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リーディング小説「生む女~茶々ってば~」第二十五話 私を抱きなさい

私を抱きなさい

大阪城の外堀を埋める工事が始まった。
ところが工事が始まると外堀だけでなく三の丸、二の丸と、どんどん城に向かって、堀を埋めていくではないか!
これで大阪城は、丸裸だ。
その知らせを聞いた私は怒りのあまり、わなわなと震えた。すぐに抗議の使者を送り、家康に不服を申し立てたがみごとにスルーされた。
そして工事が終わると、難攻不落と言われた大阪城は攻められても何の手立ても打てない哀れな城になった。

私は身体中の力が抜け、その場に座り込んだ。これでは次に戦があった時、城にこもって闘うのはもう無理だ。家康は私達の首に刃をかける寸前だ、そう思うと、これまで感じたことのない不安と怖れがやってきた。この日から私は眠れなくなった。

家康は非情な男だ。
孫娘が嫁いだ先であっても、徳川の天下安泰のためなら切り捨てるだろう。
身内の情に流されず、冷静に家の繁栄を望む。
伯父信長に言われ、自分の妻子も殺めた男だ。
徳川幕府安泰のためなら、後にもめごとになる芽を自分が元気な内に摘んでおく。それはかつて秀吉が甥の秀次を殺したのと同じだ。結局、そんな男でなければ天下は取れない、という事か。

私はそばにいる息子の秀頼を見た。彼の白い顔は青白くなり、幾分痩せたように見える。彼も夜眠れていないのだろう。そんな彼らに比べ、秀頼は優しすぎる。秀頼にわからないよう、私はそっとため息をついた。
秀吉がの天下を取った時期に生まれた彼は、戦国の血で血を洗うようなむごたらしい戦を知らない。
平和な世であれば、彼はとてもいい天下人になっただろう。
秀頼は秀吉から人心を把握する方法も、戦の方法も何も学べなかった。そんな時間はなかった。
成長していく秀頼が目にしたのは、徳川に対してプライドを持ち、耐え続ける私や家臣の姿だった。
彼は領地が少なくなっても平和に、千姫とおだやかな生活を望んでいた。

だが彼はその思いを通せなかった。私や治長をはじめとする家臣たちの思いを背負い、徳川と戦うことになったからだ。
そんな彼にすべてを背負わすのは酷だ、とわかっている。
わかってるが、家康に殺されるかもしれないのだから、自分の命を守るために戦うしかない。

私の母上が戦っていたように。伯父上が戦っていたように。
そうだ、この子には浅井だけでなく織田の血も流れているのだから。だからきっと大丈夫、そう自分に言い聞かせながら、私は秀頼に向かい力強くうなづいた

それからほんのわずかな間、おだやかな時間が流れた。
神様がつかの間、最後の猶予をくれたようなあたたかい時間だった。
私はこの時期、秀頼と千姫を会いたいだけ会わせてやった。
二人でいる時間も、そう長くないことを知っていたから、秀頼の願いを叶えてやりたかった。
これが私にできる最後のことだとわかっていた。
だから秀頼を笑顔にさせてやりたかったのだ。

私は二人が仲良く手を取り合い笑い合い、話すのを見ていた。千姫に対するドロドロした気持ちもすべて手放した。彼らの姿は、ただただ微笑ましかった。
私は寧々に約束したように、千姫を家康の元に返すことをもう決めていた。だからこそ、秀頼と仲睦まじく嬉しそうな千姫を見ても心がざわつかなかった。ひどい女だ、私は。そう自分を自嘲しながらふっ、と笑った。

そして治長は丸裸になった大阪城の堀の一部を掘り返し、大量の兵糧米を運び、兵を募った。
それを知った家康は即座に
「大阪城をすぐに出て地方に行くか、城内にいる兵をみな辞めさせるか、どちらかを選ぶように。」
といってきた。

そんな条件を受け入れられるはずもなく、治長は和睦するために向かったが、途中で闇討ちに合い負傷した。
幸い命まで取られることはなかったが、これで徳川との争いは避けられなくなった。流れはまっすぐ徳川との戦に向かっていた。その流れはもう止められない。

こうして大阪夏の陣が始まった。
だがほとんどの大名たちは、徳川が幕府を開き世襲制になったため、世の流れは徳川になっているのを知っていた。
今さら豊臣に加勢したところで、負け戦になるだけだとわかっていたので、誰も秀頼の方につかなかった。
大阪城を丸裸にされた上、味方になる大名もいず、この戦いの先は見えていた。それでも血を流し続けねばならない。私達はまるで死に場所を求めるように戦に向かっていた。

治長は使者となり、千姫を第二代将軍になった父親の秀忠のもとに送った。その際、彼は
「私は切腹するので、秀頼様と淀様のお命だけはお助け下さい」
と嘆願した。
千姫もそれを切に願い、父親に頭を下げた。
だがその願いは退けられた。彼は命をかけ、自分の息子を守ろうとした。だがその願いは叶わなかった。

万策尽き、治長は戻ってきた。
秀頼に伝える前、彼はひっそり夜更けに私の元にやってきた。そしてうつむいたまま私に頭を下げた。

「淀様、申し訳ございませぬ。
私の命など、なんの価値もないことでございました」

私は心を切られる思いで治長を見た。彼も眠れていないのだろう。やつれている様子だった。

「何を言う、治長。
お前は本当に、よくやってくれた。
お前がいたから、豊臣はここまで持ちこたえられたのだ。
感謝しています。
私も、秀頼も」

「そうでしょうか?
秀頼様は、本当にこれでよかったのでしょうか?
あの方は戦など望んでいなかった。
もっとおだやかに千姫様とひっそり暮らしたかったのではありませんか?
私が無理やり戦に巻き込んでしまった・・・
大切な秀頼様を・・・」

そう言うと治長は、拳を膝に打ち付け泣いていた。
思わず私は立ちあがり、治長に抱きついた。

「治長、もう何も言わないで。
こうなるしかなかった。
豊臣はもう滅んでいくしかなかった。
誰も止められない、時流の流れだった。
だから、もうこれ以上自分を責めるのは止めて。
自分を責めても、何も変わらないわ!」

そして彼のけがをした腕のあたりをそっと撫で、治長の耳元でささやいた。

「私を抱きなさい」

治長は、ハッ!と目を見開き、聞き間違いか?!とでも言うように私の顔を凝視した。そして私がうなづくのを確認すると、いきなり私を抱き寄せ、荒々しく口づけした。

「愛しています。
愛しています。
あなただけを。
茶々・・・」

初めて、彼が私の名を呼び捨てにした。

「治長、ありがとう。
あなたのおかげよ。
ありがとう」

彼の頭を撫でながら治長にほうびを与えるように、私自身を与えた。
私達はこれが最後の契りになることを知っていた。

久しぶりの治長の愛撫に、すぐに身体が濡れ開いた。
そこに治長が入ってきた時、私は頭が真っ白になった。
もう何も考えられなかった。
そこには愛だけがあった。
そして、ある言葉を口に出した。

治長は聞こえたのか聞こえなかったのか、その言葉をスルーしたまま激しく私を衝き続け、果てた。
「ありがとう・・・」
力尽きた私達はそのまま横たわり、私は彼を抱き寄せ最後にもう一度、治長に伝えた。

治長は着物を整え、私を起き上がらせた。そしてじっと私を見つめた。

「私は最後まで、あなたのそばにいます。
あなたと秀頼様のそばに。
最後まで、あなた達お二人をお守りします」

そう言うと頭を下げ、部屋を出て行った。
私はついに口に出してしまった。
それは死ぬまで心に秘めていよう、と思った言葉だった。
私は自分の口を両手で覆い、泣いた。

こみ上げる嗚咽を止められなかった。

私は長い間ずっと、認められなかった自分の本心を知った。肩を震わせ泣いた。悲しいから泣くのか、自分の本当の気持ちがわかって嬉しいから泣くのか、わからない。やがて私は声を出して泣いた。父が亡くなっても母が亡くなっても、こんなに泣いたことがない。生まれて初めて、感情がこみ上げるまま泣いた。

それは私が初めて、自分の心のふたを開いた瞬間だった。

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