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燃える命の根源の光。

2月25日に放送されたイミシンを観た

北京での、修造さんとのインタビュー

以前放送されたものとは違う映像が含まれていた


透き通る様に美しい、羽生くん

その顔には、柔らかい微笑みを湛えながら

その言葉は、聴く者の胸を突き刺していく



これだ、この羽生くんだ、、


私が、あの「春よ、来い」から感じたものは




北京オリンピックエキシビション「春よ、来い」

目に映る姿は、たおやかで優美で美しく

けれど、心と身体に伝わって来るものは

激しさ、痛み、そして

身も心も焼き尽くす様な

強い、、強い、エネルギーだった


こんなに美しくて、優しくて、柔らかくて
なのに、この伝わって来るものは何なのだろう?

かつて観たこともないくらいの
強い、、強烈な光を放っている

この苦しくなる程、焼けつく程の、痛み
これは、羽生くんから伝わって来るものなのか
それとも、この強烈な光を受けた私自身が
感じている痛みなのか

その光は目に見える訳じゃない

目に見える光とは違うのだけど
それは光としか言いようがなく

強烈な光を放っている、
そしてそれを自分はどう感じているか

それだけが、明確に分かることだった



私はこの「春よ、来い」を観て、
自分の心と身体に届いて来るものと、
目で見て感じているものがあまりに違っていて複雑で
混乱していた

解釈することや、咀嚼すること、理解すること、
寄り添うことも、慮ることすらも振り切っていく様な

この強烈な光。。



全てを焼き尽くし、跡形もなく消し去ることのできるほどの力を持つ光

全てに命を与え、産み、育てることのできるほどの力を持つ光

そんな相反する力を内包する様な、強烈な光



イミシンで修造さんとの会話を観て

やっとその光の姿を、垣間見た気がした

このインタビューの羽生くんは、
あの光に似ている


似ている、、

けれどまだそれはほんの断片

あの春よ来いに観た光の強さは、このインタビューの羽生くんの、何倍も、何十倍も、何千倍も、強烈で

あの光は

あの感じた光は

羽生結弦の命そのもの

羽生結弦の魂そのものが

放つ光なのかも知れない


焼き尽くす力と、産み育てる力

生と死、破壊と再生

まるで、太陽の様だと思った

燃える命の根源の光



羽生くんの想いに、その心に
どんなに、寄り添いたくても

その発してくれた沢山の言葉たちを
幾度となく、繰り返し見聞きしても

理解も共感も
私という存在では到底追いつかない

ただその姿を観て
その言葉を聴いて
その演技から届いて来るものを、そのまま受け取ること

ただそれだけが、
私にできること


あの「春よ、来い」には、全てが詰まっていた

剥き出しの魂、命


それをこんなに極上の美へと昇華させ表現する

羽生結弦というフィギュアスケーター


4回転アクセルは自分だと言った、その言葉

この、届いて来る全ての感覚を味わいながら、

感じていく

4回転アクセルというものを

羽生結弦という、存在を




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何故、春よ来いではないのかって?

描けないんだ、まだ

この絵も、途中のまま止まってる

この天と地との羽生くんは全日本の羽生くんだし(苦笑

北京フリー直前に描いてた

心落ち着かすために

まだ途中なんだけど
この色の激しいコントラストが、今は心地いい


やっと、ほんの少しだけ、ここに
感じているものを表す事ができて
少しだけ、息が出来るようになった気がする
心の呼吸が、出来る様になった気がする

形にして表現することは
生み出すことでもあり、手放すことでもある

手放す、は、捨てたり無くすことじゃない

昇華させること、羽ばたかすことだ


羽生くんは、ちゃんと泣いただろうか?

あのフリー直後のインタビュー中、胸の奥の奥の奥へと仕舞い込んだ涙たち


羽生結弦という人が、

私は大好きなんだと、

心底思った

いつも、いつのときも、思ってる

羽生結弦選手を、心より応援しています、と



ここまで読んでくれてありがとう























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