さなコン2を忘れる為の記事

 この記事には自慢要素が含まれます。
 不愉快なものが書いてある可能性が高いので、嫌な人はただちに閲覧を中止してください。

二次選考通過と、その前後の出来事

 最近「第2回日本SF作家クラブの小さな小説コンテスト」二次選考結果発表というのがあって、拙作がひとつ通過していた。お読みいただいた選考委員の方々、本当にありがとうございました。
 一方、一次選考には4つ通過していたので、通過率/通過数においては劣等感を持つ形になった。とんだ俺様思考で我ながらヤバさを感じた。
 でもそのあとは思い切り喜んだ。
 おかげで行動制御に色々失敗した。
 さなコン2の二次選考に通過した日の前後には私生活で最悪な行動を取ったんだぞということをしっかりと覚えておくよう、ここに書いておく。


第一感としての安堵について

 劣等感とか嬉しいだのとかいう感情はすぐに出て来なかった。
 結果を見に行って、一作でも通過してくれたことにすごくホッとしていた。うれしいと思うより先に安心があった。神推し作品が残っていてくれたことにも安堵感を抱いた。「自分の書いたもの/自分が推しているもの」に対して、私は我がことのように感じるようできている。がっかりな構造(他人の作品を私物化すんなよって話)だが、だからこそ第一感が安心だったのだと思った。
 この時点で、自分が自分を過大評価し、かつ他者に対してコンプレックスを感じる状態に陥っていたんだとわかる。自己肯定感がきっちり低めで落ち着いていたら、最初に来る感情は喜びか驚きのどちらかになっていたはずだから。


準神推し作品の落選について

 準神推し作品が落選していたことに対しては落胆した。
 今回のコンテストは非情な仕組みになっていて「SF要素」「小説要素」「課題文の取り扱い」「登場人物の魅力」「独自性」「あらすじ」などの要素で定量的に評価されていると推測される。小説を定性的ではなく定量的に評価できるという時点ですごいが、それはすなわち、作品に対しては高度なバランスが要求されるということでもある。準神推し作品は突出した読書体験(以下UX)形成をしている一方、非常に不安定な土台の上に立っていた。だから残念な結果になったのだろう。これに関しては過去に書いた私信を見ても、なんとなくそうだったんだろうなという感じがする。

 今回のコンテストについては色々なところで似たことが起きており「推しが落選した!」という悲鳴が上がっている。おそらくだが、これらにも同じことが言える。定量化というのはあらゆる創作物にとって鬼門だ。どれだけすごい小説でも、定量化の手法ひとつで簡単に評価されなくなる。たとえ「SF小説」として優れていようが「課題文の取り扱い」や「独自性」で劣っていたらそれだけで点が稼げずに落選という結果になる。だからこそ、運営チームが繰り返し「今年はレベルが高かった」「選ばれなかった小説が悪かったわけではない」とフォローの言葉を残しているのだ。
FANBOX/Twitterを参照してください)


自分の作品を客観的に見る努力

 自分の作品について。定量化で考えてみると、結果に納得がいくようになっている。過去にひとり反省会とかいう虚しく恥ずかしい記事を書いていたおかげでこのあたりの思考は整理する必要がなかった。
 一次選考を通過した作品群で「他の作品の影響を受けていないもの」というのは最初に書いた一作しかない。それ以外の作品は「さなコン2参加作品に触発されて」書いている。コンテストに対する戦略思考が「戦わない」だったはずが、実際には「なにかに影響を受けている」ので「無自覚に戦っている」状態になってしまっていた。これはこの文章を書いていてようやく気付いた事実だ。
 その上で選考を通過した作品を見てみると、他のコンテスト参加作品からの影響を受けていないために環境の中で生き残ったと推測できる。知人の指摘通り非常にティピカルな恋愛SF小説なので実感は薄い。
 ただ、他の方からの評価を見ると「ハードなのにロマンチック」「ヒューマノイドものかと思ったらまさかの百合展開」「人類の再定義がよい」「ハチロクがちゃんとかわいい」など、典型的な筋でありながら細かい要素で加点を積み上げており、総合的なプラス点によって評価されたのだと思われる。フィードバックコメントを見るのが一番早くて正確だけど、自己分析練習の一環ということで。


総括

 正直なところ「出来すぎ」であって「もう忘れた方がいい」。
 まず私は小説を書き始めてこの方、この手のコンテストの選考に残ったことが一回しかない。それが過去に書いたかにパルサー(羊文学賞二次選考通過)で、結果を知ったのは二月頃のお話。この時は結果発表を見ることさえ忘れていた。
 正直、これくらいでないとダメだ。
 昔はよく小説を書いていたけど、どれもこれも他人の話は聞かないわUX形成に対する意識が甘いわで本当に話になっていなかったと思う。そんなので小説を書いたって結果なんぞ出る訳ないだろ、非才の身なんだから。当時は自分のことを天才だと思ってた節があるので救いようがない。
 で、いまは過去の反省と経験を活かして「とにかく丁寧」が課題だ。それをさっそく破るような小説を書いてしまって深く反省中の身でもある。そんな中でこの結果に浮かれっぱなしでいたらより大きな痛手を負うことになる。喜ぶのは人間の幸せのひとつだが、それは刹那的すぎる。もっと大きな喜びを得るためには小説をどんどん書いていき、新人賞などで出来を問うことの方が大事だ。
 私は物書きを好きでやってるので生業にしたいとは思わないが、自分の可能性を試したいという気持ちくらいあるし「誰でも何歳からでも強くなれる」という菊野克紀先生のお言葉もある。
「好きなように生きて、好きなように死ぬ」。こっちはARMORED CORE VERDICT DAYのファットマンの言葉だが、私の崇拝するもう一人の神小説家である故・藤原伊織先生なんかまさにこれを実践した人だ。

 だから、最終選考の結果は八月中旬らしいが、んなことどうでもいいから忘れろ。小説を書け。あと走り込みで体力をつけろ。
 俺たちはこんなところでにやにやしながら立ち止まってるわけにはいかないんだ。んなことしてたら弱くなる。

 最後に、私の先を走る漫画家の言葉を噛み締めておく。

今はとにかく書くことだよ少年

先をゆくもののひとり、Aさん


 以上です。
 お読みいただきましてありがとうございました。

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