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『きみにかわれるまえに』にみるペットの飼い主の語りの変容

カレー沢薫『きみにかわれるまえに』よかった。すごく、すごく、よかった。

ペット飼育にまつわるオムニバス作品。独特な絵柄のシュールなギャクマンガが中心だった作者の新境地と評価されていますが、小ネタやキャラクターは引き続きクスッとさせられる感じです。「NPO猫を捨てる奴を地獄の業火で焼く会」とか。「怒りのデス保護猫ロードハウス」とか。いいですね。そして泣かせるストーリー。

さらに同作品で興味深いのは、ペット飼育による飼い主のライフストーリーの語りの変容が描かれている点です。

ペットの飼育についての語りについて、ある論文があります(加藤, 2011)。その論文では、介護保険制度を利用し支援や介護を必要とする高齢者7名を対象に、ペットの飼育をめぐる「語り」を分析しています。

7名からは共通してペットへの愛着や情緒的結びつきが語られました。「家族(の一員)」あるいは「子供」という表現が見られたとしています。人はペットから精神的な支援(情緒的ソーシャルサポート)を受け取っていることがわかります。

しかしこれは、一般的によく語られる、ごくありふれた「モデル・ストーリー」の一つであると、その論文の著者は述べています。

実際、聞き取り調査からは、それぞれの個人としての「固有性」が強くある語りも示されました。そこで興味深いのは、高齢者がしばしば、自身や家族のこれまでの生活の老い・病い・死に対する不安など、人生に関する一端を語った(ライフストーリー)という点です。

「私は(病気になってから)親しい人とも会いたくなかった。(今のようになったのは)ミーちゃんのおかげ。」このように、Cさんは、ペットの猫に関する内容と、自身の病いに関するものとが、複雑に関連づけられた語りを示した。特に、「猫がいるから、今の自分になれた」「もし、猫がいなくなったら、昔の自分に戻ってしまいそう」など、猫の存在と、今の自分のあり方との関係が、密接に関連づけられて語られた。(加藤,2011; p.25)

そして同研究では、ペット飼育をめぐる語りは、ライフストーリーを再構築する重要な役割を担っているのではないかとしています。

このことは、社会学者のベックが、個人化が進んだ脱近代の社会で、諸個人が自分のアイデンティティ、生活史、恋愛関係・生活関係・雇用関係生活史の「日曜大工」となる、と述べたこととオーバーラップします(Beck,2011)。こうすればよい、これは絶対的な価値観や社会制度、というものがなくなったなかで、ひとりひとりが自分のライフストーリーを繰り返し繰り返し作り上げなければならなくなる社会、ということですね(ギデンズの言い方だと再帰的な自己観、かな)。

こうした視点は、この漫画の各話からも見られます。登場人物たちは、ペット(の飼育)を通じて自分の人生を振り返るのです。自分と、家族や周りの人との関係性を振り返るのです。

例えばある主人公は死の間際に、自分が猫の世話に集中できたのは家族が自分を世話してくれていたからであること。そして、猫を世話することで、自分も家族に対して変に意固地にならずに、素直に頼ることができていたことに気づきます。そして猫との別れ(自分の死)も、自身なりの納得をして迎えるのですが…最後に泣かせるどんでん返しありな、お話になっています。

「お前はババアが死んで立ち上がれなくなった俺を立たせてくれたし 俺が倒れたらお前はどうなるんだって思ったから あいつらの前でつまらない意地を張らずに済んだ」「世界一かわいいだけでいいのに 俺をこんなに助けてくれて お前と別れるのが辛くてたまらねえよ」(カレー沢薫『きみにかわれるまえに』第3戒

この漫画は完結していますが、同じくカレー沢先生の『ひとりでしにたい』も超超おすすめです。そちらは独身アラフォー女性の「終活」の話になっています。あとカレー沢先生のエッセイもすっごく面白いですよ。


(参考論文)
加藤謙介. (2011). 地域における要支援・要介護高齢者のペット飼育に関する意義と課題--ナラティヴ・アプローチの視点から. 九州保健福祉大学研究紀要, (12), 21–29.

Beck, U. (2011). リスク社会における家族と社会保障. In ベックウルリッヒ, 鈴木宗徳, & 伊藤美登里 (Eds.), リスク化する日本社会:ウルリッヒ・ベックとの対話 (pp. 73–87). 岩波書店.


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