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物事が続かなくたって、結果に興味がなくたって、自己否定しない。

noteのプロフィールを書き直していたら、私の人生においてたくさんのことが、まるで「なかったこと」のように忘却の彼方だったことに気づいて慄く私です。

ロンドンに2年間留学してたこと、英語の勉強にはまりまくってTOEIC900点とったこと、翻訳家目指して4年間勉強していたこと、サックス、ヨガ、ゴルフ習ってたこと、などなど。それぞれ、その時は夢中でかなりの時間とお金を費やしたことで、アイデンティティーだったりしたのに、もはやすっかり忘れていたよ。

何かを始めると、すぐのめり込むんだけど、でも急に飽きてしまう、のは私のパターン。今振り返ると、始め方がやや他人軸、そしてアウトプットのないひたすらの孤独なインプットが敗因の気もする。けど、とにもかくにも私は飽きっぽいのです。

子供の頃から続けていることがある人に会うと尊敬するけれど…。そういう継続性を上に見てしまうと果てしない自己否定沼にはまるのでやめました。上も下もなく。ただの横軸の違いと解釈します。

かつては夢中だったけど今は思い出しもしないことは、例えば、もう何年も会っていない学生時代の友達みたいなものじゃない?今は会ってないけど、だからといって、あの時間が無駄だってことにはならない。だから別にいいのさ。振り向けば黒山の「かつての趣味」たち。あれは、私の根気のなさが具現化したものではなくて、全て楽しかった美しかった思い出のかけら。


「結果は経過のうんこだよ」と誰かが言っていた。結果は経過の搾りかす、最後に出るうんこ。経過こそが宝なのに、うんこばっかり気にしてどうするの?って。うふふ。うん、結果を出すことを考えると苦しくなっちゃう私は、やっぱりこっちを採用します。


宣誓、私はこれからも、ちょっと気になったことはすぐに始めて、飽きたらすぐやめて、好きなことはたくさん努力して、気づいたら最高のうんこ出てたわ!ラッキー的な、そういうやや場当たり的な自分を否定せずに生きることを誓います!

(╹◡╹)Yay






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