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うみかなさんの魂のひかり

はじまるまえに

私はうみかな、といいます。今、私はTwitterで「ごきげんさん習慣」をつくる発信をしています。

なぜ、「ごきげんさん」でいることを大切にしているか、その大事な部分について今日はお話ししたいと思います。

私にとって、それはとても大切な思い出で、キラキラしたものです。自分だけのものとして、大切にしまっていました。

でも、やっぱり、伝えたい。

伝えなければ、と思ってサクラさんに物語にすることをお願いしました。

本当に、私にとって宝物のようなお話だから、大切なものを扱うように、丁寧に、やさしい気持ちで読んでほしいと思います。

では、始めます。


はじまり

指先で触れるとツンツンする短い髪の毛からつま先まで、大好きだった。

私の最初の記憶は客席から見た、彼の歌う姿だった。

レギュラーのラジオ番組を複数持ち、地元では有名な彼のグループも、彼の存在も知っていたけど、しっかりと私の目と心にとどまったのはその時が初めてだった。

いろいろなバンドやグループのライブに行くのが好きで、ショッピングモールのイベント広場で行われたフリーライブを、私は家族と一緒にたまたま見たのだ。

用意された客席の後ろから、ちょうど5メートルくらい離れたところ、私の目の前に彼が立っていた。メインボーカルは真ん中で、コーラスの彼はメインボーカルの右隣に立っていた。

ワンフレーズだけ、彼がメインで歌ったときがあって、そのワンフレーズだけなんだけれど、歌声も立ち姿もすごくきれいだった。

それから2ヶ月間は、ふとした時に彼のグループのイベントのポスターが目に入るようになったり、つけたラジオから彼のグループの曲が流れるようなことが続いた。彼のことを調べたら、妹と同い年だった。

学生の頃は、やりたいことを思い切り楽しんでいた。軽音楽部のバンドでベースとたまにボーカルを担当し、ステージの上に立っていた。ライブではバンドのメーンバーと、来てくれたお客さんとの一体感がたまらなくて、すごく楽しかった。

社会人になってからは、1時間半かかる会社と自宅との往復で、学生の頃のあのキラキラした感じがなくなってしまったなー、という毎日を送っていた。

キラキラのはじまり

彼のグループは月に一度、ライブを仕切るメンバーがローテーションで変わるときがある。彼の仕切りの月に、私は彼のラジオにメールで「ライブに行きますね!」と送ったら、その場で彼が読み上げ「待ってますよー」と言ってくれた。

約束通り、私はライブに行った。小さなライブハウスで、ライブが終わった後、演者がお客さん一人一人を見送ってくれた。小さすぎず、大きすぎず、というバンドは、ファンとの距離も近すぎず、遠すぎずで、ファンはある程度の距離までメンバーと仲良くなることができる。

私が彼に、ラジオのことを伝えると、彼も私のメールを覚えていてくれていたと話してくれた。

初めて会話をした感想は、かわいくて、格好良くて、しゃべれたのがうれしかった!

それからは週に1回、ライブに通った。会社の往復の他に、ライブが生活の中に入っていった感じ。そして彼も少しずつ、私をステージから見てくれるようになった。

手を振ってくれたり、ちらっと見てくれたりするのは嬉しい。

誕生日にシャツをプレゼントしたら、そのシャツを着てステージに立ってくれた。

ライブの行き帰りに、コンビニでばったり会うこともあって、帰りの駅まで一緒に歩くこともあった。ファンの一人だけれど、名前も顔も覚えてもらえるくらいに私たちの距離は近くなってきた。その頃には、ファンだけど、人として、男性として好きになっていた。


特別

きっかけのきっかけは、バレンタインなんだけど、

連絡先を交換して!

二人で会うことになった!

私の気持ちを知ったうえで、彼の方から連絡先を聞いてくれたのだ。

平日の夜に一緒に夜ご飯を食べることになった。

ステージから降りた場所で、一緒の時間を過ごすなんて、信じられないくらい、素敵で、ときめくことだと思う。

仕事帰りだけど、着ていく服はどうしよう、

可愛い服、ないなー、

髪型はどうしよう、とか、ムフフっと笑ってしまうくらい、素敵なお誘いだと思う。

散々迷って、薄いミントグリーンのトレーナーに、妹から借りたふわふわのスカートを合わせた。

この日のことも、いつだって、彼との記憶はけっこう、覚えている。

薄暗い照明のおしゃれなカフェだった。

すっごくドキドキして、息を吸ったり吐いたりが、うまくできなかった。

顔は、まともに見れなくて、ずっと彼の手を見ていた。

細くてきれいな手だった。

「手がきれいですね」って言った。

「そうですか?」って返ってきた。

一緒に食べたご飯も、美味しかったのかどうなのかもわからない。

でも、私の苦手なトマトを、とても自然にフォークで刺してパクッて食べてくれた。

トイレに行ったときに、ふーっと息を吐いて、鏡を見て、夢みたいだけど、今をリアルに生きていることを感じた。

その日の出来事は、一つ一つが特別で、ドキドキしながらもうれしいことが沢山あって、胸がきゅっと縮む感じ。

カフェの後は、スタバで閉店になるまでお話しした。

帰り道は駅まで一緒に歩いて、他の人に見られるとまずいから、という理由で、軽くバイバイして、私が先にJRの改札を通って彼は私鉄の改札へ消えた。

こうして私は彼にとって、大勢のファンのうちの一人から、

一人のファンとなって

ファンの中でも特別な一人になって

ステージ以外の場所でも会うようになった。

沢山の話をした。小さい頃、どんな子供だったのか、ご両親はどんな人なのか、飼っていた犬の話、私だけ、知っている話が増えてくる。

同じくらい、私の家族のこと、仕事のこと、学生の頃のことを彼は興味を持って聞いてくれた。

5ケ月後、ようやく私たちは付き合うことになった。

2週間に一度くらい、二人で会った。

海遊館へ行ったときはついでに、ショッピングモールにある恋愛の神社にも行った。

手をつないで「めっちゃ好きやねん」って二人で声を合わせて言うと開運するらしい。

そこで私たちは、照れながらも、初めて手をつないで

「めっちゃ好きやねん!」と言った。

その後も、ずっと手をつないでいてくれたのがうれしかった。

温かいもの

男の人は知ってるだろうか。

女の人は、大好きな人と、手をつないだり、胸と胸をぴったりくっつけて抱き合うと、ものすごく幸せを感じる。

私の場合、春の太陽のようなポカポカしたオレンジ色の安心感だ。

冷たい

4ケ月くらいかな、キラキラとした幸せな日々が続いたころ、少しずつ、彼の様子が変わっていった。

大好きだから、彼のちょっとした変化にはすぐに気が付いた。

笑わない時間がいつもより少し長くなるとか、夜、別れる時のあいさつがほんの少し、あっさりになったとか。

気のせいだと思いつつ、次に会った時は、もとに戻っているかなーって、期待する。でも、変わらない。一緒にいても、楽しそうじゃない。

少しづつ、少しづつ、

どんどん、どんどん、

彼の心が離れていく

認めるのが怖いけれど、離れていっている。

手もつながなくなってしまった。

手をつないだところで、春のポカポカした安心感を、その手はもう、与えてくれないことを私は知っていたから、私から彼に手を伸ばすことはしなかった。

私のこと、どう思ってる?

もう好きじゃなくなった?

聞きたいけど、怖すぎて聞けなかった。

だって、聞いたら終わりになりそうだもん。

願いにも似た気持ちで毎日、息を吸って、吐いて、生きるのが精一杯。


そんな毎日に区切りをつけてくれたのは、彼だった。

そして、彼の言葉で、救われるどころか、私は更に深い苦しみの日々を味わうことになる。


もう、好きじゃなくなったって。

手もつなげない、だって。

でも、

人として好きだから、今まで通り会いたい、

だって。


自分にいけないところがあったのか、どうすれば良かったのか、

聞けなかった。


好きじゃなくなったのに、人として好きだから、

今まで通り会うって、一体何なんだろう。

高くて深い

本当に人を好きになると、

ここまでだと思っていた幸せの

はるか上の喜びを与えてくれる。

その喜びが、広くて、高くて、明るくて、甘くて、満ちていればいるほど

うまくいかない時の

痛みや苦しみは深くて、暗くて、重い。


こんなに痛くて苦しいのは、生まれて初めてだ。


涙は放っておくと、どんどん出てくる。

声に出して泣くときもあれば、ふとした時に涙がでてくるときもある。

目も頭も痛いけど、胸も本当に痛くなる。


私は、今も、全開で彼が好きだ。

自分から終わりにすることはできない。

全開で好きだから、人として好きって言葉にすがるしかない。


いつかまた、女性として好きになる可能性に希望を持つしかないのだ。


Google

検索魔になっていた。

彼氏 友達に戻る 復縁

女性としてみれない 心理 彼氏

距離をおく 復縁 体験談

自分に似た状況の体験談を検索したり、

休日に会った時の彼の様子から、どんな心理状態なのかを検索したり、

往復3時間の通勤時間や、時間があるときはずっと、Googleで検索していた。

自分の心がジンジンと痛くて苦しい。

検索して記事を読んでいる間は、その痛みが紛れるから、検索をやめられなかった。

恋愛で苦しい思いをしている人は私だけではない。そして、その苦しさにつけ込むように、ほとんどの記事には「復縁方法を教えます」、「復縁率○%、まずは無料相談から」といった誘い文句が最後についていた。

ギトギトして、怪しい。

怪しい匂いがする。

でも、一人で抱えるには辛すぎる。

そんな思いから、私はとあるブログのメルマガを登録して、送られてくる講座の誘いにのることとなった。

そのブログは他の記事と少し違っていた。男性をいかに喜ばせ、気を引くか、という視点で書かれる記事が多い中、そのブログは視点が違っていた。

例えば、高収入の男性との交際を望む相談者に対して、そもそも「自分に何かが足りないと思っている」という指摘からはじまり、いかに自分を人として一つ上のステージに上げるか、その先で恵まれる出会いについて書いてある。よその記事とは少し変わった視点が気になり、メルマガを登録したのだ。

お茶会

月に一度、お茶会があって、講座の受講生が集まり、近況報告をする。

それは大阪の楠葉にあるお茶屋さんで行われる。

入り口を入るとたたきがあって、そこで靴を脱ぐ。

つるつると光る床を歩いて奥の座敷に入る。

煎茶や中国のお茶とお茶菓子を飲みながら、最近起きた出来事や、そこで感じたことを順番にシェアしていく、そういうお茶会だ。

お茶とは、心を静かにして、その香りを楽しんだりするものらしいけれど、あの頃は、無感覚で、お茶の香りをかいでも何も感じなかった。

私は彼に誘われれば会う、という関係を続けながら、お茶会にも参加していた。

1年以上、彼と会っては、彼の冷めた気持ちを感じ、変わらない現状に悲しみ、どうすれば、自分へ気持ちを向けてくれるのか、一人で悩み続けていた。

思えば1年以上、私は幸せを感じずに生きてきた。

それは、本当に辛い毎日だった。

お茶会でも、ずっと自分の悩みを打ち明けられずにいた。

ようやく1年後、話を振られた時に、ずっと一人で抱えてきた悩みを打ち明けた。

話しながら涙が出た。泣きながら自分の現状と苦しい気持ちを話した。


別にええやん

へ?

と思った。

「別にええやん、人として好きなら」

そう言ったのは、お茶屋さんの店長、こがさんだった。

たまたま、私が話しているその場に、店長が居合わせたのだ。

店長は、一言話すだけで、明晰さが伝わる方だ。短い髪に涼しげな眼を真っすぐに向けて、澄んだ低い声で話をしてくれた。

人の気持ちなんて、変えられない。

変えられるのは、自分の気持ち。

彼と一緒にいれる今の状況の、何が悪いの?

その状況を楽しめばええやん。

自分が楽しんだらええんよ。


衝撃だった。


今まで、彼の気持ちしか考えてこなかった。

彼の気持ちが変われば、自分が幸せになれると思っていた。

彼に自分を幸せにしてもらおうと私は思っていたのだ。


違った。


自分だ。

自分が幸せになれば良かったんだ。

彼に自分の幸せを頼りすぎていた。


店長の話を聞いて、また私は号泣した。


楽しむ

彼に誘われたら、その状況を楽しむことに集中した。

食べたご飯、

カフェラテ、

目にしたきれいなもの、

面白い出来事、

自分が楽しまなきゃ、と思って

自分の楽しんでいる姿を見せなきゃ、と思って

ある意味、必死に楽しんで

私は笑うようになった。


そしたら

あれだけ変わらなかった彼が

私を見て

笑うようになって

私と一緒に笑うようになった。

彼の気持ちが温かくなってきて

私たちは前のような関係に戻ったのだ。


元通りになっても、私は自分が楽しむことを優先した。

私たちは、前と同じような恋人ではない。

お互いに1年間以上、いろんな思いを経験し、その思いを消化してきたのだ。

彼のグループは、リーダーが脱退し、一年後、解散することになった。彼は個人として活動することになる。

グループとしての知名度や力に頼らず、一人でこれからは音楽を続けるという決断を彼はしていた。

大きな決断だったと思う。


グループが解散してからは、人目を気にせずに私たちは会えるようになった。

そして私たちは、新しい一歩を踏み出す。


別れ

沢山話し合って、別れよう。

そんな結論になった。

彼がしたいことは、音楽活動に打ち込むこと

私は彼とは結婚しないと思っていた。

結婚しないなら、別れるなら今だ。

もっと好きになる前に、

別れが辛くなる前に、別れよう。


自分の幸せと、相手の幸せを考えて出した結論は

別れることだった。

変な話だけど、10月の頭に別れると決めて、残りの一ヶ月は2人でやり残すことが無いよう、思いっきり2人の時間を楽しむことにした。

2人で行きたかったところ、

2人で食べたかったもの、

2人で見たかったもの、

計画を立てて楽しんだ。

本当に好きだったから、すごく楽しかった。

けれど、楽しい一日が終わるころ、また一日、別れが近づいたことを実感して、私は泣いた。彼も上を向いて鼻をすすっていた。

一緒にいられる時間が日に日に少なくなっていく。

最後の3日間は、台湾に旅行に行った。

飛行機に乗って彼とずっと行きたかった海外旅行に行ったのだ。

台北や九份、小籠包や台湾スイーツ。

思いっきり、楽しんだ。

帰国前日の最後の日は、猫空に行った。

小高い山にロープーウェイで登ると、落ち着いたただずまいのお茶屋さんがある。山肌は茶畑になっていて、吸い込む空気も澄んでいる。

そこでお茶を楽しんで、日が暮れるころ、ロープーウェイ乗り場に向かった。

歩きながら、はじめて今までのことをポツリ、ポツリと話した。

いったん距離をおこうと言った時、グループ内がゴタゴタしていて、彼自身が大変だったこと。

それでも、私のために時間を作って会ってくれていたこと。

私のことも、ずっと思っていてくれたこと。

人として好きと言っていた時は、どんな気持ちでいたのか。

私も、自分で伝えることができなかった気持ちを伝えた。

私たちがのったゴンドラには、他のお客さんはいなくて、2人だけだった。

足元が透明な板になっていて、台北市の夜景がキラキラしていた。

ゴンドラが、終点に着いてしまうと、私たちも終わりになってしまうようで、

その時間が、大切で、大事にしたくて、

終わるのがもったいなくて

私は泣いてしまった。


彼も声を出して泣いていた。

2人で泣いた。


行く時は、登りで時間がかかったのに

帰るときは、あっという間の気がした。

キラキラした夜景が見えるゴンドラで泣きながら最後の思い出を作った。

ゴンドラが着いて、降りる頃には、2人ともスッキリしていて

夕飯、何食べよっか?って相談した。


日本に帰国して、私たちは、終わりになった。


人を本当に好きになったから、私はものすごい幸せを感じることができた。

そして、同じくらい深い苦しみも味わうことができた。

そして、その苦しみの中で

人に幸せにしてもらうのではなくて

自分が幸せになることを学んだ。


ともくん、

たくさんの、幸せと、苦しさと、

大きな学びを

ありがとう。


おわりに

今、私は「ごきげんさん」になれる習慣作りについて発信しています。

「ごきげんさん」でいることの大切さは、彼から学んだことです。

「ごきげんさん」でいることで、自分だけでなく、周りの人も「ごきげんさん」にすることができます。

「ごきげんさん」でいることは、簡単。でも深い。

常に自分の機嫌を伺わなければいけません。

それは、自分の本当の気持ちと向き合うことでもあります。

一時的に心が楽になるような、安易な選択は「ごきげんさん」につながりません。

私も未だに、「ごきげんさん」になれないときや選択が間違っているときがあります。そんな時は、仲間が相談にのってくれたり、時には厳しくしかってくれたりします。

私は、あなたも仲間に加わって、一緒に「ごきげんさん」習慣を実践してもらえたらなと思っています。

自分だけでなく、周りの大切な人の幸せも引き寄せて、世界がどんどん「ごきげんさん」で明るくなる、素敵な習慣を一緒に作りませんか。


うみかなさんのTwitter

うみかなさんのインスタグラム

こがさんのいるお茶屋さん、茶肆 ゆにわ


以上、うみかなさんの魂のひかりでした。うみかなさん、ありがとうございました!

あとがき

うみかなさんは、とてもきれいな心を持った方でした。

昔は暗かったんですよ、と彼女は言いました。そんな過去は本当にあったのだろうかと疑うくらい

彼女はキラキラしていて、明るくて、声も可愛いです。

そんなうみかなさんが語るストーリーは、本当に素敵で、

私は久しぶりに恋愛した時の、

ふわふわ浮いてる感じ、

甘くて溶けたバターになったような感覚、

胸がえぐられて痛くて泣いた記憶、

首が引きちぎれるほど過去に固執した記憶、

感謝に昇華して前に進んだ時の気持ちをそのまんま思い出しました。

なんにせよ、誰かを全身全霊で好きになることって、とても素敵なこと。

ハッピーエンドよりも、バッドエンドの方が更に得るものがあって、むしろラッキーなのかもしれませんね。


はじめて恋愛についての物語を書きました。

うみかなさんのきれいな心がそのまま文章に載るように、俗っぽい三文・恋愛小説にならないように、慎重に言葉を選びながら書いてみました。

よかったら、感想をお聞かせくださいね。

そして、いつもリツイートありがとうございます。

たくさんの方がこの物語に出会い、ご自身のきれいな心と対面されますように。

ご縁に感謝いたします。





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