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実家での暮らし、そして救急搬送

こんにちは、さくらです🌸

前回は修正型電気けいれん療法について自身の経験をお伝えしました。
今回は、転院前に実家に一時退院した時におきた出来事についてお伝えできたらと思います。
*少し衝撃の強い内容が含まれていますので、体調の優れない方はここでおやめ下さい。



初めて入院した精神科病院で薬物治療をするも薬調整もうまくいかず、修正型電気けいれん療法をしてもあまり体調は変わらず…
そんな中、一時退院したので精神的にしんどい気持ちも変わりませんでした。とにかくしんどい。という感じでした。
それに、実家にいても何もできない自分が嫌だったし、買い物等で家の外に行けば知り合いに会ってしまう可能性もあったし(心配されるのも何か聞かれるのも嫌だった)、うつ病で学校を休んでいる自分も嫌いでした。

「このまま消えてしまいたい。」

そういう思いが日に日に強くなっていきました。
ある日、両親がいない時間に、転院するまでの一時退院分の薬(約1か月分)を衝動的に全量服薬してしまいました。抗精神病薬も睡眠薬も何もかも全部飲んだので、いつの間にか気を失っていて、目が覚めた時には病院のベッドの上でした。
後日、両親から聞いた話ですが、その時の私は大きいいびきをかいていたようです。多分呼吸が止まる前のやばいやつです。
私の地元は田舎なので車で1時間半程かかる場所にある大きい病院に搬送されました。
目が覚めると声が出ませんでした。なぜだろうと自分の身体をみると、人工呼吸器がつけられていました(搬送中に呼吸が止まったのかわかりませんが。)だんだん身体の感覚が戻ってきて、人工呼吸器による喉の痛みが耐えられず自己抜去してしまいました。点滴もなぜか自己抜去していました。
膀胱留置カテーテルも挿入されていたので自己抜去しないように手を拘束されました。看護師に「おしっこの管抜いたら痛いからね」と念をおされましたね。
覚えているのはこのくらいです。
その後は精神科病棟に移り、転院までの期間をそこで過ごしました。
1か月もしないうちに転院が決まり、私が今でも通院をしている病院に転院しました。

次回:精神科病院急性期閉鎖病棟での生活


ここまで読んでくださりありがとうございました。
今回は、一時退院して実家で暮らす中での気持ちや救急搬送された時のことについてお話ししました。
精神科疾患で学校をお休みしていることにとてつもない罪悪感、嫌悪感、自己否定などなどネガティブな感情を強く抱いていました。
周りの目もすごく気になり、人と関わることがとても怖かったです。
初めて過量服薬してしまったときの気持ちは今でも残っています。
私にはもうそれしか方法がないと思い込んでいました。
これまでにお伝えしたかもしれませんが、抑うつのときって本当に視野が狭くなるんですよね。それもこれも全部【魔物】のせいなんですけどね。【魔物】に襲われている真っ只中は、自分が【魔物】に支配されていることには気づかないです。だから自分が行動してしまう、考えてしまうことの全ては自分のせいだと思い、自責の念からより消えてしまいたい気持ちになってしまうのです。
今まさに【魔物】に襲われている方、本当につらいし苦しいし何もかも嫌になってしまっているかと思います。でも自分の周りに起きていることはあなたのせいではありません。【魔物】がそうさせているだけなんです。いつか必ず、【魔物】から抜け出せる日がきます。その日まで、前進後退を繰り返しながら少しずつ歩んでいきましょう。後退することは悪いことではありません。次の一歩を踏み出すための準備期間です。共に乗り越えましょう。

私の【魔物】に襲われた経験が誰かのお役に立てれば幸いです🍀

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