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どうしてもソファーにお礼が言いたくて。

実家に帰った。

と言っても、数年ぶりとかじゃなくて、たった2週間ぶりなんだけど。

リビングにあった、大きな古いカリモクのソファーが、なくなっていた。
代わりに置いてあったのは、1人用の小さなソファー。

さすがに古くて、破けたりしたのかな。それとも、コーヒーでも盛大にこぼしたのかな。

そんな勝手な答えをぼんやりと想像して、「ソファーどうしたの?」と父に聞いた。

「もう、30年は使ったからねぇ。」
理由のはっきりしない答えだった。

「へぇ・・」なんて、こっちもはっきりしない返事をしつつ、次の違和感に気づいた。

隣の和室にあった、天井まで届きそうなほどの大きい本棚が、ない。
代わりに、厳選されたであろう選抜組の本が数冊だけ、畳の上にちょこんと積み重なっていた。

「本棚、どうしたの?」
「家の外まで運び出さないとさぁ、回収してくれないの。だからお父さん、1人で玄関の外まで運んだんだよ。」

えっ嘘でしょ?それ、無理じゃない?
じゃなくて、また理由ははっきりしなかった。

生まれた頃からあった、大きいソファー。
飛び跳ねて怒られたり、思春期で携帯を投げつけたり、並んで座ってテレビを観たソファー。
「入れてよ」と冷たく怒られながら、寝転がって独り占めしたソファー。
子どもの頃のアルバムには、ヤンチャな子どもたちをどっしりと支えてくれているソファーが、たくさん写っている。
写真の主役になることはなかったけど、そこには必ずあったのだ。

そして、両親の好きなマニアックな本がたくさん並んでいた、大きな本棚。
難しそうで、手を伸ばす気にもなれない本ばかりだった。
でも、社会人になって気づいたが、教員だった父が勉強していたらしい障害の本が何冊もあった。家族の誰も知らなかったけど、ベテランになっても勉強していたんだと、ひっそりと知った。

ソファーと本棚を処分した、本当の理由はわからないけど、もう聞かなくてもいいかもしれないと思った。聞かなくてもわかっているのは、両親が話し合って決めたってことだ。
特に理由なんて無いのかもしれない。それなら、それで構わない。

きっと、思い出に人一倍弱い、私だけかなぁ。ちょっとさみしいの。
でも家族全員センチメンタルだったら困るから、私だけで十分かなぁ。

ソファーと本棚、こんなにも丈夫でいてくれてありがとう。
どうしてもお礼が言いたくて。

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