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番外編 僕の好きな詩

ぼくの書いている文章を読んでくださる方は知っている方も多いと思いますが、本当に大好きな詩があります。大好きな本に紹介されている大好きな詩です。

「あなたの子供は、あなたの子供でなはない。彼らは、人生そのものの息子であり、娘である。彼らはあなたを通じてくるが、あなたからくるのではない。彼らはあなたと共にいるが、あなたには屈しない。あなたは彼らに愛情を与えてもいいが、あなたの考えを与えてはいけない。何故なら、彼らの心は、あなたが訪ねてみることもできない、夢の中で訪ねてみることもできないあしたの家にすんでいるからだ、、」  カリール・ギブラン

愛情を与えてもよい、、すごく気づきを与えてくれました。愛情とは無条件に与えてよいものではなく、あくまで子供の側の許可、許しが必要なのです。主導権は子供の側にあるのです。子供は損得など考えませんから、寛大であり寛容です。愛情を与えたとき、一番何かを与えて貰えるのは他ならぬ自分、親の方なのですね。だから許可を得られる愛情とは正に見返りなど求めない、そこにただ存在する心の表現でないと伝わらないのです。

子供の笑顔や泣き顔、食事をむしゃむしゃ食べている顔、顔を真っ赤にして怒っている顔、どれもがあまりにピュアで透明で、今この瞬間を生きているエネルギーをそして自由を気づかせてくれます。本当は大人だってそんなピュアな存在足りえるのです。だって自然界の生き物たちは皆ピュアで常に今を生きています。自由を前提に自立し、他の誰にも依存していません。

勿論生物学的には共生関係はあります。それは依存という見方も出来るでしょう。でもその共生関係にある生物はお互いに補い合い、それを自然のルールの中で消化し、誰にも文句や愚痴をこぼしません。使うエネルギー量の大小など考えません。おつりなんて貰いません。まさに共生。。

だから人間だって足りないところを誰かに助けてもらい、そのかわり与えられるものを与える。そんな世界を作れるんですね。そんな世界もあるよ、と自分の子供に選択肢の多様性を教えたいですね。

僕はコックをしていました。来月からはお百姓さんです。もし例えば髪が伸びてしまってかっこよく切ってもらいたいとき、「旬の野菜のソテーにお米を添えて、自家製醤油風味、、」ランチにお出ししますので僕の髪を切って頂けませんか?というような世界で生きてみたいのです。ここで交換されるのは今必要なことの価値であり、それぞれの原価ではありません。

きっとこんな世界は、本当に少し先の未来に存在するように思うのです。実社会からのお金の価値の希釈。考えるとワクワクします。このワクワク感が子供にあり、何故か大人が忘れてしまう感覚です。僕の好きなこの詩、これを知った本は僕のバイブルですがタイトルは「長い旅の途上」です、、

                


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