土下座の理由は
◆ミキとの出会い
ミキは中学2年で施設にやってきた。両親は幼いころに離婚、母は夫を3度もかえ、転居が多かった。新しい義父との家庭となるたび、気をつかう窮屈な思いを繰り返した。
だからミキは転校に次ぐ転校で、なかなか友達ができなかった。また、弟が障害を持っていたため、母は弟にかかりきりとなり、ミキにはあまり手をかけてこなかった。ミキの心は幼いころから孤独だった。
保育園では落ち着かない子と言われ、小学校ではいじめを受けた。学校も家庭に相談を持ちかけていたものの、母は弟のことで手いっぱいだった。家も、学校も辛くなっていった。
小学高学年のころから、ミキはネットの世界で出会った10も20も上の年齢の男性に刹那的な癒しを求めた。体の関係も多くなった。時には無理やり。それでも家や学校にない温もりを求めた。自分を受け入れてくれる瞬間を求めた。
学校にもあまり行かなくなり、家に帰ると母親に暴力をふるい、内縁の男性に反発し、たまに学校に行くとあからさまに反発するようになった。周囲から完全に愛想をつかされ、浮いていった。
◆本当はすごく不安だった
小6になった頃から児童相談所に相談され、一時保護もされることがあった。やがて施設に入所の運びとなった。
そんなミキだったが、家から分断されるという現実に直面した時、寂しさや不安が一気に高まり、施設入所の窓口で家に帰りたいとひどく駄々をこね出し、生活する寮へ移動しようとせず固まってしまった。母、出身校の先生たち、児童相談所をはじめとする関係者も、その状態のままのミキを残して帰るわけにもいかず、困り果てた。
そんな中、寮母(私の妻)が、しばらくお風呂も一緒に入り、夜は怖くないよう添い寝もするという条件を出した。何とか了解し、第一日目を迎えることとなった。13歳、やはりまだまだ子どもなのだ。
ところがその晩、就寝間際に、当時1歳の私の子どもが高熱を出していることが分かった。わが子が寝付くまで寮母(妻)が、ミキのところに添い寝にいけなくなった。
私はミキに
「申し訳ないけど、せめて子どもが寝付くまで部屋で待っててくれへん?」
といった。
ミキはひどく不機嫌な顔をして、『私はイラついてる!』とアピールするように、他の寝ている児童のことも考えず、大きな足音を立て、部屋に戻っていった。しかし、『まだですか』と何度も事務室を訪れた。そのようなやり取りを繰り返した。
いくら初日で不安だとはいえ、あまりに横暴でわがままな振る舞いに、他の児童たちの苛立ちも限界に達していたので、私が
「今日はもしかしたら無理かもしれんけど子どもも小さいし、他の子も寝てるから我慢してくれへん?」
といった。
すると、ミキが目をむいて
「約束が違うやん!・・・私がどんな思いでここに入ること受け入れたと思ってるん?・・・それでも職員?おかしいんちゃいます?部屋に来るとか嘘やんか!謝って!土下座して謝ってくださいよ!」
と大声でまくし立てた。
あまりのわがままに、わたしはとっさに手が出そうになった。怒りで体が震えた。
◆子どもたちと向き合うということ
私は心の中でこう叫んだ
『こんな時間(夜中)に、まだ1歳の子どもの看病をすることがおかしい?はあ?そもそも添い寝の提案も、わがままを言うお前を気遣っただけのことやないか。なんでそのくらいのことわかれへんねん。他の子らも大きな文句の声とか、足音にイライラしてんねん。土下座?誰に言うてんねん。どこまで自己中やねん。しばいたろか!!』
しかし、ふと思った。この子は何故こんな理不尽なことまで言えるのか。
ありえない程人を傷つけることを言ってしまえるほど、辛い扱いを受けてきたんじゃないのか。人のことを思いやる心の余裕などないのではないか・・・
自分自身に問いかけた。
『俺はなんで非行少年たちと一緒に生活しようと思ったんや?その子らのそうした気持ちにに寄り添うためやろ。ここで今日来たばっかりのこの子に、「今のはおかしい!」と説教たれたり怒ったりしても、この子にしてみたら、結局この人も今まで出会った大人たちと変わらんと思うだけやないか。この子に絶対俺に出会ってよかったって思わせたる!』
そこまで考えたとき、私は土下座していた。
「ごめんな。子ども(息子)が寝付いたら必ず部屋に来るよう言っとくから、辛抱してな。」
ミキの顔は少し戸惑ったように見えた。明らかに唇は震え、しどろもどろにこう言った。
「・・・約束やで!」
部屋に戻っていった。怒りをぶつけるところを見失い、語気を強めるのが精一杯といった様子だった。
その後もミキは、施設生活でわがままを出しては周囲と衝突を繰り返した。時には、衝突から学ぶこともあった。成長も見られた。しかし、わがままは大きくは変わらず、いつも周囲からは嫌われた。厄介なことに、嫌われてはその原因を周囲のせいにした。トラブルが耐えなかった。
◆ミキとの別れ
そんなミキが施設生活途中で家庭引き取りとなった(普通、児童自立支援施設は中3卒業時点までいることが多い)。それなりの期間、ともに暮らしてきたので、少しは寂しさも感じてくれるかと思ったが、意気揚々と退院していった。
ところが
退院してからというもの、毎日連絡がきた。母との関係、学校のこと、新しくできた彼氏の話。時には、特に用もなしに。
次第に生活は乱れていった。朝方酔っぱらって架けてくることもあった。自分を自分でコントロールできないことも自覚していた。
本人に内緒で母からの相談もあった。ミキとどう接してよいかと悩んでいたが、結局ミキのことを遠ざける内縁の夫との関係を優先してしまうのだった。女性としての母の苦しみだった。離婚を経て新しい彼(ひと)と出会った母親の場合、「母であること」と「女性であること」の葛藤は多い。
3ヶ月が経ったある日、電話口のミキは泣いていた。施設に戻りたいと言い出したのだ。
「先生、私…先生や寮母さんが言ってたことやっとわかる気がしてきた。先生たちのところで頑張っとけばよかった…帰りたい…」
ふと「絶対俺に出会ってよかったって思わせたる」と土下座した時のことを思い出した。今のミキの一言はそれに値するものとなっていた。が、もちろん、それに関してはなんの感情もなかった。彼女は今、新たな気づきのスタート地点に立っている、ただただそう感じた。
施設へ再びもどることはなかった。進学も出来ず、更なる紆余曲折もあった。苦労もしたことだろう。しかし、彼女のことを大切にしてくれる人との出会いがあった。
結婚したその人とアメリカのディズニーランドに行ったという報告をしに来てくれた。約10年前の土下座のことも話題として出した。だが、そんなことありましたっけ?と、もうすっかり忘れていて、懐かしげに当時の写真をめくる姿はすがすがしく、幸せそうだった。
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