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私の純潔観

私は処女です。

そうであるのが好きで、しかもちょっと誇らしい。
どうしてそうなのかは、よくわからない。

初めての投稿でいきなりこの話題でいいのかな?なんて思いながらも、自己紹介も兼ねて、自分がどうしてそういう考えになったのかをできる限り探ってみたいと思います。

中学生になると、男子も女子も異性に対して特別興味を持ちますよね。
少なくとも私の場合はそうでした。
当時私の周りではお泊まり会が流行っていて、布団に入ってからのテーマは恋愛トークにつきました。

「〇〇は好きな子いたりするの?」

「う〜ん、気になってるくらいの人はいる」

「今〇〇からメール来たw」「みせて!」

と、こんな感じの会話がとても楽しかった気が。

私も例に漏れず異性に興味を持ち、付き合った人がいました。
ですが付き合っているという特別な関係のフレームに満足していたのでしょうか、学校での毎日の会話は数倍楽しかったものの、はたから見て恋人らしいと言われるようなことはしなかったと思います。

結局、1年ほどで自然解消。
思えばお互いに中学生で、どうしたらいいかわからなかったのかもしれません。
「あのとき服の袖くらい引っ張ってみたら、何かあったのかなぁ」なんて、後から思ってみたり…

それからしばらくして、『アミ 小さな宇宙人』に出会いました。
私を特にひきつけたのは「双子の魂」の話。

 定められた出会いの場にむかい、ゆらゆら浮きながら前進した。永遠の時から定められた出会いー”彼女”との出会い。

 ざぶとんの上にすわった”彼女”が、いた。とても身近に、かぎりなく身近に感じた。にもかかわらず、あれが、はじめての出会いだった……。

 おたがいに、まだ、目は見合わせずに、ただただこのさいしょの出会いの瞬間が、少しでも長くつづくことだけを祈った。なにもいそぐ必要はなかった……なぜなら、この出会いを、何千年もの長いあいだ待ちつづけていたのだから……。

『アミ 小さな宇宙人』徳間書店 新装改訂版 p.238-239より

主人公ぺドゥリートと彼の双子の魂である”彼女“との未来の出会いの場面を引用させていただきました。
はじめてこのシーンを読んだとき、全身が震えたのを覚えています(((o(*゚▽゚*)o)))

主人公を超次元の世界に案内する宇宙人のアミは、宇宙を旅する中で双子の魂について教えてくれます。
振り返って読んでみると、この概念については「もともと1つの魂だったものが2つにわかれたもの」「永遠のパートナー」くらいにしか説明されていなくて、どうしてそういうものがあるのか、とかはわからないんですよね。
でも、もともとロマンチックな気質があったのでしょうか、私はその個所をピックアップして何度も読んでいました。

次のはペドゥリートが宇宙を見学する際に一緒になったビンカという女の子と少し甘いムードになったところでの、アミの発言。

「禁じられたロマンスはそのくらいにして、これから銀河系のダンスを見てみよう。きみたちには、それぞれパートナーがいる。前回、未来をのぞき見たときに、それぞれに自分の”双子の魂”を見せてあげた。まだじっさいに出会っていないとはいえ、そのことに忠実であるべきなんだ。」

『もどってきたアミ 小さな宇宙人』徳間書店 文庫版 p.59より(『小さな宇宙人 アミ』シリーズは全部で3冊あります。こちらは2冊目から引用させていただきました)

禁じられたロマンス(O_O)

双子の魂同士ではない恋愛のことを、アミはそう呼ぶんです。
記事を書くために久しぶりに本を読み直しましたが、背徳感のある響きです(笑)

高次元の世界では、おたがいに引きつけあって双子の魂と一緒になるとアミは言います(アミの両親も双子の魂同士だそうです)。
双子の魂を見つける方法は、5感以外の超感覚をセンサーとしてということで、私はちょっとでもこの感覚が発達しないものかと、とりあえず瞑想を始めたりしていました(_ _).。o○

アミの計らいで自分の双子の魂と出会えたペドゥリート。
でも宇宙旅行に終わりの時が近づいてきました。
2人は離れなければなりません。
名残惜しい2人にアミは言います。

「これからきみたちは未来にむかう人生の中で、そのつどそのつどおたがいをさがし合い、そのたびに出会うようになるんだ。そうしたなんどもの出会いのあとで、バラ色の世界に住むようになるんだ。そして、さいごにはふたりは合体してひとつの存在となる。そうなったら完全だ。いまはまだおたがいにひとつの存在の半分でいる。はなれながら進歩・進化していくんだ」

『もどってきたアミ 小さな宇宙人』徳間書店 文庫版 p.216より

双子の魂は最後には合体して1つになる!
当時からこの考えが大好きでした。
愛を経験するために、もともと1つだった魂が2つに分かれ互いに探し合う。
人生というゲーム?物語?の中で、自分たちで恋愛要素を用意して自ら楽しんでいるのかな?などと、こんな感じに解釈しています。

余談ですが、数年後に読んだプラトンの『饗宴』で、アリストファネスという詩人が似たような話を披露していて驚きました。
もっとも、その中で語られるのは、神によって強制的に引き裂かれた存在がもとに戻るのを切望するというなんだか悲しい感じでしたが。
それにしてもプラトンはどのようにしてこんな話を考えたのでしょう。
何か原典があったのかな(゜-゜)

ペドゥリートとビンカはアミの両親に出会って2人と会話をする機会を得ました。
ビンカは今はそれぞれが別の人と一緒になっているのかどうかを聞きます。
というのも、すでにアミのお父さんはアミのお母さんとは違う種族に転生していたからです。
その質問に2人はびっくり。

 アミはいつものように笑って、こう言った。

「パパもママも、未開世界では双子の魂どうしで結婚するというのはきわめてまれだということを忘れているようだね。離婚はあたりまえのことだし、不貞をしたり、一生のあいだになんども結婚したりする。そのうえ、彼らは、もしふたつのたがいにおぎなうべき魂が出会ったときどうなるかということも、まったく知らないでいるんだ。だからビンカがそう聞いたんだよ」

「そのばあいはいったいどうなの?」

 ぼくは聞いた。

「別のひととはいっしょになれないんだよ」

「どうして?なにか法で禁止されているの?」

「そう、愛の法で。でも強制されたものじゃない。ただ、全宇宙のすみずみまでさがしてみても、双子の魂のかわりになるひとは、だれもいないんだよ」

『もどってきたアミ 小さな宇宙人』徳間書店 文庫版 p.270より

そうか。
他の誰かと恋をするのはやはり自由なんだ。
そりゃそうだよねぇ~だってそうじゃなかったら地球人ほとんど恋愛なんてできないじゃない。
私も生まれてないかもよ?
でも、そうした関係は時間的なもの。
他でもない双子の魂こそが、そのパートナーのみが時間を超越するんだ!と、こんな感じでしょうか。

魂?意識?精神?は超越的なもの。
時間空間の3次元世界を超え出ています。
何かの場面を思い出すとき、私たちの意識はそこに向かって飛び出すことができますが、時空間に縛られた肉体はそうはいきません。
魂は時間的ではないからこそ、魂でする恋愛は永遠ということもありえるのかな(・・?

とにかく、「双子の魂」「そのパートナーに忠実に!」ということが、その後私が純潔を大切にするようになるきっかけになったと思います。

ですが、そのときから処女であるのが好きになったわけではありません。
中学生だし、そんなことは考えてもなかったと思う。
一般的には純潔とは処女のことであると考えられていると思いますが、私の中でもいつの間にか純潔=処女になってます。
なんでそれが結びついたんだろう。

アミの本に影響を受けまくりの私が勝手に考えた「純潔」とは、「双子の魂へと開かれた態度」ということ。
理想へと方向性だけは定めておく感じ。

やっぱりロマンチストだ、私。

双子の魂があるかないかは、もはや信じるかどうかの問題ですよね。
それはさておくとしても「純潔」とは態度なんだから身体的な話ではないはず......だから誰と恋愛してセックスしていようが関係ないんじゃない?
むしろ一般論的だけど、たくさん恋愛することでわかることもあるって言うでしょ。
あなたが大好きな双子の魂へのヒントもあるかもよ?
そう考えると、純潔=処女の図式は、私の中では成り立たない。
でも事実として処女で、しかもそれが好きなんだから、何かあるんだろうな。

noteの切り方がまだよくわかっていません。
とりあえず私のきっかけの話が終わったところで一旦切り上げたいと思います。
このテーマの続きは、また別の機会に書きます。

自己紹介をかねての独りよがりの投稿になってしまいました(^_^;)
今度は、もっと客観的なテーマで投稿してみようと思います。

お読みいただき、ありがとうございました🌸

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