魂の記憶 プラトン「想起説」

私は専攻上哲学書を読みますが、これがとても面白い✨

最近徐々にそんな話を織り交ぜながらnoteを書いてみています。

スピリチュアリティの情報もも刺激的で面白いのですが、中には話が宙に浮いてしまっているなと思うこともしばしば💦

まあ、それはそれでいいんですけどね😆
だけど個人的にはなるべく論理的に納得ができる形で知りたい。

哲学書を開いてみると、実はスピリチュアリティで語られている様なことがすでに説明されていたりするんです。

それが絶対的に正しいということもないでしょうが、さすがに論理的に書かれているのでより納得しやすいと思います。

今回はプラトンの『メノン』から、スピリチュアリティでもよく語られる前世の根拠についてご紹介したいと思います✨


メノンはソクラテスに問いかけます。

「あなたは自分がそれについて問うそのものを知らないのに、答えるにあたってどうしてそれが答えだとわかるのですか?」

たとえば「美しさとは何か?」と問いかけるなら、その人はすでに美しさというものをある程度理解していなければなりません。

というのは、もし美しさについて全く知らなかったなら美しさとは何かと問うことは無意味な問いになるからです。

そして美しさについて全く知らないなら、その答えが美しさのことなのかどうかも判断出来ないでしょう。

このように、あるものを問うにあたってそのものをすでに知っていなければならないことを、探求のパラドクスと言います。

けれども問うということは知らないものについて問うことであって、知っていることを問うこともまた無意味です。

それでは問うということは実際はどのような活動なのでしょうか。

ソクラテスが提示する答えは想起というものです。

人間はたしかにそれについて問うものを知らなければならないが、それは実は現世に生まれる前には知識を持っていたことなのであり、もともとは知っていたことなのであるといいます。

美しさとは何か、現世では知らないけれど生まれる前は知っていたからこそ、それについて問いかけることができる、と。

それゆえ問うという活動は実は以前は知っていたことを思い出すことなのであり、それが想起ということになります。

この想起ですが生まれる前のことを前提にしています。

ソクラテス(そして作者であるプラトン)は輪廻ということを信じているのであり、想起が行われる以上は前世というものがあるというのです。

前世(生まれる前)にすでに知っていたことを今世では忘れており、それを思い出すことを繰り返しているというのが2人の考え方になっています。

一度知っていたことなのでなんとなく知っているが概念的には説明できない。
そのようなものを私たちは問います。

生まれる前は全てを知っていたのに、生まれると忘れてしまう…なんとなくスピリチュアリティの情報に似ていませんか?😆

魂の記憶があるからこそ、私たちは問うべきものを問うことができるのです。

問うということの構造からプラトンは前世の存在を導き出す、あるいは前提しました。

意外なところから前世の根拠が飛び出してきますよね。
プラトンの洞察力はさすがです🌟

日常の些細なことをよく洞察するなら、同じように生まれる前の話の根拠を見つけられるかもしれません✨

お読みいただきありがとうございました🌸

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