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振り切ったものと、削ぎ落としたもの、両方観たい。

AERAの羽生くんインタビュー
初っ端、服の話で感動して、
後をざっとしか読んで無かったので
再読していた


その中で、羽生くんが語る
エンタメ、という言葉に心が留まる


フィギュアスケートしかやってなかった人間が
いろいろなことを勉強し始めて、
それをフィギュアスケートというものに落とし込む。
それがフィギュアスケートだけじゃなくて、
ざっくり言うと
エンタメっていう表現というものに
なってくれたらいいな、と思っています。

(AERA'23.8.14-21 No.37より抜粋)


多分、
羽生くんがエンタメという言葉で伝えたかったものは、
フィギュアスケートの枠を超えた表現、
フィギュアスケートだけど
フィギュアスケートという言葉では言い表せないくらい、
多彩な表現が盛り込まれたもの、、
といったことなのかな、と思うのだけど



はて、あらためて聴くと、エンタメとは。。何ぞや?


エンタメとは、
エンターテイメントの略



日本語の意味は、『娯楽』

調べてみた




なるほど、、スポーツも娯楽なのね
エンタメとは人々を楽しませるサービスのこと
楽しみ、息抜き、気分転換などが類語

ほほう。その説明で行くと、

私は羽生くんのことを
エンタメと思って見ていない気がするぞ。。?


:(;゙゚'ω゚'):、、??


人の心を魅了して離さないもの、
という説明には ピッタリだが、
スケートは勿論
人物そのものにも感動しているから、
ビジネスとして
人を感動させてお金をもらう、ってところは
合わない気がする



私が羽生くんのスケートや
羽生くんの生き方を見て一番強く感じるのは、

「美しい」という感覚

この「美しい」には、あらゆるものが含まれている

全ての想いの行き着く先が、
この「美しい」という感覚に集約されていく


楽しみ、とか
慰め、とかじゃあないんだよな。。
私が羽生くんから感じているものは

そういった
一時的なものじゃなく、
いつもそばにあるもの

いつも心の中にともにあって
行く先を照らしてくれるもの



今までは、ともにある、ということを
羽生くんと同化する感覚に近い状態で
受け止めていた

でも、あの日あの知らせを見た瞬間、
心に、溶け込む様にいた羽生くんは
羽生くん本人の元へと帰って行った

だからこんな風に
心がどこか空っぽな感覚になってるのだと思う

その場所は今
ずっと羽生くんに預けていた、
羽生くんの元から帰って来た、
私の心が居る場所に、なった
馴染むにはまだもう少し、時間が必要だ。。

今までは
羽生くんが心に同化していることに違和感はなかったし
自分の心がここに居ないことに何の疑問も感じなかった

今は分かる
ここは私の生きる場所であり、
他の誰をも、留めておく場所じゃない

柔らかく、
風通し良く、
しなやかに、

心はある方がいい

自分というオリジナルを維持しながら
色んなものに溶け込んで、感じて
いつでも自由に自分に戻って来ること
そんな風に対峙できたら素敵だな、って思う

そうして同化じゃなく
自分として在りながら
ともに在れたら最高だ

前もそんな話してたな〜と思われるかもだが、
まだまだ私は色々と昇華出来てないので
同じところへ何度も戻っては考え、
戻っては考えしながら
心の整理をしています




noteのプロフィールにも書いているけど、
私にとって羽生結弦は
道標や、鏡の様な存在

羽生くんから、いつも
色んな気付きを貰った

羽生くんを見ることで、
私自身を振り返ることが出来た

羽生くんを見て感じるもの、それは
その時々の私の姿を如実に映し出す

だから、羽生くんは私にとって鏡の様だと思った

あー楽しかった!だけじゃ、ないんだ
ひととき没頭して、
終わったら楽しかった感覚だけ残して
あとはさっぱり忘れて
自分の生活に没頭する、って感じじゃない



例えば今、
ドラマのVIVANTが面白くて観てるんだけどね

面白いなー!って没頭するけど
それは観てる時だけなんだよな

常にそれと共に生きてる感じは、全くない
それを観てる時は、現実忘れて楽しんでる

だから私にとって、VIVANTはエンタメだ

羽生くんの演技を見ていると

映像や温度や湿度、色や香り
身体中が泡立つ感覚だったり
電気が走る様な感覚だったり

様々なものが届いて来るけど

その世界に入り込んで自分を忘れる、という感覚じゃないんだよな

忘れるんじゃなくて、
逆に、もっと色濃く自分を感じられる、というか、、

上手く表現出来んけど、、汗


なんなんだ?
この、私が羽生くんに感じるものは
一体なんてものなんだろう、、、?




対話、、?


そうか、もしかしたら、

羽生くんと対話してる感覚なのかも知れない

私の、羽生くんを見ている感覚は

言葉での対話じゃなくて
感覚での対話っていうのかな

。。それは対話という表現で合ってるのかしら?汗
ちょっと言葉が違うかもしれんが、、



一対一で向き合う感覚というか、ね

深層意識での心の交流というか、ね

そんな感覚のもの


あでも、
スターズ横浜楽日に見た阿修羅ちゃんは
いつも感じる対話の感覚は少なかったな

阿修羅ちゃんは、
あの振付と、音ハメの快感を味わう感覚
瞬間瞬間をキメる羽生くんを味わう感覚

精神的な交流じゃなく、
感覚的な快楽プロだと私は受け取ってる

なのであれは、自分的には
エンタメに近いのかも知れないな




GIFTも、どちらかと言うと
心の距離的な意味では
エンタメ寄りの感覚かもしれない、、私には

孤独の話も、
私はその内容に、悩んだり衝撃を受けたりはしなかった
過去に羽生くんは、あの物語で語られた様なことを
インタビューで時々話されていたから

音楽と、映像と、
言葉のリズムと、
声で、
GIFTの世界観に彩ることで

言葉の持つ重みや、
言葉から受ける痛みが、緩和されていた

リズムと視覚の心地良さの中に、
ヒリッとした痛みを感じる、、
その絶妙なバランスが、
観る者を孤独の底に引き摺り込む事なく
自分の立ち位置を、安全な場所に保ったまま
物語を見ていける様にしてくれているなって

そして一番は、
羽生くんが自分自身として話す言葉ではなく
物語である、ということ

それらが、エンタメ寄りだなと感じたところ


例えばあの語りの内容を
そのまま普通にいつものインタビューの様に
音楽も演出もなく
羽生くんの言葉として聴くならば
先に話した対話の状態になっていく気がする

音楽と、映像と、
ライティングと、
プロジェクションマッピングとで彩られた
物語としての言葉たちは
語られる内容が重みのあるものであっても、

羽生くん本人が自分自身の言葉として語り
その想いを受け取った時の感覚と比べると

距離が、ある

物語になっていることで、
羽生くんの心に直接触れさせないよう、
クッションとなっている感じ

GIFTで私が生身の羽生くんを感じられたのは、
羽生くん自身として語ったラストの挨拶だった


アイリンで、
サプライズでパリ散滑ってくれたのが、あったよね

あの映像みて、
あーこういう羽生くんを私はもっと見たい!と
思ったのを 覚えてる

ライティングもなくて
普通のリンクのままで
羽生くんのスケートを見ること

羽生くんのスケートって
それだけで物凄い情報量がある

指先ひとつ動いただけで
その先に見えて来るものがある

それらを一番よく感じられるのが、
そのままのリンクで滑っている時

例えば24時間TVの
ホワイトレジェンドと、花になれ

あの2つも、
映像が流れ込んできた

羽生くんが目線をすっと上に向け、
手を伸ばすだけで

花びらが舞うのが見える
光が降り注ぐのが見える

腕を大きく振り上げれば
体の倍以上の
大きな大きな翼が、しなる様子が見えて来る


こうしてあらためて
エンターテイメントについて考えてみると
プロになってからの羽生くんは
エンタメと呼ばれるものに
どんどん近づいて行ってるんだなと感じた

現役の時は、そのままの羽生結弦
プロの今は、魅せるための羽生結弦

。。そんな感じなのかな


エンターテイメントに思いっきり振り切ったショーと
何の演出もしない、
原点に帰るような、
そのままの羽生くんのスケートを堪能するショー

色んなものを加えていくものと、
極限まで削ぎ落とすもの、、

両方、観たい!

羽生くん!私、両方観たーいっ!!

。。。と、
届かないことは分かっておるが、
先ずは叫んでみるのであった汗




過去絵ペタリ

カメラ意識した目線じゃない、
お顔も特に気合い入ってない、笑
普通〜な姿の羽生くんを描きたくて描いた絵

前髪が短〜〜〜い
なかなかこの短さ、ないよね

髪の毛決めてない羽生くん
ジャスの羽生くん
なんかとても落ち着くわ。。




寝よう!

読んでくれてありがとう
おやすみなさい☆彡







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