市川櫻香

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むすめかぶき

【序】 人間のすることは、すべて人間の精神を通してつくられる。 だから、世代を超えていろいろな精神をくぐっている間に 変質しながらも人々の心に届きます。 むすめかぶきは、歌舞伎に憧がれた女性たちの集まりです。 憧れは若い娘の持つ魅惑的な時代には、創造に向かう第一 のはたらきといえるのです。 『女子力』の著者、馬場伸彦氏は、結成当初の私達を見て このように表現している。     むすめたちは、フォルムのなかに魂を入れようと   もてあます表現の欲求を、禁欲的なまでに重い衣裳

    • 舞踊家の哲学 市川櫻香

      日本を訪れる外国人の多くは伝統芸術文化を求めて来日する。 世界的な関心の的は、寺社と日本庭園、能、歌舞伎と茶の湯である。 これらは、実はひとつに繋がっていることを、わかりやすく説明す ることがなかった。 それぞれ個別で鑑賞するばかりである。 日本人も、その構成や美しさを、神秘性や深遠性、禅思想、といった 言葉に終わり、はっきりそのことを、伝えることができていない。 歴史を振り返り、能や歌舞伎では、その物語を説明するばかりである。 これでは、外国の人にも子供にも伝わらない。

      • 「珍しきは花」となれますよう

        桃山時代、太閤秀吉のもとに千利休の草庵、茶室の庭一面に朝顔が美しく咲き誇っているという噂が届く。秀吉は早急利休のもとを訪れたいと思い、朝の茶会におもむく。しかしいざ秀吉が利休の家に着くと、目当ての朝顔は引き抜かれて一輪もない。不機嫌な秀吉が茶室に入ると鮮やかに一輪朝顔が床に活けてあった。秀吉はその美しさに感嘆した。(茶話指月集)に書かれている。期待に応え実現するのではなく、ひとつ上の次元に上げた上でその期待に答えたと言える。ただ美しいのではなく、こころから感動に向かわせる為に

        • 京都へ、むすめかぶき

          9月4日(日)京都金剛能楽堂:むすめかぶき・金剛流能楽 【体験と鑑賞】「むすめかぶき」とは女性の演じる伝統芸能 初の金剛能楽堂での上演。先輩藝能「能楽」の懐に参ります。 どうか宜しくお願い致します。

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        むすめかぶき

          「珍しきは花」となれますよう

          桃山時代、太閤秀吉のもとに千利休の草庵、茶室の庭一面に朝顔が美しく咲き誇っているという噂が届く。秀吉は早急利休のもとを訪れたいと思い、朝の茶会におもむく。しかしいざ秀吉が利休の家に着くと、目当ての朝顔は引き抜かれて一輪もない。不機嫌な秀吉が茶室に入ると鮮やかに一輪朝顔が床に活けてあった。秀吉はその美しさに感嘆した。(茶話指月集)に書かれている。期待に応え実現するのではなく、ひとつ上の次元に上げた上でその期待に答えたと言える。ただ美しいのではなく、こころから感動に向かわせる為に

          「珍しきは花」となれますよう

          舞踊家の哲学

          よしあしびきの山めぐり 市川櫻香  「コップに氷が入っています」 「氷が溶けると何になると思いますか」 能楽笛方藤田流十一世宗家藤田六郎兵衛師が子供たちを 前にこんな質問をしたそうです。 藤田六郎兵衛 「ふつうはみんな「水になる」と答える でしょう、でもね、一人の女の子が『春になる』と答え てくれたんだよ、僕は、そんな子供達を育てたいと思っ ている」  この話が本当にあった話なのか、または、芸術のあり方 を投げかけるための寓話であったのか、先生が旅立たれ た今ではわかり

          舞踊家の哲学

          女曲舞

          鎌倉幕府以来、武家文化は、平安朝の貴族文化に則って これを新しく再生していく。そこに取り入れていない ものがある。それは、大陸から入ってきた雅楽、伎楽の 怪物面である。鎌倉武士は田楽を好んだ。鎌倉末期に 近江猿楽諸座による田楽の新たな方向、歌舞的な表現 の舞台へと発展する。天女の舞は、信長公記からも様子 を想像することができる。 武家文化が望んだ舞台芸能は、写実的な表現を主とした 演劇に向かわず、歌舞を元にした舞踊に向かい、感覚的 な美による新しい猿楽を創成していった。 その

          geidouの哲学

          NO1: 習うことから大きく変化させる為に  習うとは、私を確認する他者を得ること  振りや型、形を真似る、それからの稽古は  自己の切磋であり、それには、身体のみにあらず  こころへの作用と、こころからの作用を用いて  これを「道」とし、芸の道が里に下りて、また山に 帰るように、道は繰り返し往還、そこにいわゆる 「芸の道」があらわれる。  倉澤行洋先生はこの事を「芸道者の旅」と示されている。  「ここで、習いというものを、往還させていく。   芸道の根源である、こころは

          geidouの哲学

          舞台芸能の真剣

          戦の勝負のように舞台芸能は、生死を賭ける真剣を秘めていた。芸能者として生き残るか没落するか。かつて人は極めることの執念を生命の主としていた。これを現実の真っ只中に据えながら、執念という内面により現実から自在自由である。これを外面から見れば、いつでも死を覚悟している有り様といえる。新たに向かう、または新たに生じることはすべて期待、あるいはときめき。何ごとも恐れることはない、すべて盃の笹は飲みほすものでありたい。

          舞台芸能の真剣

          はじめまして

          いつか言おうとしていることは、今、感じてることからいつも始まります。

          はじめまして