書評「トーラーの名において」(3/9)
ハレーディとイスラエル国家
ハレーディとは、「神を恐れる者」という意味で、伝統的なユダヤ教を実践する人々の総称。超=正統派のユダヤ教徒を指す。
ハレーディはタルムードを学ぶ人々で労働を不得意とし、低収入であり子沢山である。反対に、イスラエル国家の支えたシオニストたち、メナヘム・ベギン(1913〜1983)はロシア領ブリスト(現ベラルーシ)出身。イツハク・ラビン(1922〜1995)の父はロシア系移民。アリエル・シャロン(1928〜2014)の父はウクライナ系移民。主にロシア系の労働者階級の人々だ。ハレーディは国家政策の決定からは一切度外視された。
しかしハレーディは、「国を守っているのはツァハル(イスラエル国防軍)の戦車や戦闘機ではなく、軍に入隊する代わりにトーラーの学習に打ち込んでいる何千人かの若者たちである」と言う。
東ヨーロッパでは、タルムード学で秀でた若者が、最も裕福な家の娘と結婚するならわしになっていた。その結婚をもって彼の経済生活を支える娘の父「義理の父」という言い方がある。ハレーディは今、「義理の父」はイスラエル国家であると遠慮がちに言う。
ハレーディはイスラエル国家に税収をもたらさず、兵力も提供せず、家族手当、社会手当を、宗教学校への補助金をもらっている。
ハレーディはそのことに対し「聖地に多いて神の意思を遂行し、その住民(イスラエル人)に真の安全をもたらしている。」「もしハレーディがいなければ、住民たちにとうに神罰が下されても不思議はない」
創世記18章20〜33節。ここはカトリックのミサでも必ず年に1回朗読されるところだ。
つまり、ハレーディは「たとえ10人」と言うのが我々であると言う。
そんな馬鹿な。そんな戯言に付き合っていられるか、と思うところだが、このたとえ話をある意味そのままイスラエル建国以来、(半信半疑ながら)受け入れてしまった、または通用させてしまったのが、イスラエルでもある。
ハレーディ(超=正統派)が、ダーティ・レウミ(宗教・民族派)と別れてゆくきっかけになったのが、入植地の問題だ。
ハレーディは、低収入で通常の不動産市場で住宅を購入できないでいた。アリエル・シャロン(1928〜2014)が住宅建設相、つまり入植地の開拓を担当していた頃、「1967年の占領地にハレーディの町を建設する用意がないわけではない」と言った。ハレーディの指導者たちはその申し出を受け入れてはならないと命じていたが、多くのハレーディは沈黙を守った。わが家は欲しい。そしてついに「イマヌエルの町」は強硬なシオニスト勢力の入植地に囲まれたハレーディの入植地となった。
しかしパレスチナ人にとっては、シオニスト、ハレーディであれヨルダン川西岸に入植したユダヤ人だ。特に脆弱な守りと見えたイマヌエルの町は、パレスチナ人によるテロ攻撃の標的とされた。
これらいくつかのハレーディの入植地を死守するとリクード党(非宗教系・右派政党)は言った。現在のイスラエル首相ベンヤミン・ネタニヤフ(1949〜)の所属する政党である。
ハレーディは、リクード党の支持に踏み切る。安全保障を理由として国家の政治に積極的に関わっていかざるを得ないと感じるハレーディ。彼らは「ダーティ・レウミ(宗教・民族派)」と呼ばれるようになる。それ以前1912年に発足した「アグダット・イスラエル(イスラエル連合)」も正統派ユダヤ教を掲げつつ国家政策に関わってきている。
シオニストと手を組む宗教的なユダヤ教徒に対して1938年に「ネトゥレイ・カルタ(都の守り手)」がエルサレムで結成された。彼らはあくまでもユダヤ教・反シオニズム運動をすすめ、国庫からの助成金、家庭手当のたぐいを一切受け取らないでいる。
生活保護を受けとらない人々。今では、彼らが「ハレーディ」なのだ。
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