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離さないでそばに置いて

 図書館を建て替える間、仮の図書館となったビルの2階部分には、書架の並ぶ部屋がふたつあった。入り口に近い方である第一の部屋には貸し出しカウンターがあり、日本の小説や雑誌などの棚が並んでいるから人の出入りも多い。対して第二の部屋は、トイレを挟んだ長い廊下の突き当りにあり、外国文学や専門書の棚が中心で、第一の部屋よりも利用者が少なく静かなのが常だった。

 先日、私がその第二の部屋の方へ近づくと、中から女の子の声がした。幼稚園に通うくらいの女の子がベンチに一人で腰掛けて絵本を読んでいるのだった。児童書のコーナーは別のフロアーにあるので、普段は滅多に子供を見ない。女の子の他には、ベンチに座って本を読んでいる初老の男性と、新聞を開いている中年男性がいるだけのシーンとした中、女の子の声は明らかに異質だった。

 その新聞男性が、バサッ! と大きな音をたててページをめくった。その音から感じられる小さな苛立ちに、私も自分の苛立ちを許したくなった。

 なぜあなたはひとりで、ここで、声を出して絵本を読んでいるの? 

 小さな子がたどたどしく絵本を音読しているだけのことだ。もともと、このくらいの子供に黙読は難かしかったかもしれない。もしかしたら、本を読めるようになったことが嬉しくてたまらない時期なのかもしれない。

 すごいね、ひとりでご本が読めるんだね、…と、そう褒めてあげたい私もいるにはいた。単純に「可愛い」と思ってもいいはずだったし、そういう優しい目で見たいとも思った。

 でも、正直に正直に言うと、イラッとしたのだ。その子が本を夢中になって読んでいるのではなく「見て見て、私を見て」と言っているようにさえ聞こえる。「もう少し小さな声で読もうね」と、言いたい。でも、それでこの子がどんなリアクションを取るかと考えると面倒だ。

 結局、自分の中に湧いた不快感に驚きながら、さっさと借りたい本を書棚から引き出し、第一の部屋に戻った。

 しばらくすると、「ママー」と言いながらさっきの子が第一の部屋に入って来た。その行き先を見て、ああ、あの人が母親なんだなとわかる。母親は雑誌を選んでいるようだ。それがまだ終わりそうもないと見てとると、女の子は「ここでご本を読んでいていい?」と聞いた。母親がそれにどう答えたのかは聞こえなかったが、女の子は近くのベンチに座ってまた音読を始めた。

 そのベンチの並びに座っていた女性は黙って席を立った。女の子は1枚もページをめくらないうちに、「やっぱり向こうのお部屋に行くぅ!」と言って廊下を走って行った。

 その子の背中が第二の部屋に消えたとき、私はふいに怖くなった。どうしてこの母親は、我が子が他人から不快感を持たれることに平気でいられるんだろう。どうして、あっちの部屋で何事も起こらないと、信じていられるんだろう。