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書かなければ忘れてしまうことに意味をつける?

 昨日、連続投稿30日のバッジをいただきました。元日からなんとなく始めた連続投稿ですが、今日で、一月中は毎日更新したことになりました。既に去年一年分よりも多い投稿数です。

 このまま次のバッジ(90日)を目指すことも考えていたのですが、記録を更新するための更新は、ひとまずストップすることにしました。

 毎日noteを書くのは、思っていたほど大変ではありませんでした。いくつかは「つぶやき」で誤魔化したとはいえ、「何か書こう」という目で見ていれば、毎日何かしら書きたいことに出会えました。

 20年くらい前にブログを書いていた頃に比べて、ここ数年はすっかり「書きたい欲」がなくなってしまい、もう、私の中の「何かそういったものの泉みたいなもの」(何なのか上手く言えないけど)は、すっかり枯れてしまったのかと思っていたのですが、そうでもなかったらしいです。まだまだ、書こうと思えば毎日だって書けるのだと実感できたことが、連続投稿の一番の収穫でした。

 プロフィールにも書いているように、書かなければ忘れてしまうような些細なことばかり書いています。書かなくたっていいことだし、ましてや誰かの役に立つわけもなく、読んでいただくのが心苦しいくらいです。

 でも、明日には忘れてしまうようなことだって、立ち止まって見つめたり、色を塗ったり捏ねたり膨らませたり組み立て直したりして文章にすれば、少し未来にいる私にとっての、思い出や備忘録になります。書いた私にはそのプロセスも思い出せて、それは、無いよりもあった方がまあまあ嬉しい人生のオマケのひとつかもしれません。

 そして、億万が一、読んでくださった誰かの記憶のどこかに触れて、忘れかけていた何かを思い出していただけたら嬉しいというのが、(昔から思っていることですが)、最大の期待であり、文章を公開している理由でもあります。

 そんなわけで、明日からも毎日、いやいや違う、明日からは不定期で、まだまだnoteを書いていきます。記録を作るための更新じゃなく、もう少しだけ丁寧に書けるようでありたいです。

 それから、ここが大事なところだけど、せっかくこの1ヶ月で癖になった「毎日書きたいことを探す目」は、意識して持ち続けようと思っています。


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