医師を増やしてしまったからです。でも、動脈瘤や脳腫瘍をきちんと治療できる先生は限られています。おそらく中国全部合わせて1000人くらいかなと思います。
脳神経外科で一番上の1級は中国で2人しかいません。特級の名医は2級、普通の専門医は3級です。普通の一般医が4級、そして、トレーニング中のお医者さんは5級で、はっきりとお医者さんのランキングが分かれています。日本でもそろそろ厚労省が、差をつけるのではなくお医者さんのグループ分けをした方が良いと思います。
日本で本物の名医は10人、世界レベルは5人
福島 普通の病気は構わないのですが、難しい病気の場合は、熟達医、スーパーエキスパートを探さなければいけない。国民の皆さんには、鉦や太鼓で、セカンドオピニオン、サードオピニオンで、達人を探して欲しいです。名医を探さなければ、困難な症例の手術ではリスクが高すぎます。日本全国で心臓血管外科医は、何人ぐらいいらっしゃるのですか。
天野 専門医で、1900人くらいいます。その中でA級といえる先生は成人対象の心臓血管外科医で10人、小児対象で10人、計20人くらいです。
福島 成人の心臓血管外科で、バイパス手術、弁置換などいろいろ手術がありますが、天野先生のご意見では10人くらいしかいないのですか。
天野 世界で戦えるレベルでいうと、5人くらいだと思います。
福島 1900人のうちで5人ですか。脳外科でも大体同じです。大体、おおまけにまけて、名医達人は10人くらい。分野にもよりますが、世界に出せるのは5人くらいかと思います。そのくらい熟達医というのは、狭き門なのです。
私が若い医師たちに言う条件は、まずスキル、手術の腕がなければいけません。その次は、学識、知識、判断力。切羽詰まったところで、パッと良い判断が出来なければいけないのですが、それを可能にするのは経験なのです。
遺伝子や細胞がどうとかいう学問の前に、豊富な臨床の学識、現場で戦える知識と十分かつ多数の臨床治療症例数の経験がなければいけません。
心臓血管外科でいうと、熟達医と言えるためには、まず何例ですか、500人ですか。
天野 豊富というと、5000例と思います。
3000例で一人前というところです。
福島 5000例ですか。私は、若い人たちに、まず一つの疾患で100人の手術を目指しなさいと言います。自分で手がけたら少し分かってきますよと。日本で、脳動脈瘤や脳腫瘍の手術を1000人、2000人をやっている脳外科医は極めて少ないです。私は毎日のように手術して、年間高難度手術を600人行なっていますから、10年で6000人です。日本は、科が散らばってしまって、病院や科が多過ぎるから一人の脳外科医が行なう手術が極めて少ないです。一人で年間100人やったら立派です。
最後に大切になるものは
福島 私は、術前管理と豊富な臨床経験はもちろんのこと、最新のマイクロ手術道具が大切だと思います。昔の手術道具では、勝てないのです。あとは本人の持って生まれた才能があると思います。天野先生も、若い人を見ていて、「こいつは仕上げれば出来そうだな」と、分かるでしょう。知識、経験、才能、道具と、それから、それらすべてを備えた上での「運」でしょうか。
天野 最後は、度胸や勇気ではないでしょうか。
誰もが出来ることを普通に出来るのが普通なのですが、誰もが出来ないかもしれないなと思うことをやって見せるという部分が名医には必要です。それにはやはり勇気がないと、そこに行けません。
例えば、自分の目の前の2メートルの溝を平地で飛び越すのは簡単ですが、地上500メートルのところで、2メートルの溝をエイッと飛び越せるかどうかということです。そういう状況に応じた勇気が出せるかどうかということが大事で、そこが出来ない人は出来ない、出来る人間は出来るのです。
しかも、もっと出来る人間はごく自然に出来る。名医の条件として、そこが大事ではないかと思います。
自分を客観視する
―天野先生の本を読みますと、「自分を客観視する」という言葉がよく出てきますが、あれはどういうことなのでしょうか。
天野 人間どうしても、特に外科医は、自分勝手になるものです。自分のやっていることを正しいと思い、自分のやっている方向へ突き進めば、必ず答えが見つかると思い込みがちなのですが、中間点、中間点で、それがエビデンス(証拠)に基づいているかどうかを確認することが大事です。これは、今の言葉ですが、若い頃は、こういう〝エビデンスベース〟という考え方がまだ不十分でしたから、教科書や自分の先輩、恩師がやっていて、上手くいっていたことに近い形で進んでいるかどうかということを、「もう一人の自分」がナビゲート(道案内)しているのです。
それで、〝良し〟というサインが出た時に、次に行く。もし、アクシデントなど、極端なとんでもない場面に出会った時には、それをどういう風に立て直すかということも、自分がどんどんその中に没入してしまうと、見つからないことが多いのです。一つ離れて見た方が、その解決方法がよく分かるのです。そういう意味での客観視というのは非常に大事です。
客観視が出来る人間というのは、一回出来たことは必ず再現出来るのです。主観的にしか物事を動かさない人は、再現性が少ないと思うし、再現性が少ないということは、個人のエビデンスが作りにくいということです。そうすると、患者さんごとに違った対応をしてしまう。
もちろん、患者さん個々人に合わせてオーダーメードの治療することは大切なのですが、それが大きく奇をてらった形のオーダーメードではいけません。例えば、洋服でも、「他の人と違うあなただけの服ですよ」と言われても、外に出て「あいつは、どうしてあんな恰好をしているのだ」と思われたら、それは自己満足でしかないと思います。
やはり、全体の中に溶け込んで、トータルな意味での予後やバランスを作るのが人間社会では大切だと思います。名医の条件の一つは、それをちゃんと提供出来るかどうかですね。
経験がものをいう
―福島先生の手術を見ていても、「ここからは危険だから進まない」という判断がありますね。
福島 天野先生は、まだお若い。私は、30代、40代、何でもチャレンジしてバンバンやっていました。今考えてみると、ちょっとあそこで引くべきだったかなと反省する部分があります。歳をとってくると、ちょっと保守的になります。
名医の条件として一番大切なのは、目の前の患者さんにとって、何をやったらベストで、私は何が出来るのかという正しい判断が出来るということです。それを支えるのは豊富な経験なのです。
天野先生は、5000例と言われましたが、今、日本でバイパス手術を5000人を経験した先生はあまりいないと思いますが。
天野 まあ、3、4人でしょうか。
福島 私が三井記念病院にいた時、心臓血管外科のすごい先生がいました。須磨久善先生というのですが、とにかく何でもやってしまうというすごくアクティブな先生でした。私もそういうタイプでした。
私は、日本では教授になれなかったのです(笑)。論文が200本あり、手術で日本一の成績を仕上げても、怪文書で潰されて。それで日本が嫌になって、アメリカに行ったのですが、結果的に見ると、アメリカに渡って大変良かったです。アメリカではここまでやらせてくれるのか、ここまで評価してくれるのか、とアメリカに大変感謝しています。日本だったら、とっくに足を引っ張られて潰されています。私は、アメリカに行って本当に良かったです。今も現役ですから。
実は、教授をしているデューク大学から、「そろそろお歳だから」と、肩たたきにあったのですが、チェアマン(主任教授)が「とんでもない。ドクター福島のお陰でデューク大学の脳外科があるので、いないと絶対に困る」と引き留めてくれました。
あと5年は、現役でいけると思います。あと2、3年でそろそろ名誉教授という話があるので、第一線は引いても、まだまだ難しい症例では、私がいなかったら出来ないからです。
患者さん自身の体力と人生設計を考慮する
福島 脳外科の場合は、アプローチの仕方がたくさんあり、侵入角度も少しのことでまったく違い、とても多彩です。私も、まだ自分が55歳のつもりでやっていますが、暦の年齢と生理学的な年齢は違います。
患者さんでも全然違います。60歳でも、身体的にはもっと若かったり、年齢以上に歳を取っていたりといろいろです。ですから手術も、高齢者でも、85歳でも、出来るという場合が沢山あります。天野先生は、どうですか。
天野 同感です。見た目の印象と、お話を通じて、患者さん自身が治療後の人生にどのくらいの時間を見ているかということを感じ取ります。福島先生がおっしゃったように、85歳でも「自分の家系は長生きだから、100歳までは自分は現役でいたいのだ」と思っていらっしゃる方もいます。日本人の平均寿命に当てはめたら、よれよれになった85歳という年齢は、手術はちょっと困難ではあります。
病院長になっても病院に泊まり込む
福島 天野先生の本を読んでいると、先生はとても親切です。こういう教授がいるのかなと思いました。天野先生は病院長になられても、病院に泊まっていらっしゃるのですね。
アメリカの医者は、一刻も早く家に帰りたいのです。ドイツに留学していた時も、「お前は帰らなければいけない」と怒られました。怠慢なヨーロッパ人ですから(笑)。
天野先生は、いつも患者さんの側にいますね。私も若い医者に、「朝に、昼に、晩に患者さんを見なさい」と言います。まあ、これは泊まり込みなさいということですが(笑)。天野教授が帰らないから、医局員も皆、帰れないのではないですか(笑)。
天野 そんなことはないです。私が病院に出来るだけいる理由というのは、一番は要領が悪いということですが、二番目は、今のマンパワーに比して患者さんの人数が多く重症度も高いので、それに対応するためです。
医療スタッフが出来るだけ定時の手術に対応できるように、予習復習をしっかりして、手術の際も自分が出来ることをしっかりして、場合によっては最初から最後まで執刀するという事も含めて、準備万端でなければならないのです。準備万端というのは、病気に対しての準備万端だけでなく、患者さんからの「信頼」を含めての準備万端ということです。それを少しでも作って欲しいのです。
変わる緊急手術の位置付け
天野 私の若い頃は、緊急手術は、ある意味、若者のチャンスの場でした。ところが、近年は患者さんが高齢化しているので、緊急手術というのは昔のように若者がトレーニングする症例ではなくなってしまったのです。緊急手術こそベテランが出て、さっと仕上げて、病院の入院期間を短くして、病院のベッドを多くの患者さんに提供出来るようにするということが必要で、そのために私は緊急要員として、病院の中、病院の近くにいたいという思いがあります。
今までの経験を、重症な緊急手術ほど生かせると自分で今思っています。これまで歴史の中で名前が残った外科医というのは、年齢を重ねるほど、緊急手術は若い世代に回すようにしていたのですが、今は、ちょうど疾患や人口動態の変わり目でそれが通用しなくなっています。そのため、新しい対応の仕方を自分が先頭に立って見つけないといけない時期です。一番トップが、いつまでも緊急ばかりやっていても仕方ないのですが、それをどこに担当させるのが、最終的に患者さんにとって利益になるかということを、今探しているところです。そのためには、病院の中、病院の周辺にいないと、答えが見つけられないのです。
タイミングもあります。1時間遅れれば、とんでもない結果になってしまうような病気もたくさんありますから、そこの判断をするためでもあります。
また、情報が大変豊かになっているので、画像や患者さん情報をどのように生かしたら一番良い結果が出せるかということを、模索している、また、出来ている自分が楽しいから、それをやっているだけです。
近年のカテーテル治療の増加
天野 日本の心臓血管外科医療の社会的背景というのは、ものすごく変わったと思います。切らなくても良いものは切らないで治すということを、外科医が認めなければならない時代になってきています。若い人に、これはなかなか伝えにくい部分なのです。若い人は、手術をやりたがりますし、患者さんを少しでもたくさん欲しいと思っています。自分も、そういう時期があったので分かります。
福島 心臓血管外科と脳外科とに共通することは、カテーテル治療の進歩です。
私が脳外科を始めた頃は、脳血管撮影というのは、頸動脈、椎骨動脈の直接穿刺からでした。日本では、私が初めて先端的なカテーテル脳血管撮影を始めました。血管内治療は、1960年代に始まったのですが、当時はまだ非常にプリミティブ(原始的)で、1980年代になって、ロサンジェルスとフランスで治療が始まり、その後、フランスでコイル法が開発されました。
ロシアのセルビネンコという医師が、1973年から1974年にかけて、超画期的で、脳の血管の末梢にまで届けマイクロバルーンを置く手術を始めたのです。私はすぐにモスクワまで見に行きました。
今、欧米で何が起こっているかというと、脳外科医が危ない手術をやりたくないという傾向が強まっています。ドイツもフランスも、手術の名手があまりいないので、ヨーロッパでは、脳血管の治療の8~9割がカテーテルになってしまったのです。アメリカ全体では、手術とカテーテルが半々になっています。
今、私がいるデューク大学は、手術が多いのですが、それでもカテーテル治療が全体の35%くらいです。私の動脈瘤手術のリスクは、1%以下です。ちょっと難しい症例でも2~3%です。
カテーテル治療でのリスクは、5~10%。巨大動脈瘤の場合、さらにリスクが高くなる上に、カテーテルではまず血管の巨大なコブは詰められないのです。だから、まだ今のところは巨大動脈瘤の場合、私に任せて欲しいと思います。
天皇陛下の場合は、カテーテル手術ではなく心臓外科医によるバイパス手術でした。東大では出来ないから、日本一の天野先生を呼んで、世界を震撼させました。
1990年頃、私がアメリカに行く頃に、新東京病院の理事長の平野勉先生から、天野先生のことは聞いていました。世界で初めて胃大網動脈グラフトを使用した冠動脈バイパスを開発した心臓血管外科医、須磨久善先生の後を継いだのが、天野先生だったのです。
循環器内科と心臓血管外科の協力体制
―心臓のカテーテル治療の進歩はすごいですね。
天野 脳神経外科の場合は、さらに専門領域が分かれています。例えば、小児の脳腫瘍などです。心臓血管外科も同じで、小児にも血管疾患があって、スペシャリストがいるわけです。
心臓血管外科では、小児の場合はほとんどが奇形です。後天的な要素のものはほぼないです。一方、高齢者は、奇形よりはむしろ動脈硬化など老化で自然に傷んだことが原因で出てくる疾患が多いのです。
自然に傷んだことで心臓に異常が出た場合は、カテーテル治療で補完出来る範囲が広いのです。今は、カテーテルで人工弁を埋めることも出来ます。例えば、大動脈瘤の中には、どんなに上手にやっても下半身の麻痺を起こすものがあるので、それを極力ほぼゼロに近い形にもっていくのに役に立つのが、血管内のステントグラフト治療(カテーテルで血管内に筒のようなものを置く治療)です。
新しい治療のカテーテル治療とうまく付き合っていき、しかも、やみくもに新しい治療に突っ走るのではなくて、欧米や国内でできたエビデンスをきちんと受け止めて使うということが大切なのではないかと思います。それが最終的に患者さんへの貢献につながると思います。
各治療のメリットとデメリットを知る
福島 天野先生がバイパス手術をバンバンされていた1990年代というのは、カテーテル治療はまだまだでしたね。
天野 再狭窄(血管が再び詰まる)ということがあったのです。あの当時は、再狭窄を防ぐ冠動脈ステントがまだ出ていなかったので、動脈硬化の強い難しい症例ほど、再狭窄率が高かったのです。簡単な症例でも、2~3割の再狭窄、難しい症例では5割以上で頻発するという状況でした。これは、カテーテル治療をしている内科の医者もジレンマに陥っていました。当時、こういったことが世界中で起きていましたから、いろいろな前向きの研究が大規模に進んで、そのエビデンスを無視できない治療体系が出来ていったのです。
その結果、バイパスとカテーテルとそれぞれ得意な分野に分かれていきました。そして世界では2000年くらいから、日本では2004年くらいから保険適用になり、薬剤溶出型ステントという、免疫抑制剤を塗ったタイプのステントが出てきて、これで再狭窄率がぐっと下がったのです。
ところが、一方で血管の再構築というか、内皮が覆わない状況があったので、実は突然死が増えた時期もありました。その後、抗血小板剤がものすごく良くなって、薬とステント治療で、内科医は「切らないでも治る」ということを前面に出して、カテーテル治療を今まで以上に広げていったわけです。それは、世界共通の動きです。
われわれからすると、一生、薬でしばられるという状況を作り、患者さんにとっては決して喜んで受け入れられる治療ではないと思っていたのです。しかし、やはり対象とする患者さん自体がどんどん高齢化していくので、受け入れられる例が広くなり、過去にガイドラインで作った手術適応やカテーテル治療適応が、20年経って逆転しています。
つまり、以前は手術できない症例がカテーテル治療になっていましたが、今はカテーテル治療ができない症例が手術となっています。心臓血管治療は、このように変わってきています。だから、これはもう一度、歴史の中で変わるかも知れません。冠動脈に関してはそうなりましたが、弁膜症も以前は手術でしか治療できなかったものが、カテーテルで可能になりました。しかし、これもカテーテルで治療できないものが、手術に戻ってくるという可能性はあります。カテーテルは大動脈弁だけではなく、僧帽弁でも始まっています。頸静脈と頸動脈と両方です。
米国で脳神経外科の手術が減っている要因
福島 とにかく、カテーテル屋さんはものすごいビジネスです。ですから、ドクターより、ビジネスが後押しします。脳神経外科の場合は「一回の手術で全治するのが良いか」、それとも「カテーテル治療で一生、血管撮影をしなければいけないのが良いか」ということになります。
例えば、脳動脈瘤にはA・B・Cのレベルがあります。Aの場合は私には簡単で片手でも手術ができるレベルです。Bも手術でしょう。カテーテル治療の場合、動脈瘤が消えるのが、Aで7~8割。Bは6割。Cレベルになるとコイルなどでは血管のコブは詰められないのです。今はパイプラインとか、シルクとかバルトなどすごいステントが出てきて、場所にもよりますが少し成績は上がってきています。
しかし、成功率を考えた場合はリスクが10~20%あり、Cレベルの動脈瘤では成功率が30%です。私の手術では成功率が99%ですが、患者さんに「どちらを選びますか?」と説明しています。
今、ヨーロッパ人はたるんでいます。医療が非営利化して、手術をしてもお金が儲からないから、面倒な症例は全部カテーテル治療に送ります。ですから、ヨーロッパでは脳動脈瘤の治療は8~9割がカテーテル治療になっています。アメリカでは、説明したように、半分半分と言っていますが、クリッピング手術はカテーテル治療よりもはるかにリスクが少なく成功率が高いので、福島先生に任せてくれませんか、と言っています。
私はアメリカで治療を始めて、今年で26年目になります。来る日も来る日も、危ない症例をやっていますが、私はアメリカで一回も裁判沙汰がありません。では、それで満足するのかというと違います。「なんでこうなったのか、患者にも家族にも申し訳ない」という症例が年間で1~3例あります。ゼロにはなりませんが、それは0・3%~0・5%のリスクです。患者さんには「福島先生がやっても1%のリスクがありますよ」と言っています。
でも、天野先生もそうだと思いますが、「絶対に諦めない、成し遂げる」という強い不屈の精神が必要です。今回の来日でも毎日、手術をして1週間で25人を手術しましたが、全勝です。相撲なら朝青龍や白鵬よりもっと上の、私は1000連勝、2000連勝だというぐらいのガッツがあります。だから休んではいられません。
ただし、脳神経外科同様、天野先生もこれからはカテーテルとの競合になると思います。カテーテルでは治療できない、超困難な症例が天野先生に集まるだろうと思います。
天野 今、すでにそうなっています。それは「受けて立つ」ところです。しかし、私は福島先生とは逆の考えです。全勝で患者さんを全部、助けられたら良いと思っていますが、心臓血管外科はリスク判断が客観的にできるようになりました。高リスクの方は手術では亡くならないですが、残念ながら全身的な合併症で亡くなる場合があります。
高齢化で新しい心臓血管外科のあり方を模索
福島 天野先生に質問があります。あと、10~15年で従来の心臓血管外科の状況は変わると思いますか?
天野 変わると思います。この10年でも変わりました。日本だけでいうと社会の高齢化です。我々が対象とする患者さんが減ってくることは確実です。病気が増えても、カテーテル治療や薬など、新しい治療体系が出てきます。ですから、手術対象は減っていくと思います。しかし、日本でこれまで積み上げたエビデンス、技術、経験はアジア諸国で十分に活かせると思います。
それを、どのタイミングで、①シフトするか、②乗り込んでいくか、③アジア諸国の患者さんを受け入れていくか、という三つがバランス良くいった時に、また違った心臓血管外科の治療が出てくると思います。
中国は生活レベルの差が幅広いので、それよりも東南アジアの新興国や、国が医療に対して理解がある国、医療を支援する国などを対象に、国際貢献的な医療がどれくらい広がっていくかという部分にかかってくると思います。
福島 今の段階でリスクと成功率から見た場合、例えば弁置換はカテーテル治療と手術の割合はどれくらいですか?
天野 弁置換に関しては、カテーテル治療はものすごく高額です。手術とカテーテルでは250~300万の差があります。安全の為に費用をかけても良い患者さんのバックグラウンドはほぼ決まってきています。そこだけにカテーテルを使う。そうでない患者さんには通常の手術をするというのが、今のコンセンサスになってきています。
福島 人工弁でやって成功率は良いですか? 私は患者さん自身の弁を上手く形成した方が良いのではと思いますが。
天野 日本では、心臓血管外科医による弁置換は、成功率が高いです。また僧帽弁は自己弁形成法も確立してきています。福島先生の領域でも同じだと思いますが、一つのカテーテル治療が確立すると、もっと新しい治療が必ず出てきます。そうすると、その繰り返しで、新しい治療法のコストが一気に下がることはありません。常に高い価格治療費の水準で技術が進みます。
ですから、カテーテル治療の費用効果が高いかというと、実際はそうではないと思います。外科医がその部分をコストカットして、医療費の社会還元というか外科治療で良くなった患者さんが医療費の構築に貢献してくれるサイクルを作っていくことが、外科医の仕事だと思っています。内科医はどちらかというと消費型の医療になっていくと思います。
福島 バイパスに関してはどうでしょうか?
天野 バイパスも同様です。四半世紀前のバイパス手術は、動脈硬化の治療でした。ある一定期間のみに有効な補足的な治療とされてきました。今は自身の動脈を使う治療になってきて、かなり根治的な要素が入ってきました。ですから、一回手術をしたら再治療は必要がないという患者さんが増えてきました。そういう意味で、日本が独自のスタイルで作ってきたバイパス治療は国際的にも評価されているし、生き残る部分はあると思います。
切りたくないという患者さんの切実な思い
―患者側の希望として「できれば、カテーテルにしてほしい、手術はしたくない」というのがあると思います。
天野 その「手術はしたくない」という発想を誰が植え付けているか、という問題です。外科医は手術を否定していません。しかし、手術を否定する人間が医療者サイドにいるから、カテーテル治療にシフトしていきます。その手術を否定する理由が純粋な医学的エビデンスではなく、何か違う力が囁いて後押ししていると思います。
―そういうカテーテルと手術のリスク、利点をバランス良く提示してくれる医師が良いと思います。
福島 それはチームワークです。私の意見は、循環器内科のカテーテルの専門家、薬治療の専門家、心臓外科医の専門家がチームでディスカッションし、順天堂大学としてはこれをお薦めしますという形であるべきだと思います。
例えば、天皇陛下の場合も2~3年は薬の治療をされていたと聞きます。それでは限界があるので、内科の専門医が「これは手術しかない」ということになれば、日本一の心臓外科の先生を呼ぶことになります。私は循環器内科しかやらない病院ではなく、それぞれの分野がチームとして、「この患者にはこの治療が最適だろう」という結論を出すべきだと考えます。しかし、患者さんがカテーテルを希望するなら、そのリスク、ずっと抗凝固薬を飲む必要があるし、血液が凝固したら脳出血のリスクは数%ありますということや、対して手術では一回で全治することができます、ということを説明すべきだと思います。
天野先生はAnticoagulants(抗凝固薬)をほとんど使わないでしょう?
天野 ほとんど使わないです。
福島 天野教授の場合は、ほぼ常に治療結果が良い。昔は大腿部から静脈血管を持ってきてバイパスした場合、その静脈の寿命は10年といわれていました。詰まってしまい再手術することが必要でした。
私も頭の中で、もっといい方法がないかと常に考えています。自分の身体の中には10カ所くらい自己ドナーとして使えるものがある。しかし、移植する場所との相性が問題です。あとは心臓外科でも肋骨をわずかに切る低侵襲治療(肋間小開胸など)があります。心臓外科もまだまだ進歩するでしょう。しかし、私はまだ、手作業の技だと思います。
―切りたくないという気持ちは、脳神経外科の患者でも同様だと思います。
福島 確かにそれはあると思います。
心臓血管外科分野では、詰まった冠動脈を広げるのがカテーテル治療の役目です。ただ、それにもリスクがあります。血管が破裂したり、出血したり、詰まった血栓が移動して心筋梗塞が起きる可能性もあると思います。脳の動脈瘤においてカテーテル治療はものすごくリスクがあることを知ってください。しかし、カテーテルの医師はあまりリスクを説明していません。正直でないと思います。
Aクラスの単純な動脈瘤でもリスクが5~10%はあります。Bクラスは10~15%。Cクラスの高難度動脈瘤では30~40%以上のリスクがあるのに、それを患者さんに「試しにやってみましょう」という医師がいます。私は「○○先生、できないことが分かっているのになぜ私を呼んでくれなかったのか」と思います。治療して車イス、寝たきりになってから私に相談されても困ります。
Cクラスになると本当に高度な技術が必要になります。患者さんを臨床実験のように扱って、ステントとコイルを使って、血管のコブを詰めようします。そうすると脳幹梗塞になる可能性があります。脳底動脈のカテーテル治療はデューク大学でもリスクは50%です。私は正直に生きたいので、福島先生のマイクロサージカル・フローダイバージョンのバイパス手術は140例中、麻痺が1人。死亡率はゼロですと説明しています。すごく良い成績で最近やっと論文を出したところです。
天野先生のバイパス手術もリスクは1%以下です。3000人に1人ですから。そこまでの成績が出ているのに「それでもあなたはリスクの高いカテーテルをやりますか」ということです。ただし、患者さんとしては開けたくない、開頭したくないという気持ちは良く分かります。しかし、そのリスク、成功率などを丁寧に患者さんに説明すると、患者さんは納得して手術を選択します。
私が説明して、それでもカテーテル治療を選んだ人はおそらくいないと思います。医師は説明不足です。患者さんに親身になって「自分の愛おしい家族だったら」という気持ちで説明をしているかということです。それくらい、脳のカテーテル治療に関してはまだ危ない、リスクが高いことを知ってください。
天野 心臓もバイパス手術に限っていうと、例えば、天皇陛下の手術を執刀した翌年、症例がものすごく増えました。世の中にメッセージ性のある成功例や身近な人の成功例があれば、手術を望まれる方が増えていくと思います。
ところが逆に、一人でも知っている人が「上手くいかなかった、手術したが思わしくない」となれば、そのネガティブ効果はとても強くなります。成功例よりも失敗例の方が2桁以上の影響力があります。そうすると、症例数の多いカテーテルにどうしても患者さんはシフトしていくと思います。
天皇陛下の手術
―陛下はカテーテル治療ではできなかったのですか。
天野 できないことはありません。後療法の問題があり、手術の方が良いという結論になったということです。カテーテル治療による抗血小板剤によって、脳出血が起きる可能性があってはならない、脳出血のリスクはゼロでなければ困るということで、出血傾向のある薬を使わないことを前提にすると、バイパス手術しか選択はありませんでした。
現在の治療の割合
福島 脳神経外科の分野では、脳腫瘍に対して内視鏡や放射線治療をしていますが、私は、そんな無駄で危険なことは止めてくださいと言っています。
心臓のカテーテル治療と心臓血管外科で、今の弁置換と冠動脈の患者さん数は、五分五分ですか。心臓血管外科は、これからもなくては困りますよね。
天野 冠動脈は、比較的外科手術が多い病院で1対8くらい、逆にカテーテルの強い病院だと1対40くらいです。そのくらい、手術が少ないです。弁置換の場合には、ヨーロッパのカテーテル手術が進んだところで、4割くらいがカテーテル、日本の場合は1割くらいです。9割くらいはまだ手術です。
どうしても、心臓の弁は年齢とともに傷んできますので、弁置換手術は大切です。若い早い時期に初回の弁置換を受けた人は、人生80年、90年という時間の中では、2回目の手術が必要になってきます。
福島 弁置換の方が心臓血管外科のメジャーな手術になっていきますか。
天野 いや、それは分かりません。今だから増えているわけで、いろいろな一次予防が進めば、病気自体が減りますから。この順天堂大学病院では、1対8くらいです。
自分を超える義経を待つ弁慶の心境
―次は医師の育成についてです。福島先生があと数人、天野先生が数人いれば、先生方が病院に泊まることなく、たくさんの患者に良い医療を提供できると思います。
天野 その話はよく出ます。それはもう少し目線を変えて考えることも大切だと思います。我々が積み上げてきた結果、患者さんに出来た貢献がありますが、それを凌駕する人間、成績が出れば良いのです。つまり、手段、方法、アプローチは我々がやってきた方法と違っても構わないということです。要は結果が大切なのですから、そこに到るためのいろんな発想があって良いと思います。
ただ、アメリカだったらお金が払える人にはどんな治療も提供します。しかし、日本は違います。私は今までに手術していない患者さんを含めると1万人くらいを診断してきました。その中で最初から「全部の医療を自己負担でお願いします」と言ったのは1人だけでした。
どんな大企業のオーナーでも保険証は必ず出してきます。つまり、日本人のほとんどは、お金に糸目は付けないから最良の治療を受けたいというのではなく、保険という制限内での治療を求めているということで、それが一つの日本の文化といえます。宗教以上に保険診療は日本に浸透しています。それが、当たり前のように使えるものと思っています。
今は混合診療、先進医療など保険診療の外枠にあるものがあります。しかし、私はこの保険スタイルをしっかりと守って、その中で精一杯できることを提供することをやってきました。それでもだめだったら、その次の手段を考えましょうということです。
こうしたことを全部含めて、我々がやってきたことを凌駕する人間、方法が見つかれば良いと思います。そこは福島先生と共通ですが、自分が現役で働けるうちは、京都、五条大橋の弁慶が、自分を超える義経を待ち続けるような心境です。
薬の進歩で変わる治療体系
―手術をしなくて済む時代はまだまだ先ですか。
天野 それは薬の進歩にかかってきます。それと20代から動脈硬化や高血圧にならないように、塩分制限、贅沢(過食)はしない、昔の野菜と青魚中心の食事で塩分制限して甘いものは食べないという食生活の教育を国民が受けることが重要です。
―昨年(2016年)は癌治療にオプジーボなどが出て大きな話題となりました。心臓、脳の分野でこれから注目される治療は何ですか。例えば、ゲノム編集なんて未知の分野だと思いますが。
福島 薬の進歩はものすごいので、動脈硬化の予防剤(スタチン)から始まったものは画期的なノーベル賞ものです。これももっと良い薬が出ると思います。あとは、ゲノム製薬、遺伝子治療といろんなものが出てきます。薬は進歩し、カテーテルも進歩します。
自分の理想、到達点のみイメージする
―医師が寝ないで働き、病院に泊まって、達人になっていく過程をたどる若い医師はもういないのではないかと思います。何か別な教育システムが必要ではないかと思います。
天野 そういう芽をもった医師は育っています。しかし、自分と同じになって果たして良いのかという疑問があります。これは、私が成長した時代と対象となる患者や社会の状況が違うからです。経済でいうとマーケットが違います。これからは違うマーケットなのに、私を目指して良いのかという問題です。
若い医師たちは彼らなりの独自に考えたトレーニング、キャリアを積んで、将来の心臓外科の医療の対象は、たぶんこうなっているだろうというところにフォーカスして、途切れのない進化を目指すのではなく、飛び石で構わないので、そこにドーンとちゃんと当てられるように準備をしていなければいけないと思います。
将棋で言うと、桂馬のような考え方が出来るかどうかです。
今、私たちがやっていることを追いかけて行って追いついたとしても、その時点では、恩師はもう老いぼれになっていて、そんなのに追いついても何の意味もないという状況になっていることが、外科の世界では、ほとんどです。それより、違うものを見ている人間が、やはり次の世代を支配するのです。今、うちの若い連中には、私自身がやっていることは、一つの例と考えて勉強するようにと言っています。
―AI(人工知能)を使い検査するということが試みられていますが、こういうものをどんどん取り入れるということでしょうか。技術を極めるというのも大切ですが、コンピューターの活用で、人間のミスを減らしていく方法もいろいろあるのではないかと思いますが。
天野 外科の名医を極めるとは、ある一定の作業を集中して持続的にやるという能力、頭を使わないで、眼から情報が入って、手がもう勝手に動くというように自分をマシーン化出来るかどうかということです。頭を使う時には、ものすごく大きな経験をひっぱり出してきて、出会ったことのない状況とか、突発的な状況に対して、その経験を有効活用するという、そういう使い分けが出来ていることをベテランという形で、表現されるのだと思います。
しかし、これからの若い人たちは、そうではなくて、そういったものも、場合によっては一つのシステムの中に入っていて、それを動員する能力が高いかどうかということです。
あとは、ナビゲーション、いろいろな探知能力を、機械を含めて高めて、間違いがない方向にもっていけるかどうかです。
私自身は、10代の頃にやっていたパチンコの技術というのは、吻合にものすごく役に立っていると思います。今の人たちだったら、携帯のアプリ、ゲームの手先の動きが、将来の迅速なコンピューターワークというか、ロボティックな動き、例えば全部AIで動かしていて、何か人間が介入しなければならない時に、それが出来るところにつながるかもしれません。そういう風に思っています。
彼ら独自で、これは生かせるというものを見つけられたら良いのですが、生かせるものは、大体振り返ってあれだったなと分かることが多いのです。経験を振り返ってみて、あれが今に生きているなと分かるものなので、今から予測するのはなかなか難しいです。多分、これはずっと人類の歴史の中で変わらないと思います。
だから、将棋の桂馬みたいにどこかに置いておいて、王将がそこを通ったらアウトというものを見つけて欲しいです。
―到達点だけを、イメージするということですね。
天野 それが今の若者には大事ですし、そういう考えを持った若者が少ないということを憂いています。
次世代の名医を育てる
福島 脳外科の場合は、頭蓋底脳腫瘍、脳幹の腫瘍を見ていたら、ああ、もう5~6年しか持たないなというのが、やっぱりあるわけです。そういう難しい手術、そして頭蓋咽頭腫とか、松果体腫瘍とか、脳室内腫瘍とか、傍脳幹腫瘍とか、これはやはり超ド級の、トリプルAくらいの、技術と経験がないと出来ません。脳外科のマイクロ手術が、福島先生でなければ出来ないというのでは困ります。そこで次の世代の名医達人を育てることを、私は全世界でやっています。
スカンジナビア半島、ドイツ、イタリア、フランス、ベルギー、ギリシャ、チェコ、そして東南アジア、中国でも、現地に行って教えています。福島の技術を分かってついてきてくれる次世代の達人を作るのに、情熱を燃やしています。
世界に出せる福島手術のDVDが60本くらいあると思いますが、それと教科書を作っています。普通の教科書ではないです。手術のマニュアルです。大変なお金と努力がいります。
努力できるかどうか
福島 天野先生の次を継げるような達人は、育っていますか。
天野 私は今61歳ですが、私の40歳の時代と比べると、決して引けはとらないという人間は複数います。ただ、彼らがこれから、40歳からの20年間で努力するかどうかで、外科医の将来はまったく違ってしまいますから。
福島 次世代の達人が作られるために、一番大切なのは努力なのです。人の2倍働いて、3倍努力するということです。人生は、一に努力、二に努力、三に努力、四も努力、全部努力というくらい、努力しなかったら、自分でメチャメチャ訓練しなかったら上手くならないです。
それから、良い師匠につくことです。オリンピックでもコーチが大切です。
天野 あとは、社会の中で認められるポジションと経済的なバックグランドが一緒にないといけないと思います。欧米では、アクティビティーが高ければ、経済的なものはついてきますけれど、日本では決してそうではありません。しかし、それもやり方なのです。それも指導者の役目です。
―現状の国民皆保険の中で、ドクターチャージがなくてもそれは可能でしょうか。
天野 出来ます。ヨーロッパがそういうスタイルです。大学病院で働いて、そこでの働きを十分して、残りのプライベートな時間を使って、他の病院で教育や手術することは受け入れられています。
グループ診療も含めてきちんと正規に出来ますが、それをしている教授はほとんどいないと思います。全部自分の利益にしているか、何もしていないかのどちらかでしょう。
日本の医療の将来
―これからは、患者さん側も努力しなければならないと思います。これからの時代は、予防の方に切り替えていかなければいけないと思いますが、予防医学についてはどうでしょうか。
福島 医学部での教育が、医学は教えても医療を教えていないので、教育システムを変えていく必要があります。また、患者さんも、健康な食習慣と、絶対にタバコを吸わないという、ガイドラインを作っていかなければならないと思います。
天野 私は、どちらかというと、それほどストイックでなくても良いかなと思います。普通に食べたいものを食べて、したいことをして、それではみ出したところをサポートするのが医療の役目ではないかと思います。医療はサービスという面がありますから。患者さんにぎちぎちにやって、あなたダメだからと、ダメ出しするのではなくて、やはり「来ちゃいました」という患者さんを、握手で迎え入れるような医者、そういう心を日本の医療の中には残したいと思っています。
日本は豊かになって平和ですし、だからこそ、日本に外国の人もたくさん来ます。その中でも、医療の質を落とさず、医療の提供に関しても、公平かつ公正に行なわれているということを、これから世界の手本として示していく良い機会なのではないかと思います。
その延長として、日本の医療が、持ちつ持たれつで、日本という国が存続するのに必要なアジアの近隣諸国と仲良くやっていくためのポイントとなっていくのだと思います。
ちょっと大きいのですが、そんな夢を描いていて、その中で、自分が何を出来るかというのを今考えているところです。
福島 私たち日本の達人、医療関係者が、日本とアジア諸国の橋渡しになっていければと思います。
尊厳死、高齢者の医療の今後の課題
―高齢者の医療をどうするかということが問題になっています。例えば認知症の方を手術するのか、あるいはもっと進んだ話として尊厳死の問題があります。これはアメリカと日本では大きく違うところです。福島先生、アメリカの現状を説明してください。
福島 アメリカは非常に実利的な国で、心臓は動いているが、脳は機能していない状態を「この患者さんは助からない。心肺停止後、蘇生して植物人間」と判定します。脳死というのは脳幹まで全部が死んでいる状態です。一目見たら分かります。日本は脳死の判定が厳し過ぎます。
アメリカの場合には脳外科の専門医とICUのクリティカルケア(重度症例の集中治療)の専門医、この2人が「脳死」と判断すれば、牧師と移植のコーディネーターが来て、家族を説得します。「息子さんはすでに亡くなっています。心臓はポンプで動いているだけで、首から上は死んで機能していません。ですから、社会のために役立てましょう」と話します。そして、移植に使える臓器を持って行きます。
今のアメリカは、さらに進んでいます。脳幹は生きていて、自分で呼吸ができるし、家族にもわずかな反応を示す人がいます。完全な植物人間と別に半植物人間状態(Minimum conditions for vegetative propagation)の人がいます。その場合は、家族と弁護士が立ち合いのもとに安楽死ができるようになりました。この時、「本人の意思がないのではないか」ということを避けるために、全米で生存中に「リビング・ウィル」を義務付けました。私も持っています。「私は意識があっても、半身麻痺でも、自分で食事ができないような寝たきりになったら逝かせてください」ということにサインをしています。
アメリカで免許証を取りに行くと、「あなたは脳死や重大な後遺症を受けた場合に移植に同意しますか」ということを書かなければなりません。私はイエスとサインしています。
―天野先生、日本ではどういう状況でしょうか。
天野 日本ではまだ難しい部分があります。我々が治療の対象にする、例えば80歳代の患者さんの家族は40~50歳の働き盛りの人たちです。その年代は学歴と収入がパラレルになった世代です。要するにお金をかけて塾に行き、良い学校に行き中高一貫教育などを受けた、今までとは違う教育を受けた人たちです。それが家族にいますから、やはり「生かしてください」という家族が多いわけです。
それについて、心臓血管外科の場合は先ほども言いましたが、客観的なリスクスコアが出ています。我々の例でいうと「手術の死亡率が20%」となると、実際に観察される死亡率が50%以上になることもあります。そのことを家族にお話しし、「手術自体がとどめを刺すようなことになるかも知れない」と説明します。実際にそういうことがあるわけですが、「それでも手術してほしい」となるか「このまま一日でも長く生きられるようにしてください」ということになります。
正直に自分たちの実情を話して、保険診療の中でどういうことができるかを説明して、決めてもらう形にしています。それが医療安全上、日本でもっとも平均的な対応だと思います。
その後、治療した80歳以上の患者さん、例えば病院にストレッチャーで運ばれてくる人が家に帰れる確率は25%くらいしかありません。75%は療養施設に行くか、寝たきりになります。それでも「生かしてほしい、少しでも一緒にいる時間があるなら、そうしてほしい」という家族の頼みを我々は断り切れません。
心臓疾患のある後期高齢者には元気な人が多いわけです。20代から働き始め、国民健康保険料を国に納めて、税金を納めて、国民としての義務と労働と納税を果たしてきたわけです。そういう人がいよいよ心臓の手術が必要になって、かなり高い確率で社会復帰できるとなったチャンスの時に、これまで義務を果たしてきたのだから、私個人としては、納得する医療を受けられるようにしたいと思います。
患者の人間的尊厳について
―患者サイドの話なのですが、年配の患者さんに対して、子供に接するように話しかけたりしているのを見ると、患者の尊厳、人間の尊厳というものが、医療の中でもう少し必要だと思います。治ることはもちろん重要ですが、その前に、一人の人間として扱われなければなりません。医師や看護師の横柄な態度がいやで、検診に行かないという人が現実にいます。
天野 それは、かなりスタッフには注意しています。逆に患者さんには、「そういった若い世代と接することが出来る、直接スキンシップでケアして貰える、多分最後のチャンスですよ、大事な時間なので、楽しんでください」とそんな感じで話をします。
福島 名医の条件の一つとして、パーソナリティーがあります。非常に技術があっても、はなから威張っているとか、患者さんにあまり説明をしないというのはいけないと思います。私は患者さんに対して、三つのS、親切、誠実、正直でありたいと思います。
名医の条件の最後にくるのは、人格、品格です。親切で、よく説明してくれて、患者さんに、家族に親身にする。私は職員に常に言っています。「患者さんには親切にしてね」と。患者さんは何も知らないわけですから。国立病院とか都立病院に行くと、かなりぞんざいな方が多いのです。「この検査にはどこに行ったら良いのですか」と患者さんが尋ねても、自分で探しなさいとか、床の線をたどって行きなさいとか。スタッフが、出来ればついていってあげるというくらいの親切さがないといけないのです。
言い方一つとっても、患者さんによって受け取り方が違うなと思うので、その言い方も医師の勉強の一つです。皆さんから、患者さんから、国民から慕われるパーソナリティーがないとだめです。名医の条件です。
―手術の際、患者は基本的に全裸で受けるわけですが、布一枚でもちょっとかけてくれたらいいのにと思います。麻酔をかけられているとはいえ、患者がモノのように扱われ、人間性が蔑ろにされているような感じを受けてしまいます。透明のガラス越しに家族に手術風景を見せている病院もあり、患者の体は基本的に布で覆われていますので、現実にできることなのです。そういう意味でも、もっと改善があってもいいのではないでしょうか。
福島 昔と違って、現在では患者さんや家族のプライバシーは非常に良くケアされ、守られています。病室や看護ステーションでの患者氏名、病名は完全に厳しく守秘することになっています。手術室に向かうストレッチャーの上でも、手術台に移す時でも、ガウンブランケットでのカバーは絶対に行なわれていることで、患者さんの人間性は十分尊重されています。特に米国では、プライバシーアクトという法律で患者さんの尊厳は十分に保持されています。
天野 現在は使い捨て衣料も普通にあるので、病室で患者さんがそれに着替えて出棟し、全身麻酔後に裸にして消毒という方法もあるかと思います。ほんの少し気遣いを加えることで患者さんの満足が得られるなら、行なうべきと考えます。
未来の治療について
―せっかくですので、今後の外科、それぞれの分野の治療がどのようになっていくかということ、3年、5年後の医療について伺いたいと思います。50年というと、もう先過ぎると思いますが。
福島 私は、ナビゲーションシステム、3次元空間認識技術を手術分野に導入する初期開発に携わり、1980年代、当時世界初のナビゲーションシステムを発表しました。
頭蓋底脳腫瘍は非常に奥深く、腫瘍全体を把握する事が難しいことが多いため、手術中にどの程度の深さに到達しているか、腫瘍をどの程度摘出しているかを、この3次元立体空間把握のできるナビゲーションシステムによって、前もって撮影してあるMRI、CTの画像と組み合わせる事で適切な位置の把握ができるようになりました。心臓や肺の場合は動いているので、こういうシステムは難しいと思うのですが、頭は固定していますから、こういうシステムに向いています。
その他には、インドシアニン・グリーン(ICG)があります。ICGを静脈注射し、手術用顕微鏡で特殊なビデオカメラを用いて観察すれば、血液の流れている部分が観察できます。
術中ICG血管撮影を使用することで、脳動脈瘤クリッピング術による脳動脈瘤閉塞や血行再建術後の脳の血流状態等をリアルタイムに確認できます。
今、ロボット手術が始まっていますが、脳神経外科はミクロ単位なので、今の段階のロボットではまだちょっと使えないと思います。脳神経外科の世界では、3年、5年後、10年後は、まだ、超微細な腕の勝負、指先の勝負です。30センチの塗り箸で、大豆とか米粒をパッパッと移動させるような器用さが必要なのです。吸引管、バイポーラ、鋏の使い方などは、全然違います。ハイテクはもう入ってきていますが、10年、下手すると50年は、脳外科は指先の勝負になるのではないでしょうか。
最先端医療を適正に使う
天野 心臓血管外科も、AI(人工知能)など、これから取り込めば進歩につながる部分はたくさんあると思います。ただ、福島先生も同じだと思いますが、脳神経外科医のキャリアが長くて、振り返った時に、今に至るエビデンスというか、今でも通用する確固たる信念を、事実とともにお持ちだと思います。その土台を否定してまで新しいものを取り込まなければならないかというと、私は決してそうではないと思います。その部分は、ずっと残ると思います。
残す部分は何か、これから変えていかなければならない部分は何か。それは、病気が変わる場合もありますが、患者さんのバックグランドで変わる可能性があります。
先端的な医療を応用するターゲットを絞り込まなければなりません。
患者さんに対して負担が少ないとか低侵襲という言葉が流行っていますが、あとは人工組織など、チャーミングな言葉がありますが、患者さんが自分の治療はそういうもので全部済むのではないかと勘違いして来られることが多いわけです。それに対しては、我々の業界で正確な情報を発信して、最も先端的でなおかつお金のかかる医療は、こういう場合に有効で、エビデンスもあるんですよということも、伝えていかなければいけません。
福島先生は、アメリカで治療をされて、キャリアの中でずっとアメリカ型の医療の実績を多く積まれてきたと思いますが、私は日本でずっとやってきて、日本のバックグランドというのは、国民皆保険ですから、この中で、出来るだけ多くの患者さんを仕上げなければならないと考えて取り組んできました。
しかし、国民皆保険には医療上の制限があるので、それを取り払うためには、世界の最先端医療も見ていかなければなりません。ですから、私は、最先端医療を適正に使うということを、一番守らないといけない立場にいると思います。
それは、患者さんを呼び込むということではなくて、次の世代、その最先端医療でないと助からない患者さんをちゃんと助けるということを曲げないためにも、今、正にしっかりやっていかなければならないと思っています。
心から、福島孝徳先生のご冥福をお祈りいたします。