見出し画像

眠り姫と着せ替え人形 ―起立性調節障害の娘のこと②

起立性調節障害の娘(現在大学1年生)のこと。前回は中学1年生の発症から高校受験までについてを書きました。

起立性調節障害と学校生活で本格的に苦労したのは、実は高校進学後だった。

医師に処方された薬は飲み続けていたが,それはすぐに効く薬ではない。人によっては効果がわからないという人もいるほどだ。

娘は発症した中学1年生の時に比べて回復したとはいえ,記憶では,入学後の3週間は休まなかったが,それ以降は週に1~3日休むペースになった。週に1~3日の欠席は起立性調節障害の中では比較的軽い方だ。しかし一般的な高校生の中では欠席が多い。ここが,軽症だからいいというわけでない難しいところだ。


ここで,高校での進級と出席日数の関係について説明したい。

中学校では一日のうちで1時間しか行けなくても1日出席したとしてカウントされたし,進級や卒業に響くことはなかった。義務教育中の卒業の認定は校長判断だそうで,要件として出席日数〇日以上という基準はどうも無いらしい。

しかし、高校ではそうはいかない。

小・中学校は日ごとの出席日数をカウントするのと違い,高校では教科・科目ごとにカウントされている。例えば遅刻して2時間目から出席したら,1時間目は欠席扱いだ。

そして多くの高校は「学年制」といって,各教科等の全ての単位を取れなければ進級できない。1年生で取ることになっている単位を落とすと,たとえ落とした単位が1教科分であっても,もう一度,1年生をやり直さなければならない。

この単位を取る条件の一つとして,たとえば「出席3分の2以上」などと出席日数が定められている。

よく「赤点で進級できない」と話題になるが、そもそも出席日数が不足していたら、たとえテストでいい点数を取っても単位が認められない。

上で書いたとおり,各学年で所定の単位を取得しなければ進級はできないから,1教科でも出席日数が不足していれば留年することになる。

こうした事情から,起立性調節障害の子どもは通信制や昼夜間定時制を選択することが多い。

通信制や定時制への進学に抵抗感を感じる親子は多い。うちの場合は下の子が不登校なので,私自身はそれほど抵抗感はなかった。しかし,娘には全日制に行きたいという気持ちがあったように思う。

さて,各教科・科目ごとの必要出席日数は以下のとおり算出することができる。たとえば出席3分の2以上が必要ならば,

(1週間あたりの時限数)×(学期間の週数)×3分の2=必要出席日数

娘は第一希望の高校に無事進学できたのはいいが,やはり欠席日数について担任の先生から注意されるようになった。

あまりに娘の出席状況が悪いので、先生が各科目ごとの欠席日数をカウントするための表を作成してくださった。本当にありがたい。

写真は,先生が作成した表をまねて自作した3年生1学期のときの表。

画像1


スクショが撮れなくて写真なので見づらくてごめんなさい。
各科目のその学期の総時限数に対し,3分の1のところに太線をつけている。つまり,これを超えたら危険という意味である。たとえば現代文は9回まで休める。(単位認定上では,欠席日数は学期ごとでなく1年間を通じて計算される。)

欠席した日をこれで記録していた。

苦労したのが、週に1時限しかない保健、美術といった教科だった。英語、国語、数学といった教科は1週間当たりの時限数が多いので、1日欠席しても他の曜日でカバーすることができるが、週に1時限しかないと1回の欠席のダメージが大きい。

例えば月曜日の1時限目に美術だとして,月曜日に多く欠席していると美術の出席日数が不足して留年してしまうことになる。

だからなるべく違う曜日に欠席した方がいい。それに疲れが溜まったら出席日数に余裕がある科目を計画的に休むようにしてもいい。しかし,そんなにうまくはいかなかった。

我が家ではダイニングの目立つところに娘の時間割表と日課表を貼り,しばしば欠席表をチェックしては「〇曜日〇時限のこの教科は要注意」と時間割表に〇印をつけていた。その曜日の前日には娘に休まないように声がけした。

ところがそういう日に限って,起き上がれないのだった。せめて午後からでも行ければいいのだが,それは心理的に抵抗感があるようだった。

私はあきらめがいいので,本人が行けないならば仕方ないと考えるのだが,父親はそうでもなかった。

心配でしかたないが,異性の子どもにやれることに限界がある。そこで,なんとか行けそうな朝は,私に「着替えさせて」と指令が下りるのだ。

「え~,高校生の娘を着替えさせるの!?」とあきれて嫌がったが,父親は必死で私の不平に聞く耳を持たない。しかたなく娘を促し,力なくだらんとした腕にブラウスの袖を通し,スカートをはかせてファスナーを上げた。幼児の頃なら当たり前に着替えを手伝ったが,私とほぼ同じ背格好に成長した娘に着せるのはひと苦労で,私は何をしているのだろうという気持ちになる。

ようやく着替えた娘を,父親が車で高校前まで送るのだった。

そういえば,車を買ったときに”買い物の足”として使われるのはいやだと言って,ろくに私の用事では車を出してくれなかったはずだが。まぁ,そんなところで娘に張り合ってもしょうがない。

しまいには担任の先生に「とにかく存在していてください」とまで言われる始末。つまり授業を聞いていなくても,机に突っ伏していてもいいから出席扱いされるように教室にいてほしいということだ。学校の先生にこう言われる人もそういないだろう。

そして3学期にはいよいよ進級が危なくなり,娘に「どうするの?」と通信制や定時制への転校も含めて意向を尋ねた。実は,私は娘に黙っていくつかの通信制や定時制の説明会に行っていた。出席を気にする生活は気苦労で,解放されたかったのだ。

しかし娘は,ほろほろと涙を流しながら「転校したくない」「留年もしない」「この学校を卒業する」と言うばかりだった。

いい歳の娘が,親の前で泣くのだ。

こうなると,親は協力するしかない。

こんなやりとりが,1年生の3学期だけでなく,2年生の3学期も繰り返された。


当時,息子はフリースクール満喫中で学校に行かなくてもいいと思っていた一方で,娘には学校に行かせるという,分裂しているような奇妙な生活だった。

娘は出席日数で苦労していたとはいえ,充実した高校生活だったようにみえる。高校生活の話はまた次回。


(注)教科と科目は意味が異なります。この記事では「教科・科目」,あるいはひとまとめに「教科等」と記載しています。

(つづく)


当時,フリースクール生活を満喫する息子のことはこちら。


https://note.com/sakura_gawa/m/me594daa75bec


よろしければサポートをお願いします。いただいたサポートは,自由で多様な学びのあり方について勉強する費用に使わせていただきます。