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泣いていいんだよ、あの頃みたいに。


赤ちゃんが泣いていた。

電車の中で、飛行機の中で、水族館の中で。

しんと静まりかえった無色透明な空気の中に純粋無垢な叫びが響いている。
言葉にならない叫びを、体が許す限りの方法で伝えようとしている。

自分は確かにここに居るんだって言うみたいに力強くて芯の通ったその泣き声は、だれかの些細な表情の変化を感じて言葉を発する私の声よりはるかに立派なものだった。


泣いている赤ちゃんを見て ため息をつく人、困ったような顔をする人、イヤホンを耳に差し込む人、とっさにその子をあやそうとする人、微笑ましそうに見守る人。
たった1人の小さな命が、これだけの人の行動に影響を与えているのだからすごいものだと思う。
この子はただそこにいるだけで果てしないパワーというか、輝きというか、そういう部類のものを発している。

顔も耳もリンゴのように真っ赤にして、まだ短くて柔らかな腕を精一杯伸ばして、心の底から叫んでいる。


泣いていいんだよ。

私はこの子にそう伝える。心の中で静かに、だけど強く。
赤ちゃんの時に泣いて、泣いて、いっぱい泣いて。
そうしないときっと人は泣き方を覚えられないまま大人になってしまうから。

大人になればなるほどに誰かの前で泣くことってできなくなっていくから。今のうちに、たくさん練習しておいで。
涙を流せる君はすごいんだよ。その涙と声とであふれんばかりの想いをこの世界に届けられる君は強い子だよ。

そんなふうに、強く呟く。



この子が幸せな世界の中で安心して泣き続けられることを願っていたら、なんだか、うらやましくなってしまったんだ。この子が。

自由に感情を表現できるこの子が。

泣きたいときに泣いて、笑いたいときに笑って。

この子の気持ちは私よりも素直で純粋で、晴れた空に浮かぶ雲からまっすぐにのびる光みたいに綺麗で目がくらんでしまいそう。

私たちはもしかしたら、言葉を手に入れた代わりに大切な何かを心の内側のほうにしまい込んでしまったのかもしれない。

言葉にしなければわからないだとか、気持ちを言葉で伝えることが大切だとか、言葉を扱えるようになってしまうとそんなことを言われるようになる。
だけど、どんなに言葉を並べても真っ黒い暗闇から抜け出せないことだってある。永遠に続く夜みたいに、深く、暗く。言葉の重みだけじゃこの地球を朝に向かって回すことって難しい。

そんなとき、一粒の涙が朝日を運んできてくれるようなことがある。
あれだけ言葉をちりばめたってわからなかったあなたの気持ちも、瞳から落ちたキラキラひかる涙の粒によって私の心に染みこむようにして伝わってくる。

そうして私たちは互いに抱きしめ合う。
どんなにあなたのことを大切に想っていると口にしたとしても、それだけじゃ伝わらない想いがある。言葉にできるほど単純なものではなくて、全てを文字で表せるほど簡単なものでもない。
抱きしめられた腕から伝わるじんわりとしたあったかさや、微かにだけどしっかりと刻まれる鼓動から感じる安心感は、どんな言葉にも置き換えようがない。


太陽に照らされた木の葉を見つめているときの心の切なさも、波の音を聞きながら水平線に姿を消していく太陽を見つめているときの哀愁も、大切なあの人を想いながら月を見上げるあの夜の哀しさも。
結局言葉にできるのはほんの一部分で言葉にできないもどかしさにムカムカ胸焼けしてしまいそうにもなるけれど、言葉にできない感情こそが私にしか感じられないまっすぐ澄んだ本物の想いなんだと信じたい。

そんな想いをこの世界に放出させてくれるのが私たちの涙であり、叫びなんだ。


赤ちゃんが泣いている。

私たちだって泣いていい。
時には感情をむき出しにして、心の底から叫び声をあげたっていい。
泣ける君は強くて優しい、なんてそんな簡単な言葉で君の強さを形容できるほどこの世界は単純じゃないけれど、それでも涙を流せる君は強くて美しい。



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