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令和版 泥臭い生き方、、

しばらく投稿できませんでした。今月の15日にてホテル業を卒業します。約15年間のホテル業でした。この間には、東日本大震災、今回のコロナと、観光業、強いては嗜好、娯楽産業に対する自分の考えが大きく変わり続けた10年となりました。

観光業は脆いな、、思い続けた10年でした。世の中の全ての人は突き詰めれば、今日一日を平和に過ごすために動いています。働いていると言わないのはその言葉のしっくりする定義が自分の中に無いからです。働くとは、「はたが楽になること、」つまり「他人が楽になれる何かサービスを提供すること」

この定義はある程度納得していました。自分が働くことで家族が楽に幸せに生活できる。料理を食べたお客様が喜んでくれる。。でも、それ以上にこの言葉には、お金を稼ぐ、もっと言えばそれは義務である、みたいな感じを強く感じます。その小さな幸せを維持するだけでは不十分だと。だとすれば僕がやりたい自給自足は働くことになるのでしょうか?

観光業をはじめ全ての娯楽産業は、世の中がある程度忙しく、人々にストレスが溜まるような世界でないと成り立たないのではないでしょうか?ストレスの解消に、自分へのご褒美に。勿論、世界遺産を一度この目で見てみたい。海外の全く違った文化に触れてみたい、と言う知的好奇心からくる需要もあるでしょう。でも、それも人間の欲望の一つです。そこにある文化を大切にするとは本来的には干渉しないこと。遠くから憧れと羨望の眼差しで眺めることではないでしょうか?だとすれば観光業が脆いのは必然と言えば必然です。

欲しいものが無くなればそもそもそんなに働く必要はないでしょう。多く働き多く消費する。そのループから外れる為の転職です。でも、その状態に行くためにはやはり越えなければならない大きな壁があります。

欲しがらない世界を幸せと感じるのは全ての人ではありません。家族も同じです。はじめはそこに同意が必要だと思っていました。でも、子供や僕も含めた全ての家族はそれぞれに別の人格を持った存在なのです。

一日の仕事を終え、帰る場所が一緒。すごくシンプルだけど幸せなことだと思います。そんな存在がこの世にいてくれるだけで本当に。家族の存在とはそんなもので良いのでは?と考え、僕は自立すると決めました。家族の為に自分がやりたいことをやらないとは恰好は良いですが、実は家族に依存しているのだと。

今、朝は馬房掃除に行っています。そのあと農業、そして夜はカレーショップでバイトします。笑。でも何か心が軽いです。あまり気負った感じはしません。この令和時代に泥臭く生きた先に、自分の望む世界へ行ける。そう信じてやっていきます。ではまた書きます。

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