督促えげつなかった記憶

10年前の話だから具体的に何がつらかったのか覚えてないけど、つらかった記憶だけ鮮明なのよな。覚えてたら気が狂ってしまうからどんどん忘れるのだ。
専門出たばっかりでバイトで食い繋いでる時に高校生の弟を養うことになって急遽地元に戻って、当たり前だけど二人分稼いでる時に、稼ぎが多いからってめっちゃ税金請求されて死にかけてた。「小柄な子って人気あるからうちの店で働かない?」ってスカウトマンに声かけられた時、本気で働こうと思って事務所までついていってママにお話聞いたわ。当時、市に相談するとかそう言う知識が欠けてたし、愚痴る親を見てたから行政は敵だと思ってたし(今も思ってるけどw)、仮に行ったとしても両親は普通に生きてたから実家に帰ったら?とか言って助けてくれなかっただろうな。まあそれは生活保護の相談しても門前払いだった今の区役所も同じだが。なんで両親生きてるのに私が弟の保険料払ってんのか考えろよ、ってのは地元にも今の区役所にも言いたかった。(ちなみ弟が高校卒業して一緒に今の居住区に来たら保険料下がった。助かった…)でも基本的には自己肯定感が恐ろしく低かったから常に「自分が悪い」と思ってしまって窮状を訴えると言うことができなかったんだな。最低限の補償とか生きる権利なんて言葉を知るのはずっと先の話。そう思うと平々凡々と育った新卒みたいな人を生活保護の窓口に置いてた当時の区役所は本当に助ける気なんてなかったんだろうなって思う。普通に生きてるみなさんは「日本に貧困はない」とマジで思ってるらしいので。

…と言うことをどんどん発信しないと黙って死んでいった人たちとこれから死ぬかもしれない人たちのことが葬り去られてしまうのでどんどん書くぞ。


家庭にも学校にも職場にも居場所がない人が逃げ込める駆け込み寺ならぬ駆け込みシェアハウスを作りたいと思っています。ご賛同いただけましたら幸いです。