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佐久穂町の昔の集落の暮らし 畑ヶ中③〜幼馴染のお二人の川の思い出〜

佐久穂町の集落は、昔はどんな様子だったのでしょうか。今回は子どものころから畑ヶ中で暮らす、幼馴染の二人の女性にお話を伺いました。前回は、交代制のお風呂当番について伺いました。今回は、川遊びの思い出をお聞きします。少女時代の二人は、どんな風に遊んだのでしょうか。

お話を伺ったのは…

<畑ヶ中在住>
高見澤 幸枝さん(92)
佐塚 つや子さん(92)

[佐久穂町の昔の集落の暮らし 畑ヶ中〜幼馴染のお二人の川の思い出〜] 
は、①〜⑤編まであります。
▼最初の記事はこちら
佐久穂町の昔の集落の暮らし 畑ヶ中①

抜井川での川遊びの思い出

高見澤さん(以下 た)「水浴びっていえば、抜井川へ行ってね。」

インタビュアー(以下 イ)「水浴びは、抜井川なんですね。お風呂の水を汲みに行くのは余地川、遊びに行くのは抜井川と、使い分けていたんですね。」

た「大体そうだね。抜井川の方が大きいもんね。そこがもう泳ぎ専門、泳ぐ川だった。当時は、水泳なんてそんな言葉は使わない。水浴びって言ったね。」

佐塚さん(以下 さ)「低学年の頃、橋のとこで水浴びしたね。」

イ「川遊びは、どんな遊びをされていたんですか?」

さ「昔はどじょうやなんか、とってたね。」

た「サワガニとかもね。カニとかどじょうがたくさんいて、おいしかったよね。」

イ「どうやって食べるんですか?」

た「どじょうもカニも、唐揚げにするとおいしかった。甘辛く煮たりね。」

イ「フナの甘露煮みたいに?」

た「そうそう。」

さ「今はみんなU字溝になって狭くなったけど、丁度わたしの住んでた所の前は、ここからそこまで(3〜4m)くらい広かったから、よく遊んだりしてね。子どものころ、近所のおじさん達が、戦争で南方へ行って。終戦になって帰って来たら、そこで裸になってふんどし一つで体洗ったりしてたのを、覚えてるよ。」

た「越中ふんどしってね。」

さ「白いさらしに紐通して。昔のおじさんたちは、よくやってたね。」

イ「川がそんなに近かったら、雨の多い日は大変じゃないですか?」

さ「そういうことはなかったね。」

た「なかった。こっちは余地川から分かれて少し水が来てるだけだから、溢れるとかはなかった。」

イ「余地川の支流って言ってましたもんね。じゃあ川の形も、今と全然違うんですね。」

さ「そうそう。」


当時と今の川の様子とは違ったそう


当時の川の様子

イ「以前、江戸時代からの川の形を見ましたけど、全然違いました。ずいぶん河川工事が進みましたね。」

さ「前の抜井川、大日向の方なんて、子どものころと違うよね。」

た「今は、水浴び行った時の川の面影なんかない。」

イ「当時は、川の流れは強かったですか?」

さ「今よりも強かったね、水泳できるくらいだから結構ね。」

た「深かったね。」

さ「今はダムができてるから、昔とは違うね。」

イ「ダムのおかげで、流れがおだやかになったんですね。今だったら、川でバーベキューとかをしますけど、当時はどんなことをしましたか?」

さ「桃だとかを持ってってね。」

た「投げて、とりっくら(取り合いっこ)して。」

さ「今は千曲川はそんなに水がないけど、昔はすごかったね。」

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お二人が楽しそうに川で遊ぶ姿が、目に浮かびます。次回の「佐久穂町の昔の集落の暮らし 畑ヶ中 幼馴染のお二人の川の思い出④」では、当時のご近所の風景についてお伺いします。今の景色とは全く違う景色があったそうです。

▼続きはこちら
佐久穂町の昔の集落の暮らし 畑ヶ中④

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文 櫻井麻美


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