ワンピースの最終回と中華料理屋のじいさん

海外ドラマや、もう何年も続いているアニメを見る時、自分の心に「本当に見たいの?」と尋ねると、きっと「もう別に見なくても大丈夫」って返ってくるようなものを今日もボケーっと見ている。いつの間にか、見なくちゃいけないという責任感と、ここまで見たんだから最後まで見ないと勿体無いという、よくわからない意地まで生まれる。もはや、ワンピースの正体がなんだろうと、どうだっていい。ただ、最後まで見届ける義務が僕にはあるのだ(ない)。

 話は変わるが、近所にずっと気になっていた街中華のお店がある。そこは、古びた焼肉屋や、ラーメン屋に挟まれ、ややボロボロの赤い看板が目印だった。そのお店の前を通るたびに、いつか行きたいなぁ、いつか行きたいなぁ。と思っていた。だいたい、そういうお店は、行かずに終わることが多かった。しかし、徐々に「一度は行っておかないとなぁ」という使命感に追われ始め、その街中華に行くことにした。

 店内に入ると、思っていたより、広々としており、おそらく8名くらいは座れるカウンター席、家族連れが座るであろう、テーブル席が四席ほど広がっていた。券売機が壊れており、口頭で注文するよう注意書きが貼られていた。チャーハン+餃子五個で500円!と書かれたポスターがあり、それを指差し注文した。チャーハンも餃子もそこまで美味しくなかったが、味ではなく、ずっと気になっていたその場所で食べることに意味があったので、味はなんでも良かった。僕は熱いものを食べていると、よく涙が出てしまう。なんでかわからないが、熱さに涙腺が刺激され、涙が出てしまう。その日も、チャーハンについてきたスープが、めちゃめちゃ熱く、涙止まらず、ティッシュは足りず、手で涙を拭いながら食べ切った。

 「お会計でお願いします」と伝えると、フロアにいたおじいちゃんスタッフが「はい、650円ね~」と言った。注文したのは500円のセットだったので、僕はポスターを指差し、僕が注文したのはこれですよ~と伝えた。そして、おじいちゃんはポスターをじっと見て「そうだね、650円ね~」と言った。このおじいちゃんには650円に見えてるのだ。そうかそれならわかったと、このじいさんがこの店のルールなのだと、ポスターに見つめられながら、僕は650円を払った。そして、店を出る時に、じいさんが僕に向かって「久しぶりだよ、ここの店で涙流してくれたのは、またきてね!」と言ってきた。そう、じいさんは、僕がチャーハンの味に感動して泣いていると思っていたのだ。「この店に入ってから何もかも間違ってるな・・・」と意味不明な気持ちを抱えながら、じじいに「ごちそうさまでした」と伝えた。出会ってすぐはおじいちゃんと呼んでいたが、もうじじい呼ばわりでいい。

 他にも気になっていたインド料理屋さんに行った時、メニュー表に「日替わりランチの内容は店員に聞いてください」と書いてあるにもかかわらず、インド人らしき店員さんを呼び「日替わりはなんですか?」と聞くと「おかわりはできません」と言われ、もう一度ゆっくり質問すると「おかわりはできません」とゆっくり返された。すごい、おかわりしたいお客さんだと思われてしまったことがある。

 そんな風に、気になったお店で食べるときは、なんだか味や出来事は二の次のように思うというか、そういうふうに折り合いをつけているだけかもしれないが、そのお店に行った事実が大切なのだ。なので、ワンピースの最終回が、もし面白くなかったとしても、終わりまで見届けたという事実が大事なのかもしれないというか、そういう風に言い聞かせようと思う。

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