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私が二十歳を失う前に

二十歳って、もっとちゃんと大人なんだと思ってた。

人生の体感時間は、二十歳で半分を過ぎてしまっているっていうけど本当なのだろうか。

二十歳になってもまだ、幼い頃に夢見ていた理想の大人になんてなれていない。大人になんてなりたくないし、いつまでも二十歳のままで生きていたい。まだ私は、私の二十歳を失いたくない。

とても 複雑で 繊細で 苦しいくらいに輝いている一年だった。

そんな私の、二十歳の記録。


誕生日

去年の四月、私は二十歳になった。幸せな誕生日だった。
十九歳最後の夜は、恋人と過ごした。はじめて、家族以外の誰かと誕生日の夜を迎えた。
部屋に入ると、2と0の風船がベットに置かれていて壁には Happy Birthday の文字が貼られていた。不器用な彼が、自分のために慣れないサプライズを計画してくれて飾り付けまでしてくれて、なんだかそれだけで胸がいっぱいだった。

人から何かをもらう時って、その物自体が嬉しいのはもちろんだけど、それよりも、その人が自分を想って選んでくれた時間や気持ちのほうが 自分をこれ以上ないくらいの幸せで包んでくれる。

彼は、なんと二十個ものプレゼントを用意してくれていて、それらが部屋のあちこちに隠されていた。「宝探しだよ!」と言って笑う彼を見て、この人のこういう遊び心が本当に好きだと思った。
最後の一個がどうしても見つけられなくて降参したら、なんと彼も隠した場所を忘れてしまって、二人で必死になって部屋中探し回ったのはきっといつまでも忘れない。


ひいおばあちゃん

誕生日が終わって、四月の終わるころ。
いつも通り大学の講義を受けていたときに、お母さんから電話がかかってきた。私は実家暮らしだから、家族から電話がかかってくるのは緊急の連絡があるときくらいだった。授業中だからでられないよと送信すると、すぐに返信がきた。
ひいばあちゃんが天国に行ってしまった。と。

突然の事だった。本当に。
ひいばあちゃんは、認知症になっていて少し前から施設にいた。だけれど、家にいるころは毎日元気すぎるくらい元気で、きっとうちのひいばあちゃんは百二十歳くらいまで生きるんだろうなと思っていた。
本当に、元気すぎるくらいに元気だった。認知症のせいで、どこか怒りっぽく意地悪くなってしまって、それでよくおじいちゃんやお母さんと喧嘩していた。それが、私には辛かった。いつも家には怒りの音が飛び交って、どこか気まずい沈黙があった。私はひいばあちゃんを、徐々に避けるようになってしまった。いつしか話しかけられても苦笑いしかできなくなって、通じない会話が億劫になって、私の中のひいばあちゃんの表情は怒りと悲しみに染まってしまった。

大学が終わって、ひいばあちゃんに会いに行った。
棺の中のひいばあちゃんは、冷たかった。だけれど、本当に眠っているだけに見えた。ほおに触れた。柔らかくて、だけどそこに温もりはもう感じられなかった。こんなに綺麗な顔して眠っているのに。ひいばあちゃんはもう、私を抱きしめてはくれなかった。
涙が出てきた。止まらなかった。棺の前で、ただただずっと泣いた。
家に帰らなければなかったけれど、まだひいばあちゃんの側にいたくて、棺の前から動けなかった。

大好きだった。大好きだったんだよ。
私の名前を呼んで優しそうに微笑む姿も、ちょっとだけオーバーリアクションな驚き方も、愛おしさを宿して私を見つめてくれるその目も。

どんどん私の方が背が高くなって、どんどん体が小さくなっていって、
どんどん残りの時間が短くなっていたことに、私はどうして気づけなかったんだろう。

大好きだった。それだけをただ、伝えたかった。
もう何も聞こえないひいばあちゃんの耳に、ただずっと大好きだと伝え続けた。


留学

二十歳のこの年が、私の人生の転換期になるだろうと思った。

ずっと夢だった、留学に挑戦した。
ヨーロッパのある国に一年。人生最大の決断だった。
十九歳の冬に留学が決まって、二十歳の秋から留学が始まる予定だった。

そんな中、大切な家族を失った。
そうしたら、なんだか急に、とても怖くなってしまった。
遠く離れてしまう間に自分の大切な人がまた、いなくなってしまうんじゃないか って。自分の家族や恋人にもしもの事があった時、すぐには帰ることのできない場所に行くのが本当に怖かった。
二十歳の夏は、そんな不安を抱えながら過ごした。自分の夢と大切な人との狭間で、心が引き裂かれそうだった。

だけどやっぱり時間は無情に過ぎていくもので、あっという間に渡航の日がやってきた。当日になっても不安が消え去ることはなくて、日本に、この家にずっといたかった。大切な人と離れることがこんなに不安で辛いとは思わなかった。

飛行機が飛び立ってからは、もうずっと、涙が滝のように流れてきて、この世界の全ての人の涙を引き受けているんじゃないかというくらい涙が止まらなかった。


この国に来てもう半年になる。楽しいこともわくわくすることにもたくさん出会ったけれど、心にはいつも家族があって恋人があって友達があって日本がある。私の心はずっと日本にいる。せっかく留学にきたのに、夢を叶えたのに、もはや自分がここで何をしたかったのかさえわからなくなってしまった。貴重な時間を浪費してしまっているんじゃないかと不安と焦りで押しつぶされそうになる。

自分の生きる意味を、ここで生きる意味を、この国に来てから考えない日はない。それでもまだ、見つけられない。



成人式

二十歳の代名詞とも言えるであろうこの式典。
今はもう、成人式ではなく 「二十歳を祝う会」 とか 「二十歳のつどい」 とかになってしまったけれど。

留学を決意したときから、成人式に行けないことはわかっていた。
中学の仲間たちの中で会いたかったのは、今でも定期的に会っている大切な友人くらいだったので、とくべつ成人式にかこつけて会いたい人もいなかった。だから、成人式の日がきても別に何も感じないだろう。そう思っていた。

そしてやってきた成人式の日。なにげなく開いたインスタは、スーツと振り袖で埋め尽くされていた。色と模様の大渋滞で目がチカチカした。久しぶりに目にする友人たちの姿は、これまで見てきたなかで一番きらきら輝いていた。いや、もしかしたら片思いしていたあの人ことを話していたあの頃のほうがきらきらしていたかも。

気がつけば成人式の配信を見ていた。
小学校時代からの大切な友達が、代表として二十歳の決意を話していた。
普段はどこか抜けていて危なっかしいあの子が、数百人の前で、堂々たる面持ちで。
ああ、私たちは大人になってしまったんだ。

なんだか、自分だけ、子どものままで取り残されてしまったようだった。
友人たちは大人への入り口をきちんと通っていったけれど、私はまだ入り口すらも見つけられぬまま霧の中をさまよっていた。


同窓会が始まった。
二次会になってみんながカラオケに移動すると、友達が電話をかけてくれた。時差があっても距離があっても、私のことを気にかけてくれる友達がいる。そのことに私の涙腺は緩んでしまった。
スマートフォンを部屋中に駆け巡らせて、旧友たちがかわるがわる画面に映る。みんな面影はあるけれど、顔つきや髪型が大人になっていた。あの頃はナイキのジャージしか着ていなかったのに、一丁前にコートなんか羽織っちゃったりして。

私の通っていた中学校はとても小さな学校で、三十人ちょっとのクラスが一つしかなかった。しかも、小学校からメンバーがほとんど変わらなかったから、同級生の名前は今も全員分フルネームで答えることができる。
だけれど、そんなに特別仲がいいクラスでもなかった。狭い世界だからこそのいざこざやぶつかり合いもあったし、息苦しさも感じていた。
だけれど、過去になってしまえば、思い出になってしまえば、愛おしさを感じてしまうらしい。
画面の中で、私たちの青春時代を彩った歌たちを熱唱する彼らを見ながら、無性に彼らに会いたくなってしまった。五年の月日を経て、彼らの間には絆が確かに育まれていたようだった。

ああ、みんな大人になってしまった。
あの子も、彼も、そして私も。


体感的人生の折り返し地点で、今彼らは何を感じていたのだろうか。
私は、ただ、あの頃が恋しかった。

生きる意味なんて意識することもなく、ただ目の前の世界だけを必死に生きていたあの頃が。


私の世界の外側で、みんなはあの日大人になってた。


二十一歳


「生まれてきてくれてありがとう」という言葉が凄く好き。

だから、大切な誰かの誕生日をお祝いする時は必ず手紙の最後にこの言葉を添える。あなたが生まれてきてくれたから、私はあなたに出会えて今こんなにも幸せなんだよって伝えるために。


あと一ヶ月もしない間に、私は二十一歳になる。
それが憂鬱でありながら、少しばかり期待に胸を膨らませる自分もいる。

大人になるということも、生きていく理由も、まだ何もわからないけれど、
今はただ、大切な誰かに「生まれてきてくれてありがとう」と伝えられたら、大好きな人に「大好きだよ」と伝えられたら、それだけでいいのかもしれない。
それが、今の私の生きる意味だ。



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