さなコン2/ひとり反省会

初めに

 Pixivで開催されている第2回日本SF作家クラブの小さな小説コンテスト(以下さなコン2)で書いた自作について反省するという、実に虚しい会へようこそおいでなさいました。
 興味ないヒトは即Uターンして自分のことに時間を使いましょうね。


さなコン2に向けての基本姿勢

 課題文が「そうして人類は永遠の眠りについた」なので、次の内容に焦点を当てた作品がライバルになるということが予想できた。
・人類がどのように終了するのか
・人類がどのように眠りにつくのか
・人類が絶滅したあとの世界はどうなるのか
・人類が眠りについたあとの世界はどうなるのか
・(仕掛けとして)最初と最後の文章をまったく同じにしたうえで、上記の内容を突き詰めるとどうなるか
 つまり、これらに対抗できる作品を書かなければコンテストで生き残ることはできない。だから、アイディアの核としては、いかに「人類」や「眠り」に縛られない作品を書くか、というふうに考えていた。むろん、課題文に意味のない小説では話にならないので、縛られ方も同時に考える必要がある。課題ありきというのは、なんだか仕事みたいだった。
 ただ、基本姿勢としては、他の人間の書くものと正面衝突しないことを意識した。他人と真正面から戦って勝てるわけがない。争わないことこそ無敵への第一歩だ。


Wasted Days

 最初に書いた作品。最初は「9 days」という題名だったが、書いている過程で「無駄な日々」という言葉が出てきたので「Wasted Days」と改題した。英語の題名はかっこいい。
 この作品では「人類」の定義を見直した。課題文を絡める限り、正攻法で戦おうとするとどうしても「人類」に縛られる。それでは他の作品群に勝てない。だから「人間不在」の状態にした。
 で、アンドロイドだ。極めて人間に近しい存在でありながらも、人類を客観的に観察する(あるいは、あたかも客観的に観察しているかのように振る舞う)存在を描くなら、アンドロイドくらいしかいない。色々なものの命名は、現代で機械をイメージさせるものにした。ネクサスから始まり、ナイン、ハチロクというのは、実に機械的な印象を持つ文字列だ。
 話としては、AI群とアンドロイドは違うということ、そしてかつてアンドロイドは人間として扱われていたなどの事情を絡めて、アンドロイドを使った「人類らしさ」というものを書いた。それを象徴する言葉が「Wasted Days」。
 機械を機械的かつ短絡的に考えると、それは最高の効率を発揮するか、あるいは与えられた至上命題を満たすために稼働するだろう。それがいまのところ考えられる私なりの「機械らしさ」だ。
 しかし、人型の知性を持ち、なおかつ人型の身体を持つものであればどうなるだろう。人間と似たような感受性を与えられながら、人間とは別の作動原理を刷り込まれた存在。外見は人間だが、動き方がどこか人間らしくない。だけど、その存在に触れるとやっぱり人間のような気がする。つまり非常にあいまいな存在としての「人類」はどうなるのか。
 その答えが、自ら立つことを覚えたアンドロイドとなった。外圧の影響を受け、流されるような人生を送りながらも、その中で、最後に、誰かの命令ではなく、自分たちの考え方で行動する人型ロボット。それがナインとハチロクのふたりになる。
 そう考えていくと、このお話は青春小説でもある。親に規定された生き方に対して、自分なりの考え方でちゃんと選択肢を選び、それに殉ずる。大人になったわけだね。
 この話の裏にある皮肉は、ナインが直接口に出している。自分たちの生き死にみたいなものさえ他人の判断に任せるような人間は、もはや人類ではない。死んだ日々を送ってきた自分への当てつけでもあるし、AIを利用することで自分の能力を外部に出してしまう人たちへのアイロニーでもある。戦闘妖精・雪風の影響をダイレクトに受けてるね。(なお、アグレッサーズにも似たようなことが書いてあって、神林先生への信仰心が増した)。

 蛇足。
 この作品は始まりも終わりも課題文という、誰もがやりそうな仕掛けを普通に採用した。同じ文章でも文脈が変われば意味が変わる、という現象をそのまま読者に味わってもらうために。
 それと、本文文字数が9086文字というのは、ナイン・ラブ・ハチロクという、物語の根幹を示すための総文字数だ。この小説の基本的なユーザーエクスペリエンス(UX)は恋愛部分にあるからね。だからどれだけ改稿しても、Pixiv換算でこの総文字数から動かすようなことは絶対にしないと決めている。


インソムニアの夢

 スプリット(継橋さんの作品)問題(ショックで自己不信に陥る)に対して、私なりにどうにかしようとあがきまくったのがこの作品。
 根底にあるのは「みんな人類を寝かすことばかり考えているので、逆に眠れなくしちまえ」という考え方。だから不眠症を意味する「インソムニア」という言葉を使った。また「夢で逢えたら」という有名な曲があるので、これを組み合わせて「インソムニアの夢」という題名をつけた。
 と、この作品は題名ありきで、この題名に着地させるために話を考えた。そこで「永遠の眠りにつけなかった人類」と「そもそも眠りという概念を持たない睡眠管理AI」という要素を考えだし、話を膨らませることにした。やり方は陳腐だと思うし、誰でも考えそうな話だなとは思ったけど、そこは不眠症のAIというキャラクターで押し通し、誤魔化すことにした。
 また、最初と最後の文章が同じシリーズを引き続き書きたかったので、またしても同じ手を使った。
 人間らしさを持ったAIの一人称ということで、文体は軽くしたつもりなんだけど、どこまでうまくいったのだろう? 話の内容は結構シリアスだったので、最初は13000弱のボリュームがあり、これを10000にするために細かい説明を省いたりしたので、するする読めるとは思うが、世界観を知るための手掛かりはかなり減っていたことだろう。
 なにより、最後の展開が急ぎ足で厳しいものとならざるを得なかった。これに関しても、悪あがきとして全体のテイストを軽くすることで、急展開部分も他の部分と一緒にすっと飲み込ませ、無理やり頭の中に流し込んでしまおうという誤魔化しが入っている。
 この作品は本当に誤魔化のオンパレードだな。
 ちなみに、この作品で出てくる「古いアニメ作品」というのは、ガンダム00のことです。


自分勝手なエピローグ

 これは他人に読ませるような小説ではない。
 製作経緯は、書いている最中に色々と心が揺れてしまい、暗黒面に落ちていた。なのでその暗黒を外に吐き出そうとした。だからこの作品は暗黒です。(同じことをもう一回やることになるとは、この時点では思っていなかった)。
 承認欲求の塊みたいな主人公が、ゲームの世界で頂点に立って自分自身の価値を担保しようとする。この作品の中に出てくる「テルミドール」は明らかに自分自身を皮肉ったキャラクターで、「メルツェル」というのは(批判という鞭を使いつつも)それを甘やかす都合のいい存在だ。
 この作品で使った「代替可能天使」という単語は「自分を理解しない他人」の象徴となっている。だから作中に登場する代替可能天使のうちメルツェル以外はテルミドールにとってどうでもいい存在でしかない。そんなものに認められても、テルミドールは満足できない。
 こうして分解すると、この作品は「強い自己承認欲求」「承認欲求を満たすためのゲーム」「自分を理解してくれる他人」「自分を理解しない他人」という四つの要素でかなりシンプルに成り立っている。
 ま、振り向けば振り向くほど、やはりこの作品は他人には向いていない。ひたすらに自己韜晦的かつ自己陶酔的だ。こんなものをコンテストに出すのはやめといた方がいいぞ。


アキラメハヤコのさとり教育

 毒を吐いて一時的にすっきりしたので、もういっちょさなコン2に弾丸を撃ちこみたかった。なので、メタ的に少数派になりそうな作品を目指した。ちゃんと原点に回帰した思考をしていてえらい。
 ここでは、古典的なSFギミックの中で、使用率が極端に低いものを、と考えた。そこで「タイムマシンだ」と閃いた。また、この時期に偶然過去の小説を読み返していて「弥勒院」という苗字を見つけた。これらとシャーマンキング+筋肉少女帯が頭の中で結合された結果、「あ、主人公が弥勒にinするまでを書く話にしよ。彼氏は釈迦ね」ということで、シナリオはその瞬間にすべて決まった。
 これ以外には、特になにもない。すべての設定は自分が過去に影響を受けた創作物をオマージュしている。「ヒロインが弥勒菩薩で、ヒーローは釈迦(仏陀)」という、仏教徒の方々に喧嘩売ってんのか? みたいな話なので、自暴自棄になっていたのかもしれない。
 すごく読みづらいという指摘を色々な方から受けたが、まさにその通りだと思う。これも初稿の時点で12000文字超と、明らかに文字数オーバーしていた作品。加えて、一番面白いのが茶番の部分だったので、その時の自分はとにかく茶番を優先して残してしまった。結果として、読んでて面白いことを第一にしたはずが、そもそも読めないという本末転倒な事象を引き起こしている。
 UX設計において「なにを優先させるか」については、もっと慎重に考えた方がいいぞ。特に小説は読まれなきゃそれで終わりだからな。エンターテインメントは「読みやすく」「面白い」というのが基本原則だ。わかったかな?


永久の青春のクレイドル

 暗黒再び。
 誰かに指摘された通りだが、私は「環(わ)」という作品を読んだ結果、あまりの「違い」にショックで寝込んだ。「環(わ)」は私の中でさなコン2優勝作品になっている。冷静に考えた結果、スプリットに対して小説としての出来で優っていると判断したため。スプリットは審査員特別賞。
 なお、スプリット問題はこの時点でもいまだに解決しておらず、ひたすら苦しんでいた。現在の私は同じ作者の別作品でもう一度ダメージを受けているので、傷口は広がる一方だ。
 それはさておき、とにかく自分を救うには自分の手で小説を書くしかないと思った。俺を癒せるのは俺だけなんだ!(アーマード・コアで出てくるセリフです)
 作品を書くにあたって「環(わ)」と「スプリット」から逃げるのはもはや不可能だったので、それらの影響を隠さずに作品に投影することにした。さらに「結節点」という、大学時代に私が不義理を働いてしまった人物の書いた小説(ちなみに、まだ手元に全部のデータが残ってて、たまに読んでます。)と、清水アリカの「革命のためのサウンドトラック」からの影響も、ほぼそのまんま外に放出した。
 結果として「男っぽい女性」と「女っぽい少年」という、いかにも表面的に「環(わ)」をなぞったような人物たちと、スプリットの如き「破滅」が描かれることになった。細かい章分けや読み仮名のむちゃくちゃぶりなど、もう誰に何を伝えたいんだかぜんぜんわかんないよ。
 ちなみに、きらきらぼしのメロディが使われているが、SCPとして有名な「きらいきらい星」の影響が存分に出ている。登場する人類滅亡の形も、極めてSCP的だ。そこを指摘されるとなにも言えない。見逃してくれへんかな。


税込1万750円の永遠

 これはSFではありません。
 書きたかったものはなにかというと、永久の青春のクレイドルの中では「嫌い」という、極めて否定的な問題しか扱えていない気がしたので、こちらは「嫌い」からスタートして「好き」まで繋がるような話にしたかった。その過程で「そうして/人類は/永遠の/眠りについた」を「Why/Who/How/What」に分解して、これを探求する物語にしようとした。だが、このテーマは10000字に収まるようなものではなかった。結果として、書きたかったものがまるで入っておらず、尻切れトンボみたいな終わり方になってしまって、さなコン2参加作品の中でも最悪の出来だと言える。
 しかも(この作品を狙撃するかのように)ある人物に読まれてしまい、私はもうなにひとつとして反論できませんという状態になった。ただ、事前に書いていた創作ノートと照らし合わせることで、指摘された部分をどうすればよかったかなんとなく見当がついているので、今後機会を見つけて、この話をより完璧にしたものをお出ししたいという気持ちがある。他の作品に比べると、より自分に近く、人間に近いお話なので、ちゃんと書くことによって他の作品よりも深く「文芸」に至る可能性を秘めているからだ。
 あと、このお話で書きたかった内容は、ある意味では「自立」であって、皮肉にもそれは「Wasted Days」でアンドロイドたちが実践したことだった。だからぐるっと一周回って最初の作品にテーマが回帰していて、しかも着地を失敗させたみたいな作品になっちゃってるのは、物悲しさを感じる事実ですね。


総括

 とにかく丁寧さが足りないな、というのが自分に対して抱いた感想でした。物語を初めて書いた時から数えると、もはや三十年以上経っているのだけど、いまだにまともな小説を書けたためしがない。日々、そう実感する毎日。
 でも、希望がある。いまより丁寧になるだけで、もっといいものが書けるのでは、という気がしている。
 私は(元)本業にあらゆるインプット・アウトプットを回していたため、小説を書く能力自体が衰えているor消えてなくなっているのではないか、という深刻な疑問を抱いていた。
 ところが、最近になって第二回羊文学賞で二次選考まで通るという、これまでにない実績を得た。それで、思ったよりも自分の能力が落ち込んでいない(むしろ、進歩している)ことに気づいた。
 だから、Gの閃光(Gのレコンギスタのエンディング曲)を聞いてどんどんチャレンジしていこうかなと思う。

 以上です。
 お付き合いいただきまして誠にありがとうございました。
 さなコン2参加者の皆様、グッドラック。

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