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-生死を何度も往来した「私」-

例えば自分以外の存在に入れるとしたらキミは何にはいってみたい?

私は自分以外の存在に入りたいとは思わない。二度と私という存在に戻ってこれない、そんな自分の生を全うもせず置き去りにして自分の全てにサヨナラしてしまうもの。

もし入れるとしたら私ならこの惑星、地球に入ってみよう。私からしたら悠久の時間を重ねてできた惑星(ほし)。どこの場所でどんなことが起こってどんな歴史や文化、言語ができてどんな事象があったなどが全部地球なら知っている。
考古学者がいらなくなるかもしれない。
歴史を辿る面白みがなくなってしまう。
わからないことが多い方が知的好奇心を煽られるのかもしれない。未知なる世界の方がわくわくする。全部わかってしまった世界にすむのは未来も創造する意欲もなくなる。そんなの、つまらないじゃない?

感情って何だろう。木に入ってみよう。
雨風光に包まれてすくすく育ってきた木に入ってみた。鳥の囀(さえずり)、日の温もり、大地の肥沃さに包まれてきた木。すると目の前にブルドザーが現れて私の入った木を薙(な)ぎ倒す。

バリバリバリバリ

幹や枝が折られる。痛い。それは私の一部だ。今度は火がつけられる。炎は私の入った木をバチバチ燃やしてゆく。

熱い。木の声にならない叫び声が私を切り裂き燃やしてゆく。


ハッ

目が醒めると私は産声をあげていた。とある国のとある病院で助産師さんに「元気な女の子ですよ!」と産まれたての姿を取り上げられ宙に浮く。
さっき木とともに死んだ記憶はそのままで私は新たな命をもって生まれたみたいだ。

それからしてまたしても庭遊びをしているとき、庭の蜜柑の木にとまりにきたメジロを眺めてみて翼のある世界はどんなだろうと想像してみた。

目を閉じて開けてみたら私は色彩の違う世界で人間の女の子を見下ろしていた。足は軽やか、私はメジロに入っていた。今までお世話になった容器なる女の子の記憶はそのまま、私はトントントンと蜜柑の木に刺さった果実を少し啄むと駆け寄ってきた女の子の姿に驚いて飛び上がったかと思うと屋根に移りそのまま空高く舞い上がった。

翼を広げ気流と真逆にすこし寒い空を回る。私は鳥の気持ちに寄り添う。人間の私は空を飛び、人間とは異なる色彩の世界、そして鳥の声や鳥の「感情」を知る。同志のメジロや雀に会う。同じ翼をもったものたちから天候が雨になるから翼が濡れないようにと「会話」しあい、ここは私のテリトリーだなどと目配せする。

電柱から山の方角をみて鳥の中に入った私は思う。今度は「生き物」以外に入ってみたい。例えば、土地とかどうかな。

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