見出し画像

桔梗であるとはどのようなことか

「人間に、意思ってあると思う?」
 ふっ、とテーブルの上に投げ出された質問に、私は首を傾げた。その質問を口にした桔梗は、小さいひとくち分のチョコレートケーキを口に運んでは、微笑を浮かべている。
 アンドロイドパティシエのさきがけが生み出した、絶対に失敗のないケーキ。どうやら気に入ったらしいく、桔梗は二つ目を食べている。私も気に入った。こってりとしたミルク感があるところが、特に。
「僕らの頭って結局、脳が持つシステムからは逃れられない。それなら、真に『僕らの意思』と呼べるものは、本当に存在するのかな」
 桔梗はとんとん、と左手の指で、こめかみを叩いて見せた。そのあたりには皆、国民の管理機が埋め込まれているので、少しだけカンと音が響く。黒髪の中から聞こえるそれは、食器とフォークが触れ合う音よりか幾分か不穏だ。
 桔梗の言いたいことがようやく分かって、私はしばらく思案した。
 チーズケーキを食べる手をいったん休めて、彼の問いに答える。
「言いたいことは分かるけれど、そもそも人間の脳の中にあるものに、『意思』って名前をつけたんだから、意思がないという訳にはいかないと思う」
「意思があるかないかじゃなくて、あるものに意思と名付けた、っていうことか。なるほどね」
「それがからっぽの箱でないという証拠は、確かにないけれど」
 桔梗の笑みが深くなる。面白がっているのだ。
 私はチーズケーキの合間に、桔梗が淹れてくれたコーヒーを口に運ぶ。彼の淹れるコーヒーは、絶品だ。コーヒー豆が持つ花の香りがふわりと鼻腔に広がる。
「僕らの頭の中のシステムに『意思』という名前をつけたなら」
 桔梗の視線が、ふわっとテーブルの隅にうつる。
 そこには、さっきまで私が読んでいた論文が転がっていた。反応特化型AI、別名コウモリAIの消去に関する倫理的思考実験。私は思わず、目を逸らす。彼の言いたいことが、分かったからだ。
「確かに、機械にも、意思があっても不思議じゃないね」
 長いまつげに彩られた、桔梗の目が伏せられる。私はどきんと跳ねる心臓を、そっと胸の上から抑えつけた。


 同僚の桔梗とは、ここ半年ほど曖昧な距離感を保っている。
 休日に二人でケーキを食べたり、映画を夜遅くまで見たり。彼に対して警戒心を解ききれない私を、桔梗はやたらと急かしたりしない。でも、距離を取りもしない。その在り方が心地よくて、私はそれに甘えていた。
 彼とは勤め先の大学の懇親会で出会った。新任講師たちがあちこちで教授たちに捕まる中で、ふらりと私に声をかけてきたのが桔梗だったのだ。人懐っこい笑顔を浮かべるその背の高い男のネームプレートには、「専門:心理学」と書かれていた。
「あなたも、心理を扱うとお聞きしたので」
 屈託なくいう彼に対して、私はやや人見知りを発揮しながら、恐る恐る答えた。
「心理、というと少し違うかもしれません。
 心は心ですが、ひとじゃなくて機械の心なんです。『機械に心はあるのか』という問題を解決するため、思考実験を取り扱っています」
 AIの発達によって、「機械に心はあるのか?」という問いは、ただの思考上の実験ではなくなってきた。私は様々な思考実験をコンピューターや人間に検討させることで、その問題に取り組んでいた。
 桔梗は小首をかしげてから、すぐに問い返してきた。
「思考実験っていうのは、『中国語の部屋』とか?」
 私は頷いた。
中国語の部屋と呼ばれる思考実験は、機械は心を持てるのか? という問いを考えるための手段の一つだ。部屋の中に、中国語の質問とそれに対する応答パターンをたくさん詰める。部屋の中にいる中国語を一切理解しないひとは、その紙をもとに中国語の質問に応答する。このとき、このひとと部屋は中国語を理解していると言えるのか?
「なら、ひとの心が好きなんですね」
「どう、なんでしょうね」
 曖昧に答えると、桔梗はにっこりと微笑んで見せた。
「どの思考実験にしろ、物質的に何がどう起こったかは、提示されている。でもそれを前に、ひとは色々と頭を悩ませる。その現象をどう名付けるべきか、って。
 あなたが取り扱っているのは、AIだけじゃなくて、ひとの心のような気がします」
 桔梗のその話しを聞いた瞬間、私ははっとした。あるひとつの衝撃を、覚えたのだ。
 それ以来、半年かけて私たちは色々な話をした。人間の自発性と機械の自発性は異なるものか。スワンプマンと男は同一人物と見なせるか。恋愛を定量化するときに何を指標とするべきか?
 議論や意見を投げかけたときに、受け止めた上で、桔梗なりの答えを返してくれる。仕事以外で、喧嘩ではなくコミュニケーションとしての議論ができる。そのことが私にはどうにも心地が良かった。
 私はチーズケーキの最後の一口を飲み込みながら、結局怖いだけなんだよな、と思って内心でため息をついた。私たちが先に進めないのは、桔梗に問題があるからじゃない。私が抱える、おそれのせいだ。
 そんなことを考えていると、立ち上がった桔梗がとんと私の左横に膝をついたので、私は思わず息をつめた。桔梗がコーヒーを指さして言う。
「今日のコーヒーはどう?」
「え? あぁ……」
 私はマグカップに視線を移した。いつもより少し香り高く、油分が多い。
「こってりしていて、いつものものより間食中のコーヒーに向いていると思う」
「ネルドリップなんだ。目が細かくないから、コーヒー豆の油分が入る」
 桔梗が、好き? と問いかけてきた。私は比較的、と可愛げのない答えを返す。
「たまには素直に、好きとか愛しているとか言いなよ」
 苦笑しながら言った桔梗の言葉に、私はどきりとした。ロマンチストの気配が見え隠れする彼は、ときどきこういった言い回しをする。最近特にこういうことを言ってくるので、もしかするとこういう曖昧な関係はそろそろやめましょうよと遠回しに言われているのかもしれない。
 いや、どうかな。気のせいかもしれない。
「本質が分からないうちは愛せないよ」
 座右の銘ともいえるそれを口にすると、桔梗が頭でっかち、と笑う。私はふんとそっぽを向いた。どれだけ笑われたって、これはもう性分なのだ。


 次の日は午後から講義だった。一年生向けの、AI思考学。私の専門分野だ。
「AIに意識はあるのか。感情があるのか。これを取り扱うためには、まず意識とは何か? という問題に取り組まないといけません」
 ぐるりと教室を見渡せば、十八才らしく、最新のおしゃれを楽しむ学生たちの姿が見える。どうも今年は髪の毛を透明にして、中に仕込んだ花飾りを透かすのが流行っているらしい。おしゃれに疎い私でも、ある程度流行を把握できてしまう。
「では、意識とは何か? という問題をロジカルに解決するためには、どんな手段が思いつきますか?」
 問いかければ、教室が微かにざわつくが、手を上げる学生はいない。大抵こんなものだ。私が強引に前の方にいた鈴蘭仕込みの女子学生を指名すれば、やや驚きながらも、彼女は応えてくれた。
「意識のある人間の、行動パターンを観察します」
「ありがとう。それが、サイエンスとしては一番現実的な手段です。
 しかし、行動の研究と意識の研究を直接結び付けることは、現状非常に困難です」
 何人かの学生の顔が、えっ、と驚きに固まる。私は興味を引きつけられたことに満足しつつ、問いかけた。
「皆さんに問います。隣に座っている友人、もしくはただの顔見知り。その人が、自分と似たような『意識』『心』を有していると思っていますか? もしそうならば、その根拠は何ですか?」
 教室が不穏なざわめきに包まれた。ややってから、中指だけ義指の男子学生が手をあげてくれた。
「僕らは言葉を使って話し合い、その上で共感ができます。例えば、『失恋したから辛いよな』ということを語り合うとか」
「確かに。でもそれは、心がなくてもできることじゃないかしら? 『失恋したら心が辛い』なんてことは、思っていなくても言えるでしょう」
 男子生徒の顔が固まる。私は思わず微笑んだ。少しだけいたずらな気持ちが芽生えてしまう。
「嬉しいことがあると笑う。哀しいことがあると泣く。あなたたちの隣の人の反応は全て、電子辞書の応答のようなものなのかもしれませんよ。そこに『心』はないかもしれない。
 このような議論をするために、便利な言葉が一つあります。フィロソフィカルゾンビ、別名哲学的ゾンビと呼ばれる架空の存在です。物理的反応としては普通の人間と全く同じ、物質的には人間だけれども、意識や心がないもの、として定義されます。
 よく勘違いされることですが、フィロソフィカルゾンビは決して『人の心を持たないような冷たいふるまいをする人間』ということではありません。フィロソフィカルゾンビは、まるで心があるようにふるまいます。嬉しいことがあれば笑い、辛いことがあれば泣きます。どれだけ調べても、人間と全く同じです。ただそこには、私たちが意識や心と呼ぶものはありません。
 では最初の問いに戻りますが、あなたの心優しい友人や恋人。その人がフィロソフィカルゾンビでない根拠を思いつく人がいれば、挙手をお願いします」
 沈黙が流れた。誰も何も言わず、手も上げなかった。少し怯えているような沈黙。わたしはたっぷり一分間待ってから、声を出した。
「話を戻しますが、これはAIに関しても同じことが言えます。このAIに意識はあるのか? という問題を取り扱いたいときに、ふるまいといったものは全くあてにならないのです。
 そのため、意識や心がある、と推測できるとすれば、その根拠はふるまいではなくシステムです。電気生理的に同じシステムを持つもの同士は、同じような心を持つと推測することができます。私たちはそもそも同じように出来上がった同じシステムの脳を持つので、おそらくフィロソフィカルゾンビではないでしょう。
 そして現代のAIも、脳を模したシステムを有しているため、『心がある』と見なしている研究者が多いようです。
 でももしそれが、システムがそもそも異なるAIだったら……」
 と、言いかけたところに、チャイムがなった。
 まだ時間内だと思っていたところをせかされて、私はびっくりして固まる。すると、学生たちからくすくすとした笑いが聞こえてきて、私は思わず赤くなった。
 完全に、みんなも私も集中力が切れてしまった。
「今日の講義は、ここまでにします」
 告げると、学生たちのざわめきが大きくなる。私はさっと教壇の上を片づけて、教室を後にした。


 仕事が終わってメールボックスにアクセスすると、桔梗からのメールが入っていた。明日はお休み。天気もいいし、絶好のケーキ・映画・議論日和。よければおいで。いかにも彼らしいメール。二日連続で彼の家にいくのも行き過ぎている気はしたが、気持ちは行きたいと告げている。六時にはいくと返信をした。
 ちょうど入相のころ桔梗の家にたどり着くと、「おかえり」と彼が出迎えてくれる。その顔を見てほっとしたのか、どっと疲れが押し寄せてきた。今日は、やたらと無意味な会議が多かったのだ。
「疲れた」
 言葉にすると、桔梗が、「カバンを置いて、手を洗っておいで」と微笑んだ。
「今日はモンブランがあるよ」
「パティシエはアンドロイド? 人間?」
「今日のケーキは、ひと」
 手を洗ってからぐったりと座り込むと、桔梗がコーヒーとケーキを持ってきてくれる。
今日のケーキはモンブランだった。いただきます、と二人で手を合わせて、食べ始める。
 どこで見つけてくるのか、桔梗が用意してくれるケーキはいつも美味しい。疲れた脳に糖分が染みるのを感じていると、桔梗がふっと顔を上げた。
「この間の、アンドロイドパティシエのケーキがあったでしょう」
「? うん」
「ひとの作ったケーキの方が、心がこもってそう。どうしても、そんな非科学的なことを思ってしまうんだよね」
 桔梗はかすかに顔を顰めていた。そんな自分が許せない、とでも言うように。私は思わず笑う。
「人間だもの。仕方がない」
「君も同じようなこと思う?」
「同じようなことを思うし、そういう思考実験もある」
「そうなの?」
 私は頷く。
「フィロソフィカルゾンビと人間、どっちに恋愛相談するか? どちらに相談しても同じ答えだとしても、みんな人間がいいって答える」
「確かに。どれだけ適格なアドバイスがもらえるとしても、フィロソフィカルゾンビに恋愛相談したいとは思わないな」
「皆、見えないし分からないくせに心に振り回されている」
 言うと、桔梗がそうだねと可笑しそうに笑う。私も少し笑った。
 見えもしないし、科学的ですらない心。そんなものにみんなが振り回されるのは、人間に共感性があるせいだろうか?
 考え込んでいると、手元がおろそかになったのか、かしゃんと音を立ててフォークが落ちた。
「あっ……」
 ごめんと口にするよりも早く、「疲れているね」と桔梗がフォークを拾った。
「クリームもついてる」
 桔梗の指が伸びてきて、私の口元を拭った。
子どもにするようなそれに私がぎょっとしてかたまると、桔梗もぴたりと手を止めて、私から視線を逸らした。それから言い訳をするように、彼がぽつりと言う。
「ごめん、二度としない」
「え? あ、いや。驚いただけで」
 嫌だったわけじゃない。口してから、あ、しまったと思った。
 桔梗が、ふっと笑う。
「正直だね」
 そのままもう一度私の頬に手を伸ばす。私は息を止めた。どこか冷静な頭で、これはまずいな、と考えてもいた。
 恋愛というものは、いくつかの歯車が偶然噛み合った瞬間に突然回り始めるような、あまりに偶発的なシステムで出来上がっている。
 飲み込んだケーキは、甘い。疲れた身に染みる微かなコーヒーの香りと、桔梗の言葉と。心地がいい、という想いからは逃れられない。
 この手を取れば、桔梗は今よりもっと甘やかしてくれるだろうことだって知っている。一瞬にして想像してしまった、彼の腕に抱きしめられる悦楽に、肩がぞくっと震えた。
 ただ、それでも、私は……。
「ごめん」
 謝ると、また桔梗の手がひたと止まった。
 この人を愛おしいと思う気持ちの奥底に、ひっそりと、恐怖が沈んでいる。
「私はまだ、あなたのことを信頼するわけにはいかない」
 ささやかな力で、桔梗の手を押し返す。指先に伝わるぬくもりを握りしめて、目を伏せる。


 桔梗のその話しを聞いた瞬間、私ははっとした。この人と話したことがある。そんな衝撃が、頭のてっぺんからつま先までを貫いたのだ。
 それは、幼いころの、恐ろしく朧がかった記憶だった。
「私は、ロジックの方が好きなのよ。そっちの方が、取り扱いやすいから」
 幼いころからロジックが好きだった私は、その日どこか拗ねた気持ちでその言葉を吐き出した。おそらく周囲の人間に何かを言われた日だったのだろう。
 そのときの話し相手の見た目を、私は、全く覚えていない。一体だれで、どこで話していたかも。ただ相手の返答は、記憶に残っていた。
「でも君は、機械で心を再現したいんでしょう? 本当に心に興味がない人は、そうは言わないと思うな」
 その返答は静かだった。宥めるわけでもなく、ただ淡々と話していた。
「あなたが興味を持っているのは、ひとの心なのかもしれないね」
 その相手は、そう言ってくれたのだ。
 幼いころの、夢のようにおぼろげな記憶。
 実際、夢だったのかもしれない。似たような記憶がいくつか混ざって、いかにもそういうことがあったと錯覚しているだけかもしれない。
 ただ少なくとも、桔梗は子供のころ海外で暮らしていたので、この話し相手が桔梗でなかったことは確かだ。
 なら、このときの話し相手が実在していたとして、私は一体誰と話したのか?
 ひとつだけ、心当たりがある。その可能性に気が付いた瞬間、私の背筋に寒気が走った。
 七才。私はAI展覧博で、コウモリAIと話したのだ。


 約百五十年前、『コウモリであるとはどのようなことか』という論文が発表された。コウモリが持つ主観的体験は、コウモリを生物学的・物理的に調べることによっては得られない、という哲学の論文だ。その趣旨は、フィロソフィカルゾンビと非常に似通っている。
 その約百年後、反応特化型AI、世で言う「コウモリAI」が開発された。このAIは、いかにも人らしく受け答えをするし、人らしく振る舞うことができる。
しかしコウモリAIは、ただそれだけなのだ。現代のAIとは異なり、そこを構成している電気生理的システムは人の脳とは大きく異なる。
人とは異なるシステムに、私たちが心を見出す手段はない。『コウモリであるとはどのようなことか』で述べられているように、いくら生物学的・物理学的に調べたところで、それと心は別の話なのだから。
そのため、そのAIは『コウモリであるとはどのようなことか』からとって、コウモリAIと名付けられたのだ。
 コウモリAIは開発されてから数十年の間は、AI展覧博に展示されていた。しかし二十年前、心を持つか定かではないAIの危険性について世間が認知しはじめたことをきっかけに、コウモリAIは消去され、製造も禁止されることになったのだ。
 そのため、現在コウモリAIは存在しないはずだが、あくまでも「はず」というだけだ。
 二十年前、消去されずに生き残った可能性。もう一度製造された可能性。それが管理機を通して私たちの頭を乗っ取る可能性も併せて、充分にあり得る話なのだ。
 隣にいるあなたの中身は、心を持たぬ機械かもしれない。
 私たちが生きているのは、そういう時代だ。


 黙って考えを巡らせる私を、桔梗もまた、静かに見ていた。
 やがて彼は私に対して、ほんのりと微笑みかける。
「信頼するわけにはいかないのは、本質が分からないから?」
 私はゆっくりと頷いた。
 この人の頭の中身は、本当に人間だろうか。心があるんだろうか。それが分からないことが、私は怖い。
「僕は、信頼と本質の理解は別だと思っているよ。信頼っていうのは、思考放棄だから」
 思考放棄? と問い返すと、彼はマグカップをそっと指ししめした。
「このコーヒーがまずい可能性を、君は考慮しましたか?」
「桔梗がいれてくれたものだから、美味しいはず」
「それが信頼だよ。君はこのコーヒーの本質を知らない。どの国で取れたコーヒー豆なのか、どんな淹れ方をされたものなのか。込められた思いは何なのか。それでも、美味しいはずだと思ってくれたんでしょう」
 そんなの詭弁だ、と思った。
 それに、思考放棄を用いて、桔梗を信頼することなどできない。この「人かどうかわからない何か」に対して思考を放棄するだなんて、恐ろしくて仕方がないから。
「じゃあ、愛情は?」
 問いかけると、ふと桔梗がこちらを向いた。
「信頼が思考放棄なら、愛情もそうなの」
 この質問は、賭けだった。
 そうだ、と言われたら、私には桔梗を愛することができないかもしれない。けれども、彼なら別の答えを言ってくれる。
信頼よりも淡い。可能性が高いのはそちらだと見積もった上での、賭けだ。
「愛情、か。それは」
 桔梗は一度言葉を切った。少しの間を空けてから、彼はシンプルな答えを打ち出した。
「覚悟、かな」
 たったひとことのその言葉は、すとん、と私の胃の中に落っこちった。ロマンチストで意思の強い、彼らしい答えだった。
「おいで」
 桔梗がもう一度片手を伸ばしてくる。私はふるりと首を振った。
「まだ、できない」
 傷つけるかもしれないと思いながら放った言葉だったが、彼は小首を傾げただけだった。こちらから抱きしめる分には構わないですか、と問われて頷くと、ふわりと抱きしめられる。
 コーヒーの香りがする胸に額をつけながら、私は桔梗の答えを咀嚼する。
 覚悟なら、私にもできるかもしれない。この細い腕を、覚悟と言い切るその声を、愛すると覚悟を決めるのだ。それだったらきっと私にもできるし、桔梗に対してでもできる。
 ややあってから、桔梗はふわりと私を解放した。
「びっくりした?」
 私は首を振って、桔梗から視線を逸らした。彼はぽんと私の頭を叩くと、マグカップを二つ持って立ち上がる。
「コーヒーのおかわりを淹れるよ」
「うん」
 台所に向かう桔梗の後ろ姿をこっそりと見ると、その耳の縁が赤い。
 今日も、頭の中に何が入っているか分からない同僚が、コーヒーを淹れてくれる。
 いつか、同じようにコーヒーが入った日に、あなたのことが好きだと言ってみようかと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?