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〝らしさ〟を見つける仕事

突然ですが、わたしは看護師という仕事が大好きです。
誰かのために生きてみたい、そんな大それたことをついつい言いたくなってしまうこともあるけれど....

正直なところ、この仕事を好きになった理由はもっとひとりよがりかもしれません。

わたしの経歴

わたしは、現在精神科で看護師として働いています。4年制の大学を卒業してそのまま新卒で精神科で働き始めました。基本的に、数年は一般科で身体を看る勉強をして....というパターンが多い中、レアケースでしたが絶対精神科で働くんだと決めていたので迷いなく選びました。

“らしさ”を見つけることこそ看護

わたし自身うつ病を持っており、自分らしさがどんどん失われていく過程を経験しました。わたしがわたしじゃなくなる感じ。多分経験した人にしか分からない。

“らしさ”が失われる恐ろしさを知ったその日からわたしの看護師としての仕事は患者さんの“らしさ”を守ることになりました。それが、命を守ることと同等だと感じています。わたしの看護観だと言えます。

“らしさ”を主張できる時代、儚く脆くなった時代

多様性を認めよう、マイノリティに目を向けようと叫ばれる日々、そんな社会の動き。その反面マジョリティとされる立場にあっては“らしさ”がどんどん埋もれていくような感覚に陥ります。そもそもマジョリティとは何を指すんだろうか…?

なるべく目立たないように、周囲に同化するように生きていた自分の学生時代が思い出されます。みんなと同じにするために、流行の服を着る、したくもないうわさ話に参加する、SNSに楽しそうな充実したような写真をアップする。そんな風に過ごすほどに、わたしの“らしさ”は消費されていきました。

そして今のわたしは、周囲の猛反対を押し切って看護師になったことで(何故反対されていたかはまた別の記事で…)少しずつわたしらしさを取り戻しているところです。

わたしが今看ている患者さんたちも、病気や社会に“らしさ”を取り上げられてしまった人が多い気がします。そんな人々の“らしさ”を見つけていきたい、一緒に取り戻したい。そう思いながら看護師という人生を生きています。それが今のわたしの“らしさ”であり、胸を張れる唯一のことなのかもしれないな、と思います。

わたしはお世辞にも仕事ができる看護師とは言えません。身体も心も弱いし、すぐにへこたれるし、忘れっぽいんです。でも患者さんと一緒に泣ける、大笑いできる、その人らしい時間を共有することはできます。

今、わたしはそんなわたしにちょっぴり満足しています。

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