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生活のベースは、一瞬の連続からはじまる。

今や、生活のベースは「ステイホーム」。


もともと、生活の中心が「でかけないこと」であるわたし。
仕事を辞め、ひとに会わなくなり、「ステイホーム」にどっぷりつかっています。


快適この上ない生活をつづけて、ふと気づいたことが。


「ひとに会わない、見られない」という、緊張感がほぼなくなると、当たり前にできていたことが、できなくなってくるんだな、と。


例えば、メイク。


しなくなりました。
顔を洗って、化粧水、美容液、クリーム、日焼け止め、ベース、ファンデーション、眉をかく、アイシャドウ、マスカラ、リップ。(わたしのメイクの工程をすべて書いてみました。)


・・・今まで、何年もよくやってたな。


毎朝、ルーティンのひとつとしてなんも考えず、手が動くままにやってた。そういえば、在職中、上司からフルメイクするよう指摘されたことがありました。


それまでは、軽くファンデーションとリップくらいで終了。ほぼすっぴんのようなメイクが気に入らなかったのか?今なら、セクハラとして拒否することもできるけど、あのころは、まだ、そんな時代じゃなかったんだよな。


そして、食事。


きちんと3食作って食べていたのが、1日1食になりました。これは、1日の運動量が激減して、単純におなかが空かなくなっただけなので。燃費がいいのか、悪いのか。


仕事してたころは、毎日お弁当をつくっていたので、それなりに栄養バランスを意識してたけど、今じゃ、パスタ、そば、うどん、ごはん、という大好物のローテーション。


1日1食だからなのか、体重は変わらず。でも、野菜不足、タンパク質不足はヤバいと感じてる。つい最近、風邪をひいたんだけどなかなか治らなくて。免疫力落ちてるな、と。


そして、お風呂。


冬になってからお風呂場が寒いこともあり、入るまでにすっごく時間がかかるようになった。Netflix観ながら、うだうだ過ごす。ホント、おっくうなのよ。仕事してるころは、帰ったら即お風呂が身についてたのに。習慣って、いとも簡単に崩れる。慣れって、コワい。


そう思うと、寝る、起きる、着替える、食べる、くつろぐ、など、日々の営みって、今の自分を映す鏡なんだ。


「丁寧に暮らす」


雑誌やメディアなんかで、よく見かけるコトバ。


キレイに彩られた食事、シンプルでベーシックな服、手入れの行き届いた部屋、ゆとりを感じさせるインテリア。ひと様に見せるだけあって、そりゃステキ。そんな場面を目にするたび、「毎日忙しいのに、こんなことできるわけないじゃん!」なんて、斜めに見てました。


でも。


当たり前のことをやらなくなった今、ようやく気づく。


今までの生活も、わたしなりの「丁寧な暮らし」だったんだと。


「ひとに会わないから」「周りから見えないから」
自分のためなら、なんとでもいえる。
だれに迷惑をかけているわけでもない。


けれど。


自分をつくっているのは、一瞬の連続。

「自堕落」とは、よくできたコトバだ。

今さらながら芽生える、自覚と責任。


明日から、メイク、しようかな。フルじゃなくても、眉とリップくらいは。
それから、野菜と肉、魚、たまご。血と肉となる食事。


新しい「丁寧な暮らし」を、はじめてみますかね。


ま、ゆるーくですが。

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