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無意味に繰り返す現実逃避の独り言

心理学を学ぶと、今まで理由がわからずに、少し不思議に思っていた自分の行動の理由がわかったりするのでおもしろい。

最近は自分のお菓子食べまくり癖が「現実から気をそらせるため」だったと気づきました。こういうのを「痛み止め」と呼んだりします。


もう一つ、私の「痛み止め」癖を思い出しました。私は昔から無意識に脳内で繰り返す独り言のようなものがありました。その言葉の内容は私の状況によって変わります。色々あるけど代表的なやつ。

彼氏がいないとき
→「彼氏ほしい」

彼氏がいるとき
→「結婚したい」

結婚したとき
→「子供ほしい」

好きな人がいるとき
→「その人の名前」


不思議だったのは、私が熱烈にそう望んでいることではないのに、なんか脳内に浮かんでくるということ。それもかなり頻繁に。なんでなのか、自分でもよくわからなかった。


今はこれも「ここではないどこかへ」「今の私ではない私へ」という現実から目をそらした痛み止めの言葉だったんだなとわかります。

これが本当に私の癖。
こうやって生きてきた、生き方の癖。

ちょっとでも嫌なこととか、めんどくさいことがあると、この独り言がすぐ出てきます。そして、その嫌なことからさっと目をそらすんです。自分が感じている「嫌だ」を無視し続けてきたんですね。


なんでそうなっちゃったかといえば、小さい頃、そうやって「嫌だ」を言えない環境だった、言っちゃいけないと思っていた、なのに「嫌だ」を感じるのは辛すぎる。だから目をそらせる方法を身に着けたんだろうなと思います。


実は、私の母はよく独り言みたいに私や妹の名前を口にする人でした。
「さくら」と母が言うので返事をしても、別に私に話しかけているわけではないんです。なので私はよくイライラしてました。「用がないなら名前呼ばないでよ!」って。

母にとっての痛み止めが私と妹だったんだ!
私と母は同じような辛さを抱えて生きていたんだ!
と気づけたときは衝撃でした。
そして長年の謎(なんで名前呼ぶねん)がとけてすっきりしました。


母も辛かったんだなぁ。
でも、今みたいに、辛さをネットで検索したら解決策のヒントがたくさん出てくる時代じゃない。辛さを抱えたまま、ただ耐えて生きてきたんだろうな、と考えると母を少し理解できたような気持ちになります。


現実から目をそらす、というのは長年の癖なので、簡単にはなくならないようで、今でもちゃんと(?)続いています。

今は好きな人もいないので、なんかちょっと嫌なことがあると「愛してるよ」という言葉が浮かびます。たぶん…自分が誰かに言われてるか言ってるかの想像なんだと思う…。愛し愛されたい。くーくー。言うの恥ずかしい。


でも今はそれが「痛み止め」とわかってるので、その言葉が浮かんだ時は意識を痛みに戻して、「おやおや、何から逃げてるんだ?」と思うようにしてるのでした。

でもまあ、たいてい、くっだらないことだったりしますけどね。寒いのに子供のお迎え行きたくない、とか。でもそうやって自分の声を聴けるようになったのも、この痛み止めシステムに気づけたからです。ありがとう心理学。

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