好意的に受容される原作改変/葬送のフリーレン23話
葬送のフリーレン23話を視聴。戦闘シーンが原作から追加されていて、その部分が素晴らしかった。そして、今話題の原作改変について、色々と考えさせられた。感じたことをメモしておく。
#ネタバレは殆どないけど、ちょっとあるかも
●モルトラークという言葉遊び
モルトラークとは、フリーレンに出てくる魔法「ゾルトラーク(人を殺す魔法)」と、話を盛るの「盛る」を掛けたことばで、一部のファンの間で「より盛った形での原作改変」を指す意味で使われているようだ(私もよく知らないけど)。とくに23話では登場人物ラオフェンの戦闘シーンの描写が原作よりも盛られていたので、「ラオフェンがモルトラークされている」のようなコメントが散見される。もちろんこれは「改変に対して好意的な表現」だろう。でもなぜ私はこの表現が好意的だと確信をもって感じるのだろうか。それは「ゾルトラークをモジること」自体に好意を感じる面もある。でもそれよりは「盛る」に好意を感じる面が大きい。原作改変とは嫌われがちなものだ。でも「盛る改変」と言われているなら、そこには好意を感じる。なぜ「盛る」に好意を感じるのだろうか?
●「盛る」と言う言葉がポジティブになるとき
「盛る」の辞書的な意味は「積んで高くする。積み上げる。」で、そこからギャルメイク(死語かな?)のような濃い化粧を指したり、「話を盛るなよ」のような誇張を指す言葉になっていったのだと思う。でも、ここまでは「好意的な色合い」は感じられない。寧ろ「大げさにする」のようなちょっとネガティブ(自虐)要素すら感じる言葉だ。しかしこれが「物語」の文脈で使われると、そこに好意的な意味合いが出てくる。それは「物語」が本質的に「虚構」であること、つまり「嘘」であることに関係している。
●「盛る」に好意的な意味合いが生まれるわけ
作家とは「上手に嘘をつく魔法」を使う魔法使いだ。そういう例え話は可能だろう。その魔法の力で、私たちは現実世界から離れて別世界に旅立つことができる。そこでは二つの種類の魔法がある。
タイプ1:ゼロから虚構を立ち上げる魔法
タイプ2:虚構に「人を引き込む力」を付与する魔法
そして原作改変とは「作品にタイプ2の魔法をかけること」を指す。このタイプ2の魔法は、何度も重ねてかけて力を強めることができる。しかし上手に重ねないと崩れてしまう。だから、タイプ2の魔法を上手にがけることを指して「盛る」と表現することが可能だろう。そしてその文脈で「盛る」に好意的な意味合いが生まれる。つまり虚構は現実とは違って「盛れるものなら、高く盛れるほど良い」というものなのだ。
●原作改変は魔法
原作改変とは、作品にタイプ2の魔法をかけること。だから、改変の優劣は「かけた魔法」の優劣だ。そして、劣魔法の代表が「コアがロジックの魔法」なのだと思う。それはうまく「盛る」ことができない。それどころか、私たちを別世界に運ぶ魔力を大きく毀損してしまう。
「コアがロジックの魔法」とはなにか。それは例えば「この作品を当てるには、こういう要素が必要なのではないか」と言う冷静な判断がコアになって作られる魔法だ。これはいわゆる「ケインズの美人投票」になる。そしてそれによって魔力のほとんどを失ってしまうだろう。「冷静な判断」自体が悪いのではない。それは重要なものだ。でも魔法の核は「ロジック」であってはならない。「人の強いこだわり」のような「虚構」であるべきだ。
●魔法の核が「ロジック」ではダメな理由
ロジックとはつまり、現実の図式化であって、現実を人間の頭で理解できるように、余計な要素を捨象することだ。これはつまり虚構(つまり魔法)が入り込む余地を殺菌消毒して洗い流してしまう。そうしてしまうことで、今まで積み上げてきた「タイプ2魔法」同士の接着面も崩壊させてしまう。つまり「盛る」とは真逆のものとなる。これは、いうなれば「魔法を解く魔法」だ。
●原作改変の失敗が多発する根本的理由
この理由については、詳しい人々が「なるほど」と思う理由を語っている。それでもあえて、素人が魔法のアナロジーで語りなおしてみる。素人目線が重要な場合だってきっとあるはずだ。
<原因①:ロジック主導の改変>
原作改変とはタイプ2の魔法だ。魔法のコアは「ロジック」ではなく「虚構」でなければならない。それは「タイプ1の魔法」に対してなら、多くの人が直感で理解している。しかし「タイプ2の魔法」に対しても同じルールが適用される。原作改変の一つ一つが独立した魔法なので、それらにはすべて虚構が必要だ。でもそんな仕組みであることに多くの人は気づけない。だからロジック主導の原作改変は多発する。
<原因②:盛る慎重さ不足>
失敗要因はロジック主導の改変だけではない。魔法をちゃんと盛るための慎重さが足りないことも問題だ。原作にはすでに魔法がかかっている。その上に、上手く魔法を載せるには慎重さが必要だ。無理やり「合わない魔法」を乗せようとすれば、根元から崩れてしまう。ジェンガのように慎重に「盛る」必要がある。だけれど、その慎重さが必要なことに気づける人は稀だ。
こういう失敗が多発する事態を良くするには、多くの人に届く「わかりやすい物語」が必要なのだろう。「原作改変とはモルトラーク(盛る魔法)であるべきだ」。この魔法のアナロジーは、もしかしたら少しは役立つのかもしれない。と無理やり自画自賛の風呂敷を広げて、考察終り。
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