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色味

20年以上前に私がネット上で使っていた仮の名前(ハンドル)は、食べ物から取ったシンプルな名前だった。その、同じ名前を名乗る人をみつけ、親近感を抱いてその方のページを開いて読んでいたら、いろいろと思い出すことがあった。

私がその食べ物を名乗っていた当時は、まだSNSもブログサービスもなく、各々が「ホームページ」を作って日記を書き、それぞれの掲示板(BBS)やリンクによって人は繋がっていた。私は、今よりも活発に書いていたから、ネット上の知り合いも今より少し多かった。

もしも、今はもう切れてしまっているその頃の知り合いが、その「食べ物名」の人を見つけたら、この私かもしれないと思ってクリックしたりするだろうか? と考えた。もっとも、先にプロフィールを見れば、年齢的に全然当てはまらないのはすぐに分かる。でも、それがなかったら? いや、それでも少し読んでみれば違うことは分かるものかもしれない。「文章」だけで知り合っていたのだから……。

その名前の頃、私はK(樹木の名前)と名乗る人の日記(視点)が好きでよく訪問していた。Kさんは、淡々と日々のことを綴る二十代前半の方だったが、静謐な文章が独特で、たくさんの人に読まれていた。ある日、なにかのきっかけでコメントを書いたら、Kさんが私のページを見に来て、コメントを残してくれた。そこには、

「普段、私は若い人の文章を読むことが多いのですが、あなたのように結婚してお子さんがいらっしゃってもなお青いことが書けるのだということに少し勇気をもらいました」

とあった。うろ覚えだが、だいたいそんな内容だ。

馬鹿にしているのか、褒めているのか、いや、やはり馬鹿にしているのかもと判断に迷ったが、主婦らしいことや子育てのことを書くこともなく「私は私だから」という勢いだけで書いていたので、まあ、青いと言われても仕方なく、むしろ同じ色を感じてくれことが少し嬉しくもあった。

「青い」というのは、辞書によれば「人格・技能や振る舞いなどが未熟である」ということだ。だとしたら、子供どころか孫が生まれた今も、私は青いままだ。どうよ、Kさん、「まだ書いてるの」って呆れるかな。

そもそも、たとえ年を経て考え方が変わってきたとしても、人が本来持っている「色味」は変わらないんじゃないかと思う。もしも私が昔ピンク色(例えがアレだが)のことを書く人だったとしたら、今もくすんだピンク系をしているだろう。だからKさんも、心配しなくたって10年も20年も青系だったはずだ。色味(持ち味)を変えることの方がきっとずっと難しい。

* * *

Kさんの日記はある日を境に更新されなくなり、私はそのページを覗いて見ることを少しずつ忘れていった。数カ月後に思い出して訪れると、Kさんの掲示板(今でいうコメント欄)は追悼の言葉で溢れていた。2004年頃のことだった。

だから私はもう、Kという名前を見つけてもクリックしない。