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スウェーデン人が見たかつての日本人
最近新しい出会いがあって、お互いの好きな本を紹介し合うことがありました。
その際に教えてもらったのが『江戸参府随行記』です。
全く知らなかった本でした。
1775年に来日したスウェーデン人の日本紀行であり、当時の江戸期日本を外国人の視点で見聞した記録になっています。
ツュンベリーというスウェーデン人の学者が記したこの本は、鎖国下日本を外から知るにあたり、かなり貴重な記録になってます。
日本人の国民性がわかるということで、早速読んでみました。
自由を愛する日本人
一般的に言えば、国民性は賢明にして思慮深く、自由であり、従順にして礼儀正しく、好奇心に富み、勤勉で器用、節約家にして酒は飲まず、清潔好き、善良で友情に厚く、率直にして公正、正直にして誠実、疑い深く、迷信深く、高慢であるが寛容であり、悪に容赦なく、勇敢にして不屈である。
かなり評価が高いことがわかりますね。
特に「自由は日本人の生命」だとか。
ただし、それはわがままや放縦を意味するのではなく、法に準拠した自由に見えたようで、同時に「最も礼儀をわきまえた民族である」と書かれています。
例えば、外国人が連れてきた奴隷についての日本人の反応です👇
日本人は、オランダ人の非人間的な奴隷売買や不当な奴隷の扱いをきらい、憎悪を抱いている。身分の高低を問わず、法律によって自由と権利は守られており、しかもその法律の異常なまでの厳しさとその正しい履行は、各人を自分にふさわしい領域に留めている。
日本においては戦国時代には奴隷があったようですが、江戸時代に入ると、基本的には人身売買が否定され、勾引行為を死罪をもって厳禁されていました。
当時の日本人にとって、奴隷など全く理解し難いものであったのでしょう。
日本人の信念深さと勇敢さ
日本人が高慢で悪に容赦がなく、勇敢である例も、ページを割いて挙げられています。
1630年のことである。日本の小型船が貿易のために、当時オランダ東インド会社に属していた台湾島へやってきた。ときの総督ピーテル・ヌイツは、到着した船の日本人商人らにひどい扱いをした。日本の商人は帰国して自分の藩主に、藩主や彼らに対してなされた不公正な扱いや侮辱について訴えた。
この事件は実際にあったもので、タイオワン事件と呼ばれています。
警護兵らは藩主に次のように訴えた。「我ら、殿の名誉を取り戻す許可を得られずして、警護の任を果たせましょうや。無礼者の血を見ずしては、この汚辱を拭い去れるものではございません。いざ、ご下命を。さすれば我ら、無礼者の首を切り捨てるなり、生きながらここに引きつれ殿の御意のまま相応の罰を科すなりする所存」
ツュンベリーには、上のようなセリフなどは見聞する機会があったわけではありませんから、ここは彼ら外国人の日本人観がよく表れているように思えます。
彼らは許可を得て、慎重なる討議の末、台湾へやって来た。そして引見のために総督へ通されるやいなや、全員一気に刀を抜いて彼を捕らえ、すぐに自分たちの船に引きつれて来た。これらは白昼、警護や召使いの面前で行なわれたが、誰一人あえて自分の主人を救おうとする者はなかった。そこで日本人は、一瞬にして総督の頭を真っ二つに割いたのである。
上のwikipediaを参照していただければ、実際の事件はこんなに単純ではなかったことがわかります。
けれども重要なのは、この事件に日本人の性格を見出したツュンベリーの視点です。
彼は、日本人は高慢で、正義を重んじ、勇敢であるというのに、この事件を引き合いに出しました。
「高慢」というのは、なんだか悪いイメージですが、ここではあくまでも名誉心に富むといったニュアンスでしょう。
さらに面白いが次の分析です👇
彼らは尊大で大胆であると同様にまた、極めて執念深く無慈悲でもある。そして己れの激しい憎悪をむき出しにすることなく、しばしばそれを異常なまでの冷淡さの内に隠し、復讐の好機をねらう。この国民ほど劇場に流されることのない者を、私は知らない。どんなにがみがみ叱ろうと、嘲笑しようと、またその名誉を傷つけようと、それに対して彼らは一言も答えることはない。ただ、驚きのあまり発するようなゆっくりとした「アー」という音を発するのみである。
リアルだな、と感じました。
何かあったとき「アー」でその場を切り抜けることは、現代でもよく見られますよね。
そんなことまで記録しているのが、この本の面白いところだと思います。
そして自分の敵に対して、黙ったままで痛烈なる憎悪を抱き、それはその後の謝罪によっても、時が経過しても、また状況が変化しても消え去ることはない。従って彼らは自分の敵を言葉の上でも態度においても無礼に扱うことはなく、遅かれ早かれ敵に大きな傷害を与えるか不幸を負わすような機会が現われるまで、見せかけの友情で自分と他人を欺くのである。
う〜ん、これにも納得してしまいます。
ツュンベリーが滞在していたのは一年ちょっとでしたが、日本人の本質をすごく捉えているような気がします。
日本人の教育
日本人の親切なことと善良なる気質については、私はいろいろな例について驚きをもって見ることがしばしばあった。(中略)国民は大変に寛容でしかも善良である。やさしさや親切をもってすれば、国民を指導し動かすことができるが、脅迫や頑固さをもって彼らを動かすことはまったくできない。
ツュンベリーは、日本に来る前に他の国も訪ねていますが、それらの国々と比較すると日本人の気質に驚かざるをえなかったようです。
外国人が旅行するのに、自分自身や荷物の危険をまったく感じなかったことは特に記されています。
彼がしばしば記載していることで目を引くのが、子どもの教育についてです。
子供が叱られたり、文句を言われたり打たれたりすることは滅多にない。
子供たちに読み書きを教える公の学校が、何か所かに設けられている。そこでは子供ら全員が声高に本を読むので、まとまってもの凄い騒音となる。一般に子供らは、懲罰を加えられたり殴打されたりすることなしに育てられる。低学年のうちは、過去の英雄の徳や優位にあやかるよう、勇気づけるような歌がうたわれる。青年期になると、教える側も熱心になり、彼らには適切な手本が示される。
ヨーロッパは日本よりも発展していて豊かであるとツュンベリーは思っていますが、母国では子どもがよく叩かれることについては、日本人を見て恥じています。
ただ我慢ならなかったのは、子どもたちの音読の声であるらしく、しばしば爆音になってうるさかったと感じたようですね。
また、日本の教育方針は「手本を見せること」であったことがわかります。
他者への対応の仕方は、大人が手本を見せることによって伝えていくものであり、大人がしっかりとできているから、子どもも続くということですね。
何より、大人が楽しんでいたからこそ、子どもも楽しい子になっていたのでしょう。
日本人の法
町では、たった一人の罪人のために、しばしば通りの住民全員が罰せられる。主人は自分の下男の、また両親は自分の子供の犯した過ちのために、その罪状へのかかわり方に応じて罰を受ける。哲学や神の強い影響のもとに啓蒙されたヨーロッパでは、誰かをそそのかしたり迷わせたりした者が罰せられるのは稀であり、自分の子供や親戚のしつけを怠ったとして、両親や親戚に累が及ぶことは決してない。一方、この異教徒らは、このような罰が不当であるとは思っていない。
この記述を見ると、日本人が刑罰について滑稽なことをしていたと思われるかもしれません。
実際に、ツュンベリーも哲学や神学を引き合いに出してそのように思っているようです。
ここで彼が哲学と神学を持ち出すのには理由があります。
それは神学=キリスト教が個々人の魂ということを認め、各人が善悪の行為について個人的に責任をもつと考えているからであり、哲学は神学の奴として、因果関係を基づけているからです。
ある人の行為は、因果的な説明によって、その結果に対する責任を有すると考えられており、それが個々人の魂についての信仰によって正当性をもっていました。
これが現代の法手続き、例えば裁判のもとになっているのは確かでしょう。
けれども日本には、そうした手続きを基づける哲学や神学がなかったわけですから、ツュンベリーの感覚では奇妙なことをしていると思えたのです。
彼が見た日本人の感覚は、現代日本のものとも全く異なります。
当時の日本人は、ある出来事を特定の因果関係のもとに狭めることはなかったからです。
ある出来事が生じるのは、世界の様々な事象が複雑に有機的に絡み合っているからだと考えられていました。
それは「風が吹けば桶屋が儲かる」という言葉にも見られます。
今ではそれは連帯責任という言葉で簡単に片付けられますが、それでは全く理解できない世界理解がそこにはあったわけです。
かつての日本人には、出来事を単純な因果関係に変換するような癖がなかったために、親族や隣人にまで及ぶ「このような罰が不当であるとは思っていない」のでした。
なぜなら、ある人の親族や隣人とは、その人の世界をともに構成している存在だからであり、当時の日本人は、その行為の責任はその人だけではなく、その人の世界にも求めたからです。
『江戸参府随行記』は少し古い本なので手に入りにくいですが、図書館で借りることもできます。
(私はそうしました!)
日本人については、渡辺京二の『逝きし世の面影』ほど充実した内容ではありませんが、それでも新たな視点を楽しむことは十分にできます。
(👆日本人を知りたい方には、こちらもかなりオススメです!)
本当はもっと色々な日本人の性格を描写していて、ご紹介したいのですが、字数が多くなってきたので、ここまでにいたします。
お読みいただきありがとうございました🌸
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