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菅井友香は最後に欅坂の曲を選ぶか否かー2022.11.9東京ドームに広がる光景とは

11月9日の東京ドーム。櫻坂46のツアーファイナルでもあり、菅井友香卒業の場でもあるこの場所で見せてくれるもの。それは。

セトリに関しては大きな違いはないかもしれない。そしてこのセトリは最強だと言って過言ではない。だから安心してその世界観の中に身を置いて間違いない、という自信がある。

一方で。

菅井友香卒業という大テーマのあるドーム最終日が、全く同じセトリだとは私も考えていない。おそらくほとんどの人が考えていないことだろう。
卒セレがあるのならば、当然の話ではあるのだが…
だとすれば、そこに広がる光景はなんなのか。


fusionー




fusionー融合。

ブログのタイトルに「選ぶか否か」と書いたものの、公式でこの予告編で出してきて、まさか欅坂を望むなとは言うまい。

いつも思うことなのだけれど、櫻坂46は欅坂46の正式継承であるのだから、その過去を否定したり、消し去ろうとしたりする行為そのものがおかしいのであって。
欅坂という礎の上に、櫻坂がある。それだけは否定し難い事実。
まして菅井友香の卒業が控えるということは、櫻坂としての彼女はもちろん、それ以前の彼女にスポットを当てないのは不自然極まりないのである。

だからこの「fusion」はある意味、当然なのだ。



ただその一方で、「欅坂を推してはいたけれど、櫻坂は推していない」という人たちがいるのもまた、事実で。
そういう人たちがおそらく思うであろうことは、櫻坂46に欅坂について触れてほしくない、ということ。
何故ならそれは、自分たちで欅坂を封印したのに、なぜ今更欅坂にこだわるのか、まだ欅坂を引っ張り出さないとダメなのか、欅坂46を超えるんじゃなかったのか、という反発である。

もう一つ。
櫻坂になってから推している皆様にとっては、欅坂を引っ張り出されるのは納得がいかない、ということのようだ。
欅坂ではなく、櫻坂のLIVEなのだから。
菅井友香も、櫻坂の魅力を伝えたい、と言っているのだから、と。

もちろんそれもよくわかる。



でも、違う。違うのだ。明確に。


私も櫻坂は、欅坂を越えないといけないと思っている。そうでなければ、櫻坂の存在意義にも関わるとさえ思っている。そして、未だそれは達成されていないと感じる。
でもそれでいいとも思うのだ。
たった2年で超えられるほど、低い壁ではない。
それは、欅坂に心奪われた人ならば、きっと異論になるはずがない。

違うというのはそこではなくて。
今回はその欅坂と櫻坂をキャプテンとして引っ張ってきた菅井友香の卒業が絡むのである。
ここで欅坂に触れない、ということは、彼女の辿った歴史を改竄することにつながる。彼女のラストとなる東京ドームで、櫻坂に欅坂がfusionするとすれば、それは当然すぎるくらい当然の話なのだ。

櫻坂を、見てほしい。

もちろんそれもあるに違いない。でも、彼女を作り上げたのは間違いなくその二つのグループであって、優劣がつけられる話ではない。

理由は簡単で、アイドル菅井友香の礎となったのは欅坂46という存在であり、もちろんまだ「生きている」からだ。


…というか、私自身、欅坂も櫻坂も推す身として、なぜそこまで欅坂に対する一種の身構えが起きるのだろうと考えてみた。

理由は二つ考えられる。
一つは、改名発表のときのキャプテンによる「欅坂46とは前向きなお別れをします」という言葉への想いの強さ。
よく言えば、この言葉に真摯であってほしい、という想いであり、悪く言えば「執着」である。
欅坂の楽曲を披露してほしくない、或いは他のグループが披露することへの抵抗というのは、ここから生まれているような気がしてならない。

もう一つは…これはそうでないと説明がつかない、ということではあるけれど。

もしかすると、欅坂46に対する「畏怖の念」があるのではないだろうかと。

有り体に言うと、怖いのだ。

恐怖、と言ってしまうと言葉が強すぎるので、尊敬の意味も込めた「畏怖の念」という方が正しいか。
やはり欅坂46は、強い。
全てを凌駕するのではないか、と恐れる。
まだ櫻坂46では、その力に抗うことができない。
だから現れてくれるな、という想い。
櫻坂のステージに欅坂が現れれば、どうしたって欅坂に話題が持っていかれる。
櫻坂のステージなのに、櫻坂の存在感が薄まる。

そのことに対する、やはり怖さがあるのか。

でもそれは裏を返せば、それだけ欅坂が高すぎる壁である、ちょっとのことでは越えられない壁であるということを自ずと認めていることでもある。

私は、それもそれでいいと考えている。
でも。
今のまま進めば、必ず超えられる日が来るという自信は、ある。

櫻坂のメンバーは、欅坂という己の血と肉を感じ、その血肉に戦いを挑んで勝たなければならないのである。キャプテンはあの改名発表のとき、こうも言った。

ここからのリスタートになるので、相当な茨の道が待っていると思います。
2020年7月16日 菅井友香

茨の道に決まっている。
自分の内なるものに勝たなければならないなんて、どれほど困難なことか。それをあまりにも周りが知らなすぎる。

彼女たちはそれに挑んでいるのだ。

そうであるならば、なおさらのこと。
欅坂に蓋をして勝てるのか。
超えられるのか。
自分たちの歩んだ歴史を否定して、ここから先の道があるのかと。

自分の中にあるものと正面から向き合う。
メンバーは、おそらくそれができるくらい成長している。

Buddiesは、どうだ。


だから、菅井友香は、自身のラストステージで、欅坂46と「fusion」しなければならないのだ。
そしてそれは、櫻坂46というグループにとっても、ここで必要なことだと考える。

3期生が加入する直前の、この時期だからこそ。

欅坂46を経験していない3期生が加入する直前だからこそである。




櫻坂46メンバーは、欅坂46という存在と向き合うべきだ。
今だからこそ。
そして私たちももう一度、拒否することなく、避けることもなく
欅坂46という存在がなぜあれだけ大きくなったのか
真正面から向き合う「勇気」が必要だ。

避けて通れるほど、生易しくはない。

そうであるならば、真正面からぶつかって打ち克つしか方法はないだろう。


愛すべきもの。
愛するが故に。
愛する存在を超えるために。



そんなfusionを見せてくれ。


noteの中でも、櫻坂46・日向坂46に特化した内容ですので、特に二つのグループの推し活を経て、皆様に文章で還元できるよう努めてまいります! よろしければサポートをお願い致します。