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【小説/BL】アドレセンス・サンクチュアリ page.5-1 ※過激め表現有

 年度が変わった。予定通りに実家を出て、何の変哲もない大学生としての生活を始めて数日が過ぎた。
 慣れない一人暮らしにホームシックになる奴も世の中にはいるようだが、俺には懐かしむべき地元での思い出は何一つないし、誰の目もない空間での毎日は寧ろ気楽だ。
 ……と、言いたいところだが、俺は正確には一人暮らしではない。
 ホームシックに陥るようなタイプの人間は、敢えて訳ありの部屋でも借りてそこに“出た”幽霊と友達になるのが手っ取り早いんじゃないか。悪霊でない限り、話し相手くらいにはなってくれるだろう。
 アパートの自分の部屋のドアの前に立つと、薄っすらと胃袋を刺激する匂いを感じる。
「ただいまー……」
開いたドアからは、さらに強く、何かが炒まる香りが流れ出てくる。
「おっ、丁度いい~。お帰り、静生」
俺の同居人の幽霊――純は台所のコンロの前から、ひょい、と顔だけ覗かせた。
 何が「お帰り」だっての。お前は居候同然のしかも幽霊だろうが。
「あの、純、これ……」
「うん。ちょうど今できた」
言いながら純は、意外なほどの手際でフライパンの中身を皿に盛り付けていく。
(わ……まじか)
純の背中越しに、艶のある卵焼きを纏ったオムライスが湯気を上げていた。
「何家主が突っ立ってんだよ。冷めないうち食うぞ~」
「お、おう……いただきます……」
とにかくテーブルの前に座り、スプーンで切り崩した一口を食べてみる。
「……何これ。ちゃんとうまいんだけど」
「いや~冷蔵庫の中、思った以上にロクなもん入ってなかったからさ。ケチャップライスの中身はまあ、寂しいけど。卵あっただけよかったよ」
「……今は、母さんが置いてった食材がまだあるから」
「静生ほっとくと飯食うのすら忘れてそうだし。人間は食べないと死ぬんだから。ちゃんとしろよ」
スプーンの動きを一瞬、止める。夢中になってオムライスを口に運んでいた自分に気付いて、急にきまり悪い気分になったのだ。
「……てか純、料理とかできたんだな」
「んー? あーまあうち、親があんま家にいなかったりな感じだったから? つっても俺は一人っ子だし、自分の食べる分自分で作ってただけだけど」
「……ふぅん」
 こうやってたまに、今になって純の、俺の知らない部分に触れることがある。
 そんなに、意味ないのにな。こいつはもう死んだのに。
 理解しようと思うなら、生きてるうちじゃなきゃ、あんまり意味ないのに。
「……別に俺がどんな生活してようが、純の気にすることじゃないじゃん」
「そうだな。勝手にごめん。俺には最初から、関係のないことなのに」
「あ、えっと……」
皿の上の、もう卵もケチャップライスもなくなったところを、逃げ場を探すようにスプーンはさまよう。
「でも大学生って身分がある静生と違って俺はこう……何者でもなくフワッとしてるし……ていうか存在そのものがフワッとだし……居候だし。だから何て言うか……これくらい、いつでもするけど! ってだけ!」
「何言ってっかよく分かんねえよ……でもまあ、ありがとう」
「……お? おう……」
「いや急に大人しくなんなよ。お前の感情の起伏謎だわ……」
二人の間に薄い隔たりを作っていた湯気ももう消えた。
「……てか。オムライスって。これなら俺が喜びそうって、ガキ扱いかよ」
「……バレた?」
「おまっ……! ふざっけんな!」
思わず半分叩きつけるようにテーブルに置いたスプーンが気持ちいくらいの音を立てる。天板に手をついて上半身を乗り出すと、結構な勢いを持って純と顔が近付く。
 その黒瞳(くろめ)は、近くでよく見ると「黒瞳」と呼ぶには色素が薄い。彼の眼がたまに与える無表情という印象は、たぶんこの明瞭さを欠いた色味が、生気のなさを感じさせるからだ。黄味がかって、光に当たると微かに金色を帯びるこの瞳は、作り物みたいに美しいと言っていいはずなのに、その眼がきょとん、と間抜けな表情をしているのが――たまらなく可笑しくなった。
「っあははははは!」
「……何」
駄目だ。ツボにはまった。
「なんか……急に怒る気失せたわ……はァ、だめだ、あはははっ! あー……あまりにも普通にちゃんとうまいし……はは! あははは」
息も絶え絶えになっていると、腕をぐい、と引かれる。そのまま、近付いていた距離はゼロになっていきなり唇を奪われる。
「え……?」
ツッコミを入れる間もなく、腕を掴まれたままでキスは深くなっていく。
「ん……いやなんで今?」
「や、なんか……お前がゲラゲラ笑ってるとこ見てたら――興奮した」
「……ほんとお前の感動のポイント分からん」
唇の上で呟いた言葉は、何度目かのキスが引き取っていった。俺には理解できない場所に、こいつのスイッチはあるらしい。
「んっ……ふ……ちょっと、純、まって、って……」
「やだ待たない。ねえ静生。正直な感想聞きたいんだけど」
「な、に……?」
「普通にセックスするよりさ、俺に取り憑かれる方が気持ちよかったでしょ」
低く這うような、しかし後ろに艶を隠し持った声が身体の内部に響く。耳奥に感じる熱と息遣いに、痺れるように身体が強烈に疼き、思わず固く目を瞑る。この感じって――
「ふふ。今一瞬だけ、取り憑いてみちゃった」
ゆっくりと目を開くと、純は俺の正面に戻って、光のない眼を細めて笑っていた。
「で。どっちがよかったの?」
「そんなの……わかんな、い……」
「もう、誤魔化したって無駄だ、よ!」
「ひあ!?」
もう一度手を伸ばして俺の指先を握った、その手の力が少し強められたと思ったら、次の瞬間には純は俺の「ナカ」にいた。
「も……お前なんで、人が笑ってるとこ見て興奮するって何……特殊かよ」
「だってさぁ。静生が今みたいに大きい声出して怒ったり、笑ったりするとこ、あんまり見たことなくて、なんか、見たらゾクゾクしちゃって」
 ああ。そうか。
 俺はずっと、純は秘密ばかりで、理解できなかったと思っていた。
 でも、俺はどうだ?
 俺は一度だって純に、ちゃんと自分を見せたことがあったか。
「ねえ、また静生くんの『ナカ』、シてあげるからさぁ……またこないだみたいにいってよ、ナカで……!」
「や、やだっ、あんなのもう、むりっ……!」
「え~、そう? ならまた、金縛り使ってあげよっか」
「あ……あっ、あれやだっ、あれは、だめぇ」
「あー……でも、今度は金縛りなんて要らないかもね……やだやだ言いながら、もうこんな、トロットロにしてるじゃん」
「ぃやっ、あ……!」
“触れられる”よりも、濃密で直接な刺激。一度身体が憶えてしまえば、その快楽に抗うことはできない。
「嘘つき」
抑揚のない口調は、この状態だとより何の装飾もない“音”として研ぎ澄まされる。
「ぅあ! ~~っ」
「嘘つきって言われていったの? ……変態」
「! や、だめ、今いってるっ、いってるからぁ、もう、やめ……」
「なんで? やめろってことないでしょ。カラダはこんなに、喜んでるのに」
「ちがっ、あっ! も……だ、だめっ、またいっちゃ……」
「あーあ……もうずっとビクビクしっぱなしじゃん。やっぱりこっちの方がいいんでしょ」
「~っ! もうやら、もういきたくないぃ」


 所詮嘘をつき合い続けるふたりは、何故今でも隣にいるのだろう。
 互いの空虚さを埋めようとして、でもそれは互いの存在程度では埋められるものではないと、心のどこかではもう、気付いているんじゃないのか。
 それでも依りかかり合って、倒れないギリギリのところを探している。
 馬鹿みたいだ。
 抜け出せないんじゃない。抜け出したら、全部終わってしまうから。

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