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日記でくつろぐ。

私は主婦であり、母親でもあります。
37歳、結婚12年目。

これを読んでる皆さんは
自分の中で"ネガティブな感情"がわいたらどうしてますか?? 

私はというと、日記を書いています。

たとえば、仕事でミスをした時
『あぁ〜またやっちゃった…気をつけやなって思ってたのになんでまたやっちゃったんやろ…』
(めっちゃ大阪弁のリアル自分)

たとえば、子供の学校へいく時
『あの人に会いたくないな〜…っていうかもう学校に行きたくないなー…(1時間もない授業参観ですが)立ってんのもしんどいんよなー…教室何階か忘れたし…(ただの大ボケ)』

もっと言えば、人への文句で頭の中いっぱいとか普通にありませんか?笑

『あの人って自分のことは棚にあげて他人の悪口言いまくるけど、どんだけ自分に自信あるんやろ。性格の悪さ顔に出てますけど?』
…なんて思ったりなんかして(´-`).。oO

人生でしばしば自分の中でひとりでに溢れ出る黒い声もありますが、どれもこれもそれはナチュラルな本音。

いたって普通に本音だけども、

悪口や何かが出来なかったこと=ネガティブなこと
ネガティブ=ダメなこと
ダメなこと=排除すべきもの


こんな方程式が私の脳みそには染み付いていて、日記を書けば書くほど、『私の性格、やばくない…?』というような状態に…。


ネガティブな私=私の子供という意識

自分のネガティブな部分を嫌ってなくそうとすることは、自分のポジティブな面しか"自分"と認めないということ??

ふとそんな考えが頭をよぎりました。

同じ自分なのに、良い面は認めて、悪い面は切り離そうとしてる…。どんな部分も私自身やのに…!

それはまるで頑張れないよ〜辛いよ〜と思いのままに話すわが子の声を無視する行為。

そんな風に解釈した私は、どんな自分も自分だと受け止めていこうと決めました。

わたしの中の小さな子が安心できるよう
大人の私はとにかく無視せず、話を聞く。

わたしの中の小さな子が
家の中(自分の中)でゆっくりくつろげるようになるには、大人の私がその環境を作ってあげないと実現しないんだよな。

躾よりも、よほど大事なように思います。


くつろぐ=日記を書くことになった


とにかく思ってること・感じてることを思いつくままに書く。

『思っちゃダメなことはないよ。
なんでも書いて大丈夫だよ。』

そんな言葉を書くまえにさらっと唱えます。
この言葉は何度でもくり返さないと気付いたら書いてて自己嫌悪でいっぱい、なんて状態に。

醜い自分が出てきたとしても何も心配しなくていい。
人は案外ふつうに他人に対して残酷な本音を持ってるものだと思ってます。
大なり小なり。

日記に書くということは、
人に受け入れられるかどうかを心配するというデメリットを完全になくすことができます。

だから、どんな自分で在っても大丈夫。
キャラクターみたいなものを作る必要はない。
否定する人は、そこには誰もいないのだから。


終わりに

まだ始まったばかりの私の日記。
7ヶ月くらいです。

日記を書くと心が落ち着く。
そんな心やすらぐ時間を時折持ちながら、日常を送っています。
これが自分を大切にする方法になりました。

あなたは自分の内なる声を、叫びを…
最近聞いていますか?






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