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【短編小説】 少年とリリー

夜の空から音楽が聴こえてきたのは、突然のことでした。

ピアノの前に座り、ぼーっと夜空を眺めていたときのことです。

最初は空耳かと思いましたが、やはりそれはどう考えても空から聞こえてくる音楽でした。

少年は半信半疑でピアノの鍵盤に指を置きました。

そして、空から聴こえてくるメロディーをそのまま音に乗せました。

なんてきれいな音だろう......

少年は驚きながら、そしてうっとりしながら、夢中でピアノを弾きました。

あまりに綺麗なメロディーだったからです。

最初は右手だけだったものに、左手も加わりました。

少年が奏でる音楽は、静かな夜の世界の中で、とてもやさしく響きました。

次の日も、またその次の日も。

まるで、夜の星たちが音になったかのように、暗い部屋の中にきれいな音楽が柔らかく響き渡りました。

星たちが踊っているような、繊細で可憐でやさしいメロディー。

少年はときどき目を瞑り、そしてときどき空を見上げました。

「君たちなの?」と声をかけながら。

その音楽を聴いていたのは、リリーという名の少女です。

夜の涼しい風が好きだったリリーは、こっそりと家を抜け出して、夜の風を楽しんでいたのです。

とくに、風がリリーの髪の毛をさっとなびかせる瞬間が好きでした。

鼻腔に風がすっと入ってくる瞬間。

それは、リリーの髪の毛が空に舞う瞬間でもあります。

その瞬間、リリーは目を閉じて、風が鼻腔を通るのを感じながら、髪の毛をそのまま宙に浮かせました。

ああ、この瞬間。

この瞬間が好きなの。

リリーはその日もそうやって一人で楽しんでいたのです。

家の中から綺麗な音楽が聴こえてきたのは、リリーがいつものように夜の風を楽しんでいるときでした。

それは、リリーが大好きな風と調和する、とてもきれいなメロディーでした。

リリーは、壊れかけた白い椅子に座りました。

そうして、目の前にある傾いた白いテーブルに肘をつき、顔を両手で支えながらしばらくその音楽に耳を済ませました。

相変わらず、リリーが好きな風は、リリーの髪をきれいに空へと踊らせています。

リリーは、夜の風が好きでした。

そして、家の中から聴こえてくる夜の音楽もとても好きになりました。

こうして、夜の風に当たるために、そして夜のきれいな音楽を聴くために、リリーは毎晩のように家を抜け出すようになったのです。

リリーは傾いた白いテーブルに顔を伏せて、涼しい風とやさしい音楽を感じています。

なんて気持ちの良い時間だろう。

ときどき目を開けて、夜の空を見上げると、星たちがきらきら輝いています。

リリーは星たちに向かって言いました。

「いい音楽だよね」と。

傾いた庭のテーブルに野花が置かれるようになったのは、それからしばらく経ってからのことです。

それは、「あなたの音楽がとても好き」というリリーからのメッセージでした。

音楽があまりにすてきだったから、リリーはなんとかその気持ちを伝えようと、庭に咲いていた小さな野花たちにその思いを託すようになっていたのです。

白いレースの寝巻きを着た女の子が野花を摘んでいるところを見たことがあります。

あの子が置いてくれたのだろう。

少年は野花をやさしく扱いながら、透明の瓶に入れました。

そして、それをピアノの部屋の窓辺に丁寧に飾ったのです。

夕方になると、先ほどまで生暖かかった空気が少しずつ涼しくなっていきました。

少年は歩みを早めます。

今日は夜までになんとしてでも庭の椅子を修理したかったのです。

今日は早めに仕事を切り上げました。

残業を押し付けられる前に、誰よりも先に仕事場を後にしたのです。

よし、今日は雨は降らないだろう。

そう思うと、少年の顔からは自然と笑みがこぼれてきます。

夏の空気を思いっきり吸いました。

そして、駆け足で夏の風が吹き抜ける中を駆けていきます。

今日も来てくれるだろうか。

そう、胸を膨らませながら。















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