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毎日note #18 風の音 楽曲深掘りの土曜日 2024年5月18日付

櫻坂46 6thシングルに挟み込まれたカップリング。
カテゴリとしては期生曲。一期生曲だ。

一期生曲、という語句が存在すること自体、本当は違和感がある。

なにせ欅坂46を作り上げた一期生。そういえば、そもそも一期生という言葉にさえ、慣れてきてからそんなに時間は経っていない気がする。
欅坂といえば、全員選抜。二期生が入る前は当然一期生しかいなかったから、一期生なんて言葉も存在しなかった。もちろん、一期生曲なんて言葉があろうはずがない。

欅坂の楽曲のほとんどが、一期生曲なのだから。

そこから歴史は重ねられた。

このnoteでは散々その歴史について書いてきたし、おそらくこれからも書くことになるだろうから、あえて楽曲深掘りの今回はそこに触れない。

ただその歴史を見ずに今を見ようとすると、まずその人数の激減ぶりにため息が出る。

「風の音」に参加した、一期生。
上村莉菜、小池美波、小林由依、齋藤冬優花、土生瑞穂。

5名。



この曲、先日まで、披露されたのは6th発売記念配信ミニライブのみであった。そのミニライブを観ることができた人しか、パフォーマンスを知らないという実に特異な曲でもあった。
それが、8th BACKS LIVEにおいて、齋藤冬優花センターで披露され、ようやく客前での披露が叶ったということになる。

人数もさることながら、カップリングとしてもあまりに披露の少ない楽曲であるところがそのプレミア感を強くさせている。

だから、というわけでもないのだが、一期生曲として頭に浮かぶのが「タイムマシーンでYeah!」で、あの曲が突き抜けて明るい曲調なのに対し、この曲は洗練されたスタイリッシュな欅坂路線、どちらかというと「10月のプールに飛び込んだ」に近い路線のように感じる。
前述のプレミア感と、欅坂を彷彿とさせる路線が、私の心を熱くさせて離れない。



秋元康は、欅坂の主人公の「僕」に、学校と自分の関係を支配する側とされる側で描き出して、鬱屈する気持ちを大人から見ると破天荒な行動によって爆発させるシーンをたまに見せる。そしてこの部分が、ティーンエイジャーの心の機微を映し出しているのではあるが、そう考えると、欅坂が人間の持つ闇の一面に光を当てるという、およそそれまではあまりしてこなかったことがあれだけの熱狂的な人気を得た一つの要因ではないか、という議論に一つの答えをくれる気がする。

ただその一方で、その闇は闇のままで置いておきたい人だって当然存在するし、その人たちからは強烈な拒否反応を喰らう。人間、綺麗な部分だけを見て生きていけるならそれに越したことはないし、わざわざ自分の中にあるドロついた部分を直視することに何の意味があるのか、という人の考えも理解できなくはない。

例えばこの曲の歌詞。
この曲には、二人の主人公が存在する、と私は思っていて。

君がいなくなった 急に…
授業中に席を立って
教室の後ろのドア
大胆 正々堂々出て行く

先生には 見えなかったの?
それとも もう諦めたか?

今すぐ僕も そうしたいけど
そこまで勇気がなかった

櫻坂46「風の音」

授業中に出て行った「君」と、それを見送るしかなかった「僕」。
この曲が面白いなと思うのは、欅坂路線の曲でありながら、視点は欅坂のときと違って主観ではなく客観であることだ。

欅坂46がこの物語を歌うなら、主人公は授業中に出ていった「僕」だったはずだ。
ところが、同じ欅坂の一期生だった彼女たちが、櫻坂として歌うのは、そんな「君」を二人称として見つめる「僕」。大胆な行動が取れないばかりか、自分のことをこうも歌う。

そして君は僕に振り向いて
「聴こえたでしょ?」って微笑み掛ける
汚れてしまった 僕はもう
嘘をついて(もちろん)
頷いてる

櫻坂46「風の音」



汚れてしまった「僕」。
ということは、「君」のような自由な行動をとるのではなく、体制側に身を落としてしまった、言い方を変えれば社会に組み込まれつつある「僕」。もちろんそれをよしとせず、そのことを「汚れてしまった」と表現する。

迎合、と言うとどうしても言葉の響きも良くないが、社会に組み込まれないと生きにくいというのも日本の世の現状である。それは間違いない。いい悪いではなく、事実として。

自分だって、前は尖っていて、学校に、先生に背を向けて、こんなところにいても意味がない、どうやって脱け出してやろうかしか考えていなかった。でも時が経って、そんなことをしようとするのも面倒になって、億劫になって、それでも今の自分が正しいとも思えなくて。そんなときに自分の前に現れたのが「君」で。

自分がやれなかったことを、いとも簡単にこなしてしまっている「君」を見て、追いかけるのが義務だと思ってしまった。
追いついた「僕」に、「君」が聞かせたのが…


風の音。




何を聴いていたかではなくて
聴きたくない 何かあるんだろう?
大人になるって 面倒だ
色々な音(混ざって)
自分らしく生きるって難しい Uh
(風の音)

櫻坂46「風の音」


学校がプリズンだと歌い、ならば社会に早く出たいのかと言われるとそうでもなく。
大人になるって、なんだろう。
何かを諦めることなのか。
それとも、逆に何かを突き詰めることなのか。
自由を諦めることが大人で、子どもは自由をずっと欲しているものなのか。
ならば、自由ってなんだ。
自分の好き勝手に生きることが自由なのか。
楽しいのか。
いや、おそらく三日で飽きる。
飽きたらどうする。

自らプリズンに戻るのか。

なんだその人生。


…そんな自問自答の繰り返しで、きっと「大人」になっていくのではないかと、大人になってから数十年も経つと感じてしまう。
私自身、そんな自分も、特に肯定しているわけではないのだけど。

そうやって答えが見つからない中で、いい歳してもがいていると、
欅坂にスッと入り込まれてしまった。
まるで隙を伺っていたかのように。


そこから数年。


21人いた一期生は、大人になることに苦悩しながらも、おそらく次々と大人になって去っていった。

私は…
私は年齢だけは大人でも、中身は大人になりきったと言えるかどうか。


でもそれでいいのかもしれない、とどこかで思ったりして。



6thミニライブ披露から、さらに土生瑞穂・小林由依が卒業して、三人となった一期生。

でも、この曲はまだ生きている。


センターである小池美波が復帰したからだ。



いつかどこかで、小池美波の奏でる風の音が聴きたい。

noteの中でも、櫻坂46・日向坂46に特化した内容ですので、特に二つのグループの推し活を経て、皆様に文章で還元できるよう努めてまいります! よろしければサポートをお願い致します。