わたしの物語

RE:BORN
〜偽りのない本来の自分へ〜

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こんにちは、足立です。

わたしは、新卒から今の職場に勤め、紆余曲折ありながら
15年も同じ職場で働かせてもらっています。

今は、上司や後輩の信頼のおかげで「リーダー」という
役職をいただき、日々奮闘しております。

そんなわたしですが、幼少期に親から植え付けられた価値観により、
トラウマとなるような出来事が沢山ありました。

相談相手もいなく、理解してもらえない、生きづらい。
嫌われないように人と関わり、「本音・本心」を出せない。
その一歩を踏み出せない。

表面上の付き合いではなく、
心の底から信頼できる仲間が欲しい・・・

その思いで、わたしがこれまでを振り返り、
どんな思いで、日々親と向き合っていたのか、
わたしの体験を通して、
何か気づきを得てもらえたらなと思います。

では、少しばかり

「わたしの物語」

について、お付き合いください。

借り物の体操服 


わたしは、4兄弟の末っ子で兄が3人います。
幼い頃から兄の背中を見て育ってきました。

何をするにしても、兄の真似をしたり、同じ部活に入った
同じ高校に行ったりと、常に兄の存在を身近に感じました。

よく喋り、よく遊び、よく笑い、ワンパクで明るい性格。
いつも家族の中心で、みんなを笑わせていたんですね。


しかし、その裏では

「自分が我慢すればいいんだ」

そんなことばかり思うようになり、
どんどん「自己犠牲感」が増していくばかり。



いつからだろう?

いや、いつまで我慢すればいいのだろう?


それはうちの父が融通の効かない、
いわゆる「頑固一徹」だったからなんですね。


悪いことや兄弟同士で喧嘩をすれば
鉄拳制裁で強制終了!!


時には線香で根性焼きという、虐○?
紛いな事もしばしば・・・


(話によると父も幼い頃、酒癖の悪い父親に振り回されていたらしく、
 そのトラウマが消えてないんじゃないかと推測してます)


だから、なるべく怒られないように
迷惑を掛けないように親の言うことだけを
聞くようになり、「いい子」を演じ続けていたわけです。


兄や母からは、

「お前は甘やかされている」

なぜかその言葉が、今でも脳裏に残り焼き付いて離れません。

末っ子だから、

・一番可愛がられた
・欲しいものを買ってもらえた
・自由に好きなことをさせてもらえている

だから、「甘やかされている」という言葉が出てきたのではないか?

まったくそんなことはない!!


制服やランドセル、体操服、自転車
全てがお古だったわたしは、我慢の連続だった。


父はいつも、

「うちは貧乏だから」

「お金なんてない」

(うちは貧乏なんだ・・・)

そう思ったから欲しいものや、
やりたいことを言えることができなかった。


小学5学年の時、体操服が新しくなったが、

「お金のことで親に迷惑を掛けれない」

「2年も我慢すれば中学生になる」

「先輩もまだ古い、体操服の人がいるから大丈夫」


しかし、
6年生になった時、古い体操服はわたしだけ・・・
いつしか周囲の目が気になり、好きだった体育が・・・

嫌いになんかなってませんよー!!
こんな事で私はめげません!!

仲のいい友達から、体操服を借りて1年間凌ぎました!!
その友人には今でも感謝しかありません。

本当にありがとう。


植え付けられた価値観

わたしは生まれてすぐ、ある宗教に入会。
兄が3人いますが、皆同じく入会しています。
思春期の頃には、周りのみんなと違うことを薄々感じた。


・お経が違うこと
・毎日仏壇の前でお祈りをすること
・定期的に集会に行くこと
・自宅に会員の方が来て、お話をすること
(何を話していたか覚えていませんが、毎回嫌がってました)
・お寺や神社に行ってはいけないこと


なぜ、神社に行ってはいけないのか?

詳しく教えてもらったことがなく、
ただ、「行くな!」としか言われなかったので、
それが当たり前だと思っていた。


社会人になった頃には、兄達は更に信仰を深め熱心な活動家に。
そんな背中を見ていたのでわたしも自然と、活動するようになった。

学校では誰も教えてくれないこと。
歴史、背景、人生感、信仰心などを学んだ。

更には人の幸せを祈り、そして自分自身も幸せになる、そんな宗教でした。

一見聞こえは良いように思えますが、
わたしの家族は違いました・・・


・巧みな話術で翻弄し、思考を停止させる
・脱退しようものなら、脅してくる
・日常会話のほとんどが宗教関係


布教しないといけない使命があるため、
勇気を出して友人に打ち明けますが、
その度に、距離を置かれることも・・・



そんな中、わたしにとって一番の試練が、幾度となくやってきます。
それは、当時付き合っていた彼女に打ち明けることです。


初めは受け入れてくれるのですが、交際年月と共に
必ずと言っていいほど、ある壁にぶち当たります。


それは「結婚」です。


本気で向き合わなければ
現実は変えられない 


わたしはその壁を中々乗り越えれず、何度も振られました。
そして、何度も深い傷を負った。

次に付き合った人もまた、


「同じ理由で振られるんじゃないのか?」

「付き合うことによって、相手に迷惑がかかるのではないのか?」

「お互いに傷つくだけじゃないのか?」

「このまま独身でいいのか?」

「その前に、何のために信仰しているのか?」


そんなネガティブなことばかり考えるようになり、
どんどん闇に堕ちていき、信仰心も薄れた。


辞めようと思って親や兄弟、会員の方に相談してみたものの、
巧みな言葉で引き戻され・・・


「次こそは!!」


…と奮い立たせ向き合うも、結果は同じ。

ただただ、傷口が広がるだけ・・・


「いつまで、この状態が続くのか・・・」

「もう精神が崩壊しそう・・・」

「生きていることが辛い・・・」


いよいよ辞めようと、本気で親に相談するが、
脅迫紛いなことを言い、恐怖で支配。


母:「辞めたらこの先、不幸なことしか起きないよ!!」

母:「辞めてもいいけど、私はもう知らないよ!!」

父:「相手が入会しないなら、結婚式には出ない!!」


一方的に言いくるめられ、

・なぜわたしが嫌になったのか?
・こんなに苦しんで、悩んで相談しているのに話を聞こうとしないのか?
・なぜ結婚相手も入会させないといけないのか?


わたしは一人の息子として見られていなく、
会員の一人として、見られているような気がした。


当時の私は相談相手がいなく、
わたしのことを肯定してくれる人は誰一人としていなかった。

とても辛い日々でした。 

家庭の事情により、わたしが後継ぎとなっていたため、
親や家のことで、色々と気を遣う日々が続く。



そんなある日、ついに限界が・・・

わたしが一生懸命消してきた、


「本当の気持ち」

「本当の自分」

もう何も感じないよう、自分を偽っていたけど、
わたしの心の奥底で、ずっと溜まり続けていたのです。

溜まって、溜まって、
まるで火山の噴火直前のような、そんな状態でした。

ついに、マグマが地表を突き破り、
一気に吹き出してきたのです。


「もう、偽るのは嫌だ!!」


初めて父の前で怒鳴り散らかし、
感情のままに本音をぶち撒けた。

しかし、

それでも感情を抑えれなかったわたしは、
怒りのままに拳を振り上げ、目の前の机に思いっきり振り下ろした!!


ドォーン!!


爆音と共に、その手は痛み、心臓の鼓動は速く、呼吸は荒い。
これほどまでに感情的になったことはなかった。


話し合っても聞いてくれない。
ぶつかっても理解してもらえない。


いつからだろう?
いや、いつまで我慢すればいいのだろう?

そしてこの苦しみから逃れるため、


「家出」を決意した。


親元を離れ・・・

アパートが見つかるまでは、親と生活をすることに息苦しさを感じ、

・会話をすること
・一緒に食事をすること
・顔を合わすこと


今まで住んでいた家とは思えないほど、空気は重く、
居心地も悪く、そこに笑顔なんてありません。


わたしは病気に縁がないくらい健康な体ですが、
横になるとなぜか、目眩に襲われていた。

 (体も限界にきていたんですね・・・)

そして、アパートが見つかり、逃げるように実家を出て、
一人での生活が始まる。


初めは不安があったものの、以前の生活と比べると、
とてもスッキリした状態で気持ちが楽になった。


原因不明の目眩も、いつの間にか治り、
恐らく過度なストレスだったと思います。


もし、あのまま実家で暮らしていたら・・・
そう思うとゾッとします。


本当の自分を見失い、生きていることの意味すらわからず、
死んだように生きていたと思います。


実際に、玄関先で母の前で土下座して、


「もう、好きにさせてくれ・・・」

「生きてるのが辛い・・・」

「このままだと死んでしまいそう・・・」


そう言い残し、母の前を去った・・・



実家を出て、数年が経ち。



兄の結婚式や還暦祝いなどで、親に会う機会が自然と増えた。
父は辛そうな顔をして、

「すまなかった」
「わしが悪かった」
「許してくれ」

何度も何度も謝罪。


そんな、姿をみるのもしんどくなり、
仕方なく許すことに。


少しずつ親子関係も修復できた頃、
心にゆとりができ、新しい出会いもありました。


宗教のことより、わたし自身を見てくれ、

「この人なら!」

思いきって辛い過去を打ち明けた。

宗教のこと、幼少期のトラウマ、家出をしたこと。
打ち明けていくうちに、辛い思い出がよみがえり苦しくなった。


しかし、彼女からは驚きの言葉が返ってきた・・・


「わたしが、幸せにしてあげる!!」


そんなことを、言ってくれる人は、
誰ひとりいませんでした。

家族ですら。

わたしは、心の底から救われ、
まるで、何重にも絡み合った鎖が、

パァーン!!っと

一気に弾け飛んだような気分でした。

そして、

「もう、我慢しなくていいんだ」

と気持ちが楽になりました。


彼女のご両親にも気に入ってもらえ、

心の中で、 

「こんなに順調にいって、いいものなのか?」


・・・と疑うくらいでした。


そしてこのまま、何事もなく結婚!?
と思いましたが、問題は解決していませんでした・・・


それは、「コロナウイルス」によって引き戻されたのです。

コロナ禍での結婚式

年末から結婚式の準備をしていたのですが、
感染拡大により披露宴は中止。


コロナ対策を徹底し、親族のみで挙式を挙げることに。


友人に披露宴をキャンセルすることを、
大粒の涙を堪えながら、一人ひとりにメールをしていた、
妻の姿を今でも覚えています・・・


それだけでは、負の連鎖は止まらず、
実兄から欠席の連絡・・・


そこには「おめでとう」の言葉ではなく、
延期を促す言葉や、自粛で溜まったストレスを、
わたしに全てブチまけてきました。


「親が感染して死んだらどうする?」

「お前に責任とれるの!?」

「会社は何て言ってるの?」

「こんだけ言っているのに、まだやる気?」


耐え切れず、電話を切りました。


兄弟って何だろう?
血は繋がっているけど、心は繋がっていない。
そんなの兄弟ではない。

 わたしと妻は、精神的にかなり病んでいましたが、


「延期だけは絶対にしない!!」

「予定日に挙式を挙げる!!」


妻のその言葉だけを信じて、
予定通り挙式を挙げることにしました。


当日、


天気がよく、チャペルから見える景色は圧巻でした。

青空から降り注がれる光により、湖が喜んでるかのようにキラキラと輝き、

まるでわたしたちを祝福してくれるかのようでした。

そして、

その光は真っ白なチャペルをより一層輝かせ、幻想的な空間を作り出したのです。


ようやくこの日を迎えられた。


色々ありましたが、
心の底から信じてくれた人たち、
直前で参加してくださった方、
来れなくてもお祝いメッセージをくれた友人。

陰で応援してくれた人たちのお陰で、感染者ゼロ。
無事に終えることができました。


ここから、新しい最高の人生がスタートができる!!
わたしと妻は、そうなることを確信していたつもりでした・・・



式から数日が経ち、
実家に用事があり、父と話をしている際、

「また、改めて集まって食事会するよな?」

その話は妻としていましたが、妻やご両親は断固拒否していました。


自分達の都合で欠席したのに、なぜこちらがまた企画しないといけないのか?

企画してもまた、コロナだからと言ってドタキャンするんじゃないのか?

散々振り回した挙句、顔合わせなんて出来るのか?


以前のわたしなら、適当なことを言って誤魔化していたと思います。


ですが、

「偽った人生をまた、繰り返したくない!!」

「親の言うことに、いつまでも合わせる必要はない!!」


その思いで、心臓がバクバクになりながら、
頭で考えず、心の底の素直な気持ちを父に伝えた。


父は、自分の言いなりにならないと分かった途端、


「お前、何考えとるやー!!」


鬼の形相で怒鳴られました。
その後のことはあまり覚えていませんが、


「お前が、そこまでのやつだとは思わんかった」

「向こうに感化されたな」

「俺だって本当は、行きたくなかった」

そんなことを言ってたと思います。


最後に、

「出ていけー!!!!」

の言葉で実家を去りました。


逃げずに本気で向き合った結果、
相手から逃げるような態度をとってきたのです。


父は何も変わっていませんでした。
結局、自分のいいように支配したいだけ。


兄達の結婚の時も、そうでした。
皆同じように衝突していたのです。


いままで向き合おうとしなかったから、
わたしたち(息子)を通じて同じ試練をずっと繰り返していたのだと思います。


「なぜ衝突したのか?」

「何が悪かったのか?」

「子どもの意見を尊重していたのか?」


その本質に目を向けていれば、4度も起こることなんてありません。


わたしは、家族との関係が切れたことに後悔はしていません。

薄い関係なら、その程度だったとしか思いませんし、
濃ゆい関係なら、一度切れたとしてもこの先、またどこかで繋がるはずです。


そして、もうひとつ後悔しない理由として、
本当の自分の声を聞き、


 「変わりたい!!」


そう強く願い、覚悟を決めて問題と向き合った。

そして、過去のトラウマを乗り越え、


「もう、卒業(親元から)してもいいんだよ」

「君の周りには沢山の仲間がいる」

「生まれ変わったと思って、新たな人生を歩んでみたら」


不思議と、そんなメッセージを頂いている気がしました。


わたしは、「偽りのない本来の自分」を取り戻し、

新たな人生を歩み始めたのです。



初めから、敷かれているレールを進むことは簡単、

とても楽な道。

そこから、自分のレールを敷き、
新しい道に進むことは、とても「勇気」がいることです。


先が見えない、不安。

何が起こるかわからない、恐怖。

辛い道のりとなるでしょう。


ですが、その一線を超えなければ、人は成長しません。


わたしは、妻やご両親、心配してくれる友人、
そして、いま参加しているコミュニティ。


温かい光に触れることができ、
全ての人たちのお陰で、わたしは変わることができました。


このタイミングで出会えたご縁に、
本当に本当に感謝しています。


人は自分のためではなく、
誰かのために変わることができます。


わたしは、この人生で一番辛い体験があったからこそ、
人の痛みを知り、それと同時に人の温かさも知った。

人生において、無駄なことは何一つありません。
ただ、その答えを今は知らないだけ。

無理に答えを出す必要はありません。
時がくれば、その答えが全てわかり、
全てが繋がり、あなただけの物語となるでしょう。

最後までお読みいただき、
ありがとうございました。


読んでくださった皆様に、
いいご縁があることをお祈りしています。

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