無題

 芦原妃名子さんの四十九日のため、書くことにした。本当は亡くなってすぐ哀悼の意を表しつつ書きたかったが、どうしても自論の展開や答え合わせのために氏を利用してしまうような気がして、書けなかった。(そのため、間にポケモン28周年というおめでたい話題で書いてみた)

 私の過去記事「公共の場におけるイラスト表現」(https://note.com/sakurabatomato/n/n1d012b89a528)の答え合わせになってしまったのがひたすらに悲しい。一人の才能ある漫画家の命が失われてしまった事実を受け入れられない。オタクからすれば既にマンガ・アニメが世間的に受け入れられているように感じられるが、実際のところは金になるから利用しているに過ぎないのだ。

 芦原妃名子さんの漫画「セクシー田中さん」は、普段異世界転生モノやガンダム等のSF全般に慣れ親しんでいるオタクからすれば、むしろ一般人向けの漫画に感じるだろう。現代の日本を舞台にしていて、吸血鬼や呼吸を駆使した戦闘術など欠片も登場しない。だが、徹底的にオタクを被差別民だと思っている世代や層からすれば「セクシー田中さん」も十分に「暗~いオタクが引きこもって書いた何か」に過ぎないのだ。

 特に「あの原作クラッシャーの人じゃん」と呼ばれるほど悪い意味で有名らしい、件の脚本家は50代らしい。年齢的にはちょうど、宮崎勤事件でメディアがオタクを全員が犯罪者予備軍であるかのように叩き、異教徒への迫害か魔女狩りのようなバッシングを行っていた頃、ちょうど影響を受けやすい子供~思春期を過ごしたのだ。彼女が学生時代、教室の真ん中で友人と一緒に隅で静かにアニメ雑誌を見てるオタクの同級生を鼻で笑う側で、その精神性のまま大人になったのなら、芦原さんの作品に対する敬意のない行動も納得がいく。

 不謹慎なたとえ話になるが、学校を舞台にすると分かりやすくなる。漫画研究部所属の女子生徒が描いた作品の存在を知った別の女子生徒が勝手にそれを脚本化し「私が作りました!」と文化祭の劇の脚本に採用されるようなものだ。しかも本当の作者が一番大事にしていた部分を改変して。そして一生懸命書いた作品を他人に奪われた女子生徒はそれを苦に自殺。

 いい大人が他人の作品を奪った挙句、原作者をクレジットに入れないようにしたり原作者をハブってお疲れ様パーティーをしたりという、「ねーみんなであの子ムシしよーよー」という子供じみた「イジメ」を行っている情けなさがよく分かる。

 騒ぎになったからインスタを非公開にしたり投稿を削除したりしたのだろうが、おそらく「オタクなんかが作った作品を使ってやったのになんで私が責められなきゃならないの?」くらいしにか考えていないだろう。憶測に過ぎないが、上記の芦原さんおよび漫画作品に対する仕打ちは、そのくらいに考えてないと出来ない所業だ。おそらく海外の小説作品が原作ならこんな真似はしなかっただろう。同じ漫画でもマーベルやDC系なら尊重していたかもしれない。

 だから私は何度でも主張したい。マンガ・アニメ的表現は、サブリミナルのように世間に浸透するように、その設定の人間がやってもおかしくないポーズに抑えなければならないし、説明書に載っていてもおかしくない存在にまで引き上げる必要がある。台湾はそこら中にマンガ・アニメ的表現が溢れており、宮崎勤事件とそれに伴うメディアのオタクバッシングが発生しなかった世界線の日本のような状況だ。オタクは台湾を目指さなければならないのだ。そしてそれは長期戦になる。

 様々な漫画作品で儲けてきたはずの小学館でさえ、事件の対応が「アレ」なのだから、テレビ業界側の人間がどう考えているかなど想像に難くない。「オタク=いくらでも軽んじていい被差別民」この考えを持つ人間が長いキャリアで発言権を持ち、上層部にいる時代が続けば、いつまでも戦争は終わらない。

 最後に。芦原妃名子さん、ご冥福をお祈りいたします。あなたが生まれ変わる世界が、漫画とそれを好む人々が軽んじられることのない世界でありますように。

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