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花吐き病と菊花鍋

2877字/菊花鍋を食べるふたり/百合風味
「ふたりぐらし」 - 即興小説トレーニング (sokkyo-shosetsu.com)


ほわっと、目の前に湯気が上がる。すこしおいて感嘆の声。
「……かわいい」
湯気の向こうにいる彼女は、とろけそうな笑顔を見せた。
「今年もお疲れさまでした」
「はい、お疲れさまでした」
鍋のふたをビアグラスに持ち替えて、彼女と乾杯する。暖かい炬燵に冷えたビール、ほかほかのみぞれ鍋には菊花が所せましと咲いている。その中心には大根おろしでできた猫が鎮座していた。
「ああ、待って、ねこちゃん解けそう。スマホどこだっけ」
慌てて彼女はスマホを探す。ちょうど陰になっているのだろう、私がすぐに見つけた彼女のスマホをなかなか見つけることができなかった。そこで私は手を伸ばす。
勝手知ったる操作で、彼女のスマホカメラを起動する。乾いたシャッター音。
「ちょっと、見つけてたなら先に言ってよ」
画面に映るのは、花畑にうずまってにこやかな猫と手がぶれている彼女。可愛い。シャッター音に気付いた彼女は、スマホに手を伸ばす。
「ごめんって。ほら、よく撮れてるよ」
手渡しながら彼女へいう。ぶれてるじゃんと、少し不貞腐れている。そして慣れた操作で鍋にカメラを向けた。乾いたシャッター音。
「どうせならこれだけかわいく撮ってよね」
ピロン、と私のスマホの通知音が鳴る。炬燵の脇で充電していたそれを取り上げてみると、彼女から写真が届いていた。神妙な顔で鍋を見つめる私と、見つめ返す花畑の猫。
「いや、かわいくなくない?」
「かわいいでしょ」
「かわいくはない」
押し問答をしている横で、猫がほろほろとほどけていく。
 
今日は、彼女の会社のボーナス支給日だった。世界的不況のなか、彼女の会社の業績は上々。業績悪化でリストラされた私にはうらやましい限りである。リストラ以降ころがりこんだ彼女の家には、だんだんと私の荷物が増えてきている。まだ一応、私も家を借りているが、いつ追い出されるか分かったものではない。このまま移住したら彼女は怒るだろうか。気にしないだろうか。連泊になり始めてからそろそろ一週間だった。
今朝、彼女はボーナス支給日だとルンルンで出勤していった。それをポヤポヤした頭で見送って、晩御飯は豪勢にしようかなどと考えていた。私の中で、豪勢な食事はハンバーグである。実家では祝い事のたびに手作りのハンバーグが食卓に並んだ。チーズをくるんで、トマトソースをかけて、仕上げにはパセリ。おなかが減ってきた。
台所に向かって、食材を確認する。玉ねぎ、ナツメグ、パン粉、トマト缶。問題ない。冷蔵庫に手を伸ばす。主役のひき肉はあっただろうか。ない。大問題である。買い置きを切らしていた、と野菜室も冷凍庫も探したが、見つかることはなかった。それにしても、この大根邪魔だな……。
買いに行くか、と窓の外を見ると、嵐の前触れのように真っ黒な雲が漂っていた。すっきりしない頭と、その痛みはこのせいだったか。
よし、諦めよう。
私は敷きっぱなしの布団に潜り込んだ。目を閉じる前に彼女へメッセージを送る。
――ひき肉買ってきて、よろしく
返事を見る前に眠りに落ちた。
彼女が帰宅したとき、その手にはレジ袋が下げられていた。
「ただいま、低気圧すごいね大丈夫?」
布団を覗き込んで彼女は問う。蛍光灯の明るさに目がくらむ。
「おかえり、大丈夫。頼んでいたの買ってきてくれた?」
「ビールと、これ!」
彼女が取り出したのは、鮮やかな黄色の食用菊。珍しいと思って買ったのだという。
「いや、菊……どうしろと」
「こういうのは勢いが大事! 花って食べたことないでしょ? 初体験だよ!」
ぐいぐいと菊花を押し付けて、彼女は冷蔵庫へ向かい、ビールを冷やす。
「頼んでたひき肉は?」
「ひき……肉……?」
油の切れた機械のように首をかしげる彼女。忘れてたんだなと私が嘆息すると、仕方ないよと叫んだ。
「鮮やかな花の前には人類みな無力なんだよ!」
「そういう問題じゃないでしょう。ハンバーグにしようと思ってたのに……」
「ハンバーグ!」
「じゃなくなったって言ったでしょ。晩御飯どうしようかな……」
「菊花鍋ってのが気になる!」
「鍋、か。大根あるしみぞれ鍋にでもしようか」
ぼやぼやの頭をひねって考えつつ、くるまっていた布団から起き上がる。そして冷蔵庫から大根を取り出して彼女に渡す。すでに酔っているんじゃないかと心配になりそうな彼女のテンションは、どこまでも高い。
「大根、おろしといて」
「りょーかい!」
彼女はビシッと効果音がつきそうなほど姿勢よく敬礼した。
 
菊花鍋とはなんだ、と検索しても、ばっちりなレシピは出てこない。中華料理店のサイトに少し記載があるだけ。祝い事の鍋というから、いいものなんだろうなあとぼんやり考える。彼女が買ってきた二パックもの食用菊は、鍋にしないと消費できないだろう。
「おろせたよ!」
後ろから明るく彼女が言う。それを受け取って、半分は食材の上にかける。もう半分は絞って水気を切る。
「もうできるから準備して」
大根おろしの上から食用菊を散らす。鮮やかな黄色に染まった表面の真ん中に、絞って成形した大根おろしを乗せる。可愛くできている、はず。SNSで見かけてからやってみたかった猫の形の大根おろし。型崩れしないようにふたをして、彼女が用意したカセットコンロに乗せた。
 
一通り写真を撮り切って、箸を伸ばす。そこまでは良かった。
「いただきます」
鮮やかなそれを口に含む。
――ああ、苦い。
不味い訳では無い。しかし美味しいとも言い難い。見た目通りの「花」の味が、口内に拡がっていく。花はこんなに苦かったのか。菊のせいか。ビールとは違った苦味だった。
彼女も同じ感想を持ったようで、渋そうに眉根を寄せていた。
そして少し逡巡して立ち上がる。
「……ゴマダレかけたらいけるんじゃない?」
冷蔵庫から手製のゴマダレを取り出す。器に受けて、花を沈ませる。そのさまは雨上がりの水たまりのようだった。
意を決して彼女は口に含む。咀嚼するたびに、また眉根が寄せられた。そしてビールで流し込む。
「やっぱ苦い!」
ぷはーと息を吐きながら彼女はいう。そしてもうひとつかみ、鍋から花弁を取った。
「でもおいしいかも。ゴマダレ合うよ」
次々に口へ運んでいく。苦い、おいしい。そう言いながら、ビールを飲んだ。そしてゴマダレを私に手渡す。
「疑ってないで食べてみなって」
「……うん」
トクトクとゴマダレを器に受けて、花弁を取る。浸して、口に含む。ゴマの風味が広がった。そしてマイルドになった苦味。
「……意外といけるかも」
「でしょう」
にこにこと彼女は言う。ゴマダレ作っててよかった、と笑っている。
「でももう次はいいかな」
「そうだねえ、次はちゃんとひき肉買ってきてね」
目を伏せて花を味わう。苦い。少しだけ皮肉も込めて、彼女へいう。
「はいはい、次はちゃんとひき肉買ってきますよ」
「期待してます」
二人もくもくと食べ進んでいく。ほころびた猫は影も形もない。
「……これだけ苦いなら、花吐き病にはかかりたくないなあ」
ぼそりと彼女がつぶやいた。聞こえないふりをしながら、私もつぶやく。
「ゴマダレが特効薬かな」
「そうかもね」
視線は器に向けたまま、くすくすと笑った。

装丁カフェさんを利用しました。
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