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【話】カード売り場駅のバイト

家から自転車で行ける距離に、カード売り場駅があった。

毎月1回、わたしの家の近くの線路を、青や赤に塗られた電車が爆速で通過していくのを見ながら育った。幼いころは、そのときが来るとお母さんに「ガタンゴトン来るよ」と言われて、お父さんにベランダで抱っこしてもらって、一向に止まる気配のないその電車を3人で見ていた。
たまに新幹線やリニアが在来線の線路を走ることがあって、それを見たお父さんは「強いな~」と、よくわからない感想を言ってたっけ。

ときおり化け物に周囲を荒らされることもあったし、あるときは「社長が到着します! みんなで大歓迎しましょう!」という回覧板が回ってくることもあったし、そのつど援助金という名目でお金を納付させられることもあったけど、わたしはこのまちが好きだった。
そんな地元にある駅に、たまには電車が止まる。聞けばそこは、カード売り場駅といって、鉄道会社の社長さんが立ち寄ることの多い駅だという。社長自ら足で稼ぐ。わたしは、顔を見たこともない社長さんの、そんな働き方を尊敬していた。
カード売り場駅は家から近い、自転車で行ける場所だった。大学生になったわたしは、そこでのバイトを始めることにした。

「まぁ、売ってるカードは7種類しかないから、ちゃんと覚えといて。ダイヤ改正……は数十年後だし、もう社会人になってるころだろうからいいや」
オーナーから手渡されたリストを見る。
「え? 2000万……えっ、さっ……さ、3億円!?」
「うちはそんなにいいモノ置いてないからね。本州の真ん中にあるってだけでやってるから」
「いやオーナー、これ、え? この特急周遊……って、3億円って、なんですか?」
「特急で何回か移動できるってカード」
「定期券ってことですか? 3万円の間違いじゃないんですか?」
「あー、昔あったんだけどね、特急定期券カード。7億だったかな」
「7億!? 宝くじ1等くらいじゃないですか!?」
「宝くじ1等は100億くらいだよ」
「ひゃ……」
くらくらしてきた。
ここがどういうお店なのかは聞いたけど、高価すぎるカードの名前たちに見覚えはとうぜんない。あ、でもイエローカードはわかる。サッカーの?

「社長は月1回、来るか来ないかだから。心配しなくていいよ」……とオーナーに言われても不安は不安だったし、初めて出勤したその日、さっそくお客さんは来た。若い見た目の人で、この人が社長さんなのかと驚く。スーツ姿の向こう側、ホームに停車しているのは、昔ベランダから遠くに見えていた真っ青の電車だった。いや、これSLかな? 何?
ともあれきっと、今から莫大なお金が動くことになる。負けないぞ。
社長さんは、わたしの目を見て言った。
「すいません徳政令カード7枚ください」
「あっ……えっ、7枚」
「はい」
「……はい」
徳政令カードは無料なのでもうぜんぜんTAKE FREEでフリーペーパーみたく置いておいてもいいと思うけど、一応、1枚ずつ、0円のやり取りをして、社長さんは去っていった。
「……え……」
これだけだった。これだけだったけど、疲れた……。
1ヶ月ずっとホームに止まっていたその電車(SL?)は、翌月、一瞬でヘリコプターに姿を変えて、線路上から飛び去っていった。
ほんとうに何?

3年はあっという間だった。
わたしは大学4年生になり、大阪・天保山にある映画ランドジャパンの内定をもらっていた。自分の夢を叶えるために、もうすぐこのカード売り場のバイトを辞めることになる。
いろんなことがあった。
数億円の現金のやり取りもとうとう慣れてしまった。「3億でーす」と、ありえない応対をたくさんした。
秋ごろにたくさん売れるから、わたしはイエローカードを秋冬物と呼んでいた。
流石にとりかえしカードを持ってこられたときは大慌てだった。オーナーが出てきて「おやおや」と呑気に言ったときにはちょっとキレそうになった。売却価格の20万円を渡す場面で一瞬「安っ」と思ってしまったとき、わたしはわたしのどこかがバグっていると自覚した。月給より高いじゃん。

映画ランドジャパンは、ある鉄道会社の傘下にあった。
その会社の社長こそ、わたしが初めて出勤したときに無料のカードを買えるだけ買った(もとい、持てるだけ持った)、あのひとだった。
日本全国を回って、回って、回って、お金を動かして、動かして、動かして、天保山の施設をすべて手に入れたんだと、このまえ自慢げに話していた。そのひとに、いつものように特急周遊カードを売ったんだった。「応援してます」、って、いつもは言わないことを言ったりして。

「オーナー、今までありがとうございました」
「がんばって。すみよい日本をつくるために」
「……はいっ」
今からわたしの番だ。

4月。
わたしが正社員になったその月に突如、映画ランドジャパンの子会社状態が解消されて、買い手は不在となった。
親会社であった鉄道会社は、数ヶ月前にライバル企業からなすりつけられた貧乏神の悪行に苛まれ、借金を負わされ、先ごろついにすべての資産を手放したという。7枚あった徳政令カードも、もうとっくの昔にすべてなくなったらしい。
新入社員研修に向かう途中で見えた景色は、すべてが紫色に染められた、地獄のような風景だった。

列車はきょうも、月1ペースで走る。

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