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わからないままで、隣に居てくれるあなたが好きだ


分かろうとする優しさ と 分からないままでいるやさしさと

歩み寄ろうととする優しさ と 入り込まないやさしさと

言葉にして打ち明ける優しさ と 心に秘めたままでいるやさしさと


あなたのすべてはわからないから私はあなたを好きなんだ。



涙の理由は知らないままで

「あなたにはわかりっこない」
そう言って涙をぽろぽろと流す私の横で、彼は黙って隣に座っていた。

なぜ泣いているのと聞かれても、自分でも涙の理由がわからない。
なぜか悲しくてなぜか涙がでてきてしまう。
そういう時が、きっと誰にでもある。

その悲しさの正体は、私の涙だけが知っている。
あなたにはわかりっこないけど、私にさえもわかりっこない。
そんなつらさを味わうことがある。


あの時、ちょうど、10ヶ月くらい前の話。
辛いとも言えないくらいの小さな石ころが、心にたまっていくような毎日だった。
ただ、21時台の電車を逃して1時間駅で待ちぼうけしただけ。
ただ、自分の知らないところで友達同士が仲良くなっていただけ。
ただ、お客さんが少し不機嫌そうな顔で商品を受け取っただけ。
ただ、写真の中の自分の顔が不細工に感じられただけ。
ただ、早朝の満員電車で1時間揺られていただけ。

なんてことないことだった。そんなことの繰り返しだった。
だけど、気がつけばベットから起き上がることが億劫になっていた。バイト先へ行こうとすると涙が出てきた。人との会話が義務のように感じられて、ぎこちない人形みたいな笑い方になった。

どうしてこうなってしまったのか、自分でもわからなかった。
きっと私よりつらい思いをしている人はこの世界にごまんといて、だけど結局はそんな事実はなんの励ましにもならなかった。


そんなときに彼に会ってしまったものだから、涙が堰を切ったようにあふれ出してきた。一粒一粒にこの世界の悲しみをすべて映し出せそうなほど大きな粒が私の目からこぼれ落ちた。
「どうしたの」と彼は言ったけれど、言葉が出てこなかった。
「話してごらん」と言われても、何を言ったらいいかわからなかった。

そして口からでてきた冒頭の台詞。
ああ、なんて身勝手なんだ。ひどいことを口にしてしまった自分が嫌になって、また涙がこぼれた。

そんな私に、彼は怒ることも 呆れることもしなかった。
その代わりにただ、私の隣に腰を下ろした。
それからずっと、まるで音楽を聴いているかのような穏やかな表情で私の泣き声を聴きながら ただ隣に座ってくれていた。

ひとしきり泣いてしまった後で、彼はアイスを食べようと言った。
大好きなチョコレートのアイスを食べたら、アイスと一緒に心に溜まったいろんな塊が溶けていくような気がした。


涙の理由も分からぬまま、彼は私を分かろうとしてくれた。
それが彼のやさしさだった。



ちょうどよいが心地よい

友達って、ずっと一緒にいなければいけないものだと思ってた。

ずっと連絡を取り合って、お互いの全部をさらけ出して、側にいるものだと思ってた。

中高生のときはそんな考えが頭から離れなかった。いや、大学生になってからもそうだったかもしれない。考えが少しだけ変化したのはつい最近のこと。留学に来てからのことかな。

日本の友達とは、どうしても物理的な距離が生まれてしまって側にいたくてもいられなかった。それが一種の諦めのようなものになって、結果的にはいい方向に変化していった。

日本にいた頃は、友達の悩み事とか恋路とか、たくさんのことを語り合った。その行為が友達というものを形作っていると思っていたし、絆をより強固なものにしていると信じていた。
だからこそ、友達が別の友達に話していることを自分に話してくれないと、すごく悲しくなってしまっていたし、本音がきっと別のところにあるんだろうなと感じてしまう瞬間はとても寂しかった。

だけど、何千キロも離れたところにいると彼女たちの生活も悩みも私には知り得ない。

あの頃の私は、彼女たちを知ろうとしすぎてしまっていた。
歩み寄ろうとする優しさが、いつの間にか心を乱暴にこじ開ける凶器に変わってしまっていた。
彼女たちには彼女たちの世界があって、私はそこには土足で踏み込んだりしてはいけない。そんなことに、海を隔ててみて気がついた。

私たちはみんな、自分が描く円の中心に立っていて
誰かと近づいたりして円の部分が重なっていく。私の一部分を誰かと共有するようになる。
人間関係っていうのはそういうものだと思う。
無理に円の全てを重ねようとか まだ重なっていない部分に足を伸ばしてみようとか そういうことは御法度である。

心地よい重なりで、ちょうどいい距離感で、互いを思いやって
これからも彼女たちとの絆を深めていけたらいいな、なんてことを思う。


愛おしい言葉だけを並べられたなら


誰かと関係を築くときに大変なのはいつも、負の感情を持ってしまったときだ。生まれてしまったその感情を相手に伝えるかべきか否か、私たちは選択を迫られる。

私たちの間でやりとりされる全てを愛おしい言葉で埋め尽くせたら幸せだけど、現実はそんなに甘いものではない。
時には伝えなければならないこともあるし、逆に伝えてはいけないこともある。

伝えるべき事なのかどうか。それは見分けるのがとても難しくて、きっとその選択を終えてからしかどちらがよかったのかは知り得ない。いや、いつまでも正解がわからないことのほうが多いかも知れない。

大切なのは、言葉を受け取る相手の気持ちを自分の心に召喚してみること。

これが一番大切で、一番難しいことなのだけれど、、、。


よかれと思って口にした言葉が誰かの人生を狂わせてしまうかもしれないし、迷って口にしなかった想いを一生かけて後悔するかもしれない。

言葉には、それほどにも大きな力があるっていうこと。
今書いているこの文章だって、きっとそんな力を持ち合わせているんだ。

この世界が、愛おしい言葉たちで埋め尽くされたならどんなに幸せなことだろう。
相手に伝えたいことを伝える勇気と、伝えたいことも時には心にしまっておいたままにする勇気も、両方とも大切にしていきたいよね。


わからない分だけ愛せるでしょ

人っていうのは、分かり合えないもので。
全部が全部、自分と同じだっていう人はこの世にいないし、そうであったらつまらない。

私たちはみんな違くて 分かり得ない部分があるからこそ、その人のことを少しでも理解できたと思うとき、その人に対して愛おしさを感じられる。
そして時には、分かり得ない部分まで まるごと愛してみる。


分からなくたっていい。だってその分、もっと深くその人を愛せるようになるから。









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