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小学校の算数でつまずいた娘から学んだこと

「まさか、分数が分かっていないのか……」

わたしには小学生の娘がいる。掛け算が終わり、割り算を覚え、掛け算と割り算を使った応用として、合計、平均、分数、小数、図形問題に突入すると、テストで点を取れる子と取れない子に分かれてくる。わたし自身は小学生の算数で困ったことはなく、点を取れる子のグループだったので、まさか、娘が点を取れない子のほうになるとは思いもしなかった。

娘との違いは、そろばん教室。わたしはそろばんを習っていたが、娘には習わせていなかった。そろばんにそれほど意味があるとは思えなかったことが理由だが、黙々と数字と向き合うことは数字に対する直観力を身につける上で大切だったようだ。

例えば、分数。分数の計算で答えが、6/15だとしたら、約分して2/5が答えになる。数字と向き合う場数を踏んでいれば、6/15に気持ち悪さを感じ、6と15がどちらも3の仲間であることに気づく。数字に慣れているかどうかで、算数ができるかできないかが決まるのかもしれない。

娘から、分からないから教えて欲しい、と言われても、6と15の両方がでてくる九九は? 6と15で共通の公約数は? どちらも3の段にあるでしょ? と言っても、わたしも娘もしっくりこない。分かる人には分からない人の気持ちは分からない、という言葉がぴったりくる状況。言葉で説明するのはあきらめて、例題を何個か出して、30分後には、『なんとなく分かった』という言葉を娘から引き出すことができた。

慣れているかどうかだけなのに、数年後には大きな違いになっていくことは多い。慣れていないだけなのに、苦手だと思ったり、できないと思ってしまわないように関わっていきたいと思う反面、「強みとは、自分ではあたりまえにできることで、人に役立つこと」と言われるように、娘にとっての分数、およびそこから広がっていく学問領域が強みではないのであれば、中途半端に慣れさせて、強みだと勘違いさせてしまうことは、真の強みに気づくチャンスを減らしている、ということもできる。

義務教育の範囲をしっかりと身につけさせることは、親としての義務であるとは思うが、親であるわたしやほとんどの日本人があたりまえにできるという事実は、同じことを娘があたりまえにできなければいけないという理由にはならない。

自分があたりまえにできるからと言って、偉そうな顔をせずに、強みを伸ばしていけるように関わっていきたい。

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