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本当に中指を立てるべき相手/ガールズバンドクライ10話(感想#2)

#ネタバレあり

「一緒に中指立ててください!」1話で仁菜は桃花にそう言った。
ガルクラは、そんな「何かに反抗する仁菜」が見どころだ。そしてこれまで仁菜は父親に強く反抗心を抱いていた。でも、10話で父親と和解した仁菜は、中指を立てる相手を見失ってしまうのではないか。そんな不安を感じさせる展開になっている。でも私は、今こそ仁菜は「本当に中指を立てるべき相手」が見えたのだろうと思う。そう思う理由をメモしておく。(勝手な妄想なので、まったくの見当違いかも。)

●被害者という名の箱
お前は被害者なんだから。校長室での父親の言葉に仁菜は反応する。仁菜はこれまで父親の中の何かに反抗していた。けどそれが「何に対しての反抗」なのか、よくわかっていなかった。彼女はこのとき、それがはっきりとわかったのだと思う。言葉にするならきっとこういうなるだろう。
「私を被害者と言う言葉に閉じ込めるな。私は私。それ以外じゃない。」
この感覚はなんとなくわかる気がする。でも論理的に考えるならすこし変だ。仁菜は間違いなく被害者なのだから。父親の言っていることは間違っていない。もし「被害者」と書かれた箱があったら、そこに仁菜の名前が記載してあるべきだ。じっさい社会はそういうふうにできている。でもこの考え方では何か重要なものが抜け落ちる。

●箱に入れることで見失うモノ
仁菜を「被害者」と書いた箱に入れたくなる。そういう心理が私たちにはある。でも入れてしまうと見失うモノがある。ここで私は「亜人ちゃんは語りたい」と言うアニメで高橋先生の言っていたことを思い出す(もっと高尚ものを思い出したいのだけれどしょうがない)。

モノの見方は一方向ではだめ。双方向で然るべき。亜人の特性だけを見ていると個性を見失う。個性だけを見ていると、悩みの原因にたどり着けない。

「亜人ちゃんは語りたい」第4話より

趣旨は明確だ。人には「個性」と「特性」の二面がある。「特性(つまり箱)」は原因調査に有用だけど、それを見ていると「個性」を見失う。これは「人の認知特性」の話だ。人は真剣に見ようとすると、逆に見えなくなるものがある。まじめな仁菜の父親は、仁菜を守ろうとして「被害者」という「箱」に目を向けて「仁菜の個性」を見失っている。お前は被害者なんだから、と言われて「箱」に入れられそうになった仁菜は、そんな箱糞くらえ、と感じただろう。でも「箱」は私たちに必要なものだ。

●でも箱は必要なもの
ガルクラ1話を見始めたとき、私たちは仁菜の個性について何も知らない。だからひとまず「保留」の箱に入れる。しばらく彼女を見ていて「面倒くさい人」という箱に移す。ついでに「中卒ドロップアウト」と言う箱にも入れておく。そのうち少しづつ「仁菜がどういう奴なのか」が分かってくる。私たちは、そういう形でしか「個性と言うもの」に近づけない。私たちは知りあうとき「箱」を使ってお互いを理解する。私たちにとって「箱」は必要なのだ。

●それでも箱に入れられたくない時がある
「箱」は重要なもの。ならば逆に、なぜ仁菜は「箱」に反抗するのか。父親の「お前は被害者なんだから」発言は、なぜだめなのか。それは「箱」の使い方が悪いから、だろう。
父親が仁菜を「被害者」として語るとき、そこには「被害者と加害者」という単純化された世界がある。そこにはもう仁菜はいない。仁菜の話をしていないのだ。置き去りにされた仁菜は傷つく。それは「知らない人」を置き去りにしてしまうのとは違う。良く知っている人だからこそ、深く傷つく。良く知っている人を箱に入れるのは「とても難しい」のだ。

●仁菜は、何に中指を立てるべきなのか
箱の使い方を間違えたことに気づくのは誰か。それは箱に入れられた人だ。自由を奪われた息苦しさを感じるはずだ。体の中からトゲトゲが出てくるはずだ。仁菜のように大量には出ないかもしれない。でも出ているはずなのだ。このトゲトゲは、間違った箱の使い方と闘う私たちの武器だ。
でもいま、このトゲトゲは抑え込まれている。トゲトゲは迷惑なのだ。実際トゲトゲの出た仁菜はとても迷惑な奴だ。でもこの「トゲトゲを抑え込む力」の方が、今はトゲトゲより悪いものになっている。それが「箱の間違った使い方」を蔓延させている。それはこんな呪文で呼び出される。
「迷惑を掛けてはいけません」
そしてこの呪文が、仁菜が中指を立てるべき相手だ。

●中指を立てずらい相手に立てる方法
しかし、私たちはじっさい迷惑を掛けてはいけない。そこを変えられるわけじゃない。なので「迷惑をかけることで中指を立てる」という安易な方法では何の説得力もない。ではどうやって中指を立てたらいいのだろうか?
やるべきことはきっと、迷惑をかけてでも、そしてそれによって罰を受けてでも、そこで掴んだ自由のすばらしさを伝えることだろう。仁菜が放送室をジャックして浮かべた笑顔。解放感。それは、とにかく息苦しい今の時代の人々に、深く刺さるはずだ。

私は自由のために迷惑をかける。
そしてその罰を受ける覚悟がある。
なぜならこの自由は、その価値があるからだ。
どんなに迷惑をかけようとも、箱に入ってはいけない時がある。

これが仁菜の中指の立て方になるのではないだろうか。


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