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書評「トーラーの名において」(1/9)

「トーラーの名において」ヤコブ・M・ラブキン著 菅野賢治訳 平凡社2010年

 この本は2004年に出版され、2010年に日本語に翻訳出版された。翻訳出版の時には来日しており、いくつかのインタビューも聞いていた。しかし「トーラーの名において」を読まずじまいだった。イスラエルの建国記念日の日は、パレスチナ人にとって、彼らの土地が略奪され、多くのパレスチナ人の命が奪われた「ナクバ(大惨事)の日」と言われる。イスラエル建国記念日は、ユダヤ暦のイヤール月の5日とされるため、太陽暦に直すと毎年日付が変わる。したがって2023年の「ナクバの日」は5月15日(月)。

 去年は5月5日で、ドラムのHIKOさんと「ナクバの日」のライブをした。

 今年の2月11日の建国記念日に公演したハイパー能「長髄彦(ながすねひこ)」も、神武が日本を建国したことを今の日本人に祝ってもらう建国記念日に、神武に殺された長髄彦の魂を甦らせる能だった。私にこの作品を書かせてくれたのも「ナクバの日」のあり方を知ったからかもしれない。

 イスラエル軍は、パレスチナ人の土地を略奪し、多くの人々を家から追い出し、村を消滅させ、多くのパレスチナ人を虐殺した。アラブ圏の人、イスラーム圏の人々もそのことに抗議をする。それ以外の地域の私だって、抗議する。

 イスラエル人は、「聖書に書いてあるから」そして「私たちは第二次世界大戦でひどい目にあったから」だから「ここに住んでもいい」と。この理屈は通りません、とイスラエル人以外の人々にとっての常識は、イスラエル人には全く通じない。理路整然と「ここに住んでもいい」と言う民族国家の主義主張をまくし立てられる。この主義の内容がシオニズムである。

 このシオニズムに、最も緻密で相手の懐までナイフを突きしてきたのは、ユダヤ人そのものだ。1948年イスラエル建国前夜の史実を徹底的に調べあげた著作がイラン・パペの「パレスチナの民族浄化」(2017年法政大学出版局)。ならば、ユダヤ教の聖典「トーラー」、口伝律法書「タルムード」、そして現代に至るまでの多くのラビ(ユダヤ教の宗教的指導者)の言葉をもって、シオニズムがユダヤ教の精神に反していることを著したのが、「トーラーの名において」だろう。シオニズムをユダヤ教の信仰をもって突き崩そうとしている。

1.「タルムードの三つの誓い」

 バビロニア・タルムード「ケトゥボット」には、民として自律を獲得しないこと。たとえほかの諸々の民の許可が得られても<イスラエルの地>に大挙して組織的な帰還を行わないこと。諸々の民んい盾を突かないこと。が上げあれている。

2. 「メシアの姿」

 メシアはきわめて貧相で質素な人物として描き出されているモーセになぞらえる。モーセ五書の中でメシアはロバに乗ってやって来るとされる。それはメシアが神の前で常に腰を低く保つ存在であることを強調しているからである。このことからモシェ・ソベル(1955〜2006)は

「自分の気にいったとおりになんでもやることができると思い、あらゆる疑惑に屈し、馬鹿げた自己権力の増大に躍起になっておきながら、自分たちは、<全能の神>にコネを持っているのだから罰を受ける恐れもないと言う態度こそ、宗教信仰の正反対の位置するものである」

モシェ・ソベル(1955〜2006)

3. 「紀元1世紀 ローマ軍によるエルサレム包囲」

 バビロニア・タルムード「ギティン」より。ローマ軍に包囲された時、ラビたちは言った「ローマ人と和平を結ぶためにここから出してほしい」すると反抗者たちは反対した。反抗者たちは「ローマ人と戦争をさせてほしい」と言うとラビたちは「それは不首尾に終わるだろう」と答えた。すると反抗者たちは、小麦や大麦や木材が蓄えられた倉庫に火を放ち、町中に飢餓が広がった。イタリアのオヴァディア・セルフォルノ(1470〜1550)を始めとするタルムードの注釈者たちは、「ラビに耳を傾けていたら、エルサレムの神殿は今なおそびえ立っていただろう」と。あらゆる集団武装行為に対する警告がここに凝縮されている。

 この経験よりセフォルノは真に強い人間の定義を打ち出した。「強い人間とは誰のことであるか?それはみずからの悪しき性向を制御できる者のことである。聖書にかく述べられている。『怒りを遅くする者は勇士に優り、己の心を治むる者は城を攻め取る者に優る』これは箴言(しんげん)16章32節からである」

4. 「ユダヤ教徒のあるべき姿」

 バビロニア・タルムード「イェヴァモット」には、慎ましくあること、慈悲深くあること、善の行い手であること、この三つを掲げる。その姿の者の声を神は絶えず聞いている。アルファベットを順番に頭文字として、23節のダビデの詩とする詩篇34章。そして15節に「悪を避け、善を行い、平和を尋ね求め、追い求めよ」と神は言う。

 その言葉に対してイスラエルの政治家、ナタン・シャランスキーは「<神殿>の丘は和平よりも重要である」(2003)で「われわれの歴史の根をなす、このエルサレムの町無くして、シオニズムの企図を維持することは不可能であることをわれわれは理解しなければならない」と。和平よりも神殿。歴史的名跡の軍事的掌握を優先させている。

5. 「パレスチナ人の自爆テロ」

 2000年9月からの第二次インティファーダが始まって、イスラエルは軍事力をもってしても、イスラエルに平和と安全をもたらすことはもはや不可能だと感じられるようになった。パレスチナ人たちによる自爆テロは、申命記1章44節「山地に住むアモリ人たちはあなたたちを迎え撃ち、蜂が襲うようにホルマまで追撃し、セイルであなたたちを撃ち破った」のようだと。イツハク・ゼエヴ=レヴィ・ヴェルヴェル・ソロヴェイチク(ブリスクのラビ 1886〜1959)は、

「彼ら(シオニストたち)は、アラブ人を殺すことによって彼らに恐怖感を植えつけることができると思っている。…しかし、アラブ人は最後の最後までユダヤ人への攻撃をやめないだろう。アラブ人たちがわれわれを攻撃するのは、天から彼らを送り込んだからだ。…彼らがツァハル(イスラエル国防軍)をものともしないからではなく、誰かが天のたかみから彼らを遣わしているからなのだ。ここで最後の最後まで(申命記の『ホルマまで』と表現される)と言うのは、ほんの一人のユダヤ人を殺すためだけに百万人のアラブ人が自己を犠牲に捧げる覚悟ができているという意味である。」

イツハク・ゼエヴ=レヴィ・ヴェルヴェル・ソロヴェイチク(ブリスクのラビ 1886?1959)

 これに対してシオニストは、たとえばベン・グリオン(1886〜1973)は、ユダヤ教の伝統に激しく挑みかかった。それでもシオニストの権利の正当化を語るとき、モーセ五書の巻冊を指で指し示すのだった。

 なかなか一筋縄ではない。

<づづく>

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