レンズ越しのおじさん

※即興小説トレーニング様から
お題:早すぎた伝説 制限時間:15分 読者:188 人 文字数:778字


「次ご登場いただくのはこの人! 伝説のヨシノさんです!」
ライトを一身に受けて登場したのは、道端でスカウトした変哲のないおじさんだった。普段浴びることの無い明るさに目を細めている。彼が明るさに慣れるまで、足元から写すよう指示があった。
くたびれたスニーカー。用意していた靴は彼のサイズに合わなかった。
対してシワのないチノパン。デザイン性の強いシャツとの隙間から、ベルトの本革が光る。服だけはサイズに合っていた。おかげでスニーカーとの温度差がすごい。
彼の目を優先させるべきではなかった。スニーカーをゆっくり写して何の意味がある。
舌打ちをしながら、指示通りに動かす。下っ端は指示を聞かなければならない。私ならこうする、は入社1ヶ月の言うことでは無いのだ。
「伝説のヨシノさん」がライトに慣れてきた頃、輝かしい女性アナウンサーが彼の経歴を語る。出身、両親との離別、再会、そして自分の夢を叶えるためのいざこざ。伝説と言われる所以を流れるように、カメラの向こうへ伝える。
すべて嘘だけども。
彼女が話した経歴は、いわば創作の人物である。現実には存在しない、でもどこかにきっといそうな人物。「街中の伝説を発見する」というコンセプトで作られた番組は、収録3回目にして壁にぶち当たった。その結果がこれだ。所詮ローカル番組なんてこんなものと笑う。
照れるように笑う「ヨシノさん」をレンズ越しに見た。いけ好かないおじさんである。勝手に焦点がズレていく。
今回の伝説は、その歌声。パッとしないおじさんが生み出す美声。
「それでは歌っていただきましょう!」
ここで音声が途切れる。別日に収録した歌手のCDを流す手筈になっていた。ヨシノさんもそれを承知のはず。
しかし彼は、すっと大きく息を吸って、歌い出す。
マイクを通さないその声は、どこまでものびやかで、本当に美声だった。

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